【2】大臣
王の間を出た
十秒ほど経ち、おもむろに足を動かす。数歩だけ歩いたそのとき、背後から声がかかった。
「
大臣、
しかし、声をかけられた方は心配そうな声が聞こえていないかのように、そのまま足を動かし続ける。
「まさか、これほどかんたんに貴男の背後が取れるとは思いませんでしたよ」
笑い混じりの声に、ツカツカと歩いていた
「そういう冗談が好きだね」
頬骨より下の前髪と、ゆるく束ねられた腰まであるリラの髪が揺れる。無感情のように冷たい言葉だが、振り返った
口調には悪意はなく、やや上がる顎は単に癖だ。
「わかっていたから。大臣が扉の近くにいるのは」
「でしょうね」
大臣は年配の男性だ。凛々しさを引き立たせるように、
「朝食中に俺を呼びに来たのは、大臣だったじゃないか」
「私が心配をしていたのも、おわかりで?」
と、
「ああ……あいつの身が? だったら、入ってくればよかったのに」
面白くなさそうに言った
「私に貴男を止められるとお思いですか?」
その口調は至ってやさしい。だが、
「本気で俺に負ける気なんて、ない癖に」
「そうではなく。『私も加担してしまう』ということです」
大臣は続ける。
「それに、考えてもみて下さい。十数年振りに誕生した世界で唯一のS級剣士に勝とう、ましてや勝てるだなんて私が思っているとお思いですか? いいえ、そんな大それたことは思っていません。尚且つ、私はすでに七年前、
冗談めいたように、大臣は左手で旗を振る仕草をする。
仕草でやわらかい雰囲気を醸す大臣に対し、
「順番が前後している。それに、あれはわざと大臣が負けた。そして、俺にS級剣士の称号を与えた。単にそれだけだ。そういう筋書きだったんだろ? 俺が剣士の頂点だと、周囲に問答無用で納得させるために」
「剣を握った私が、相手にわざと敗北を認めることがあると、そうおっしゃるのですか?」
大臣の瞳が鋭さを帯びる。ゆっくりと大臣が距離を縮めても、それに怯む気配は微塵もない。
「俺との師弟関係に終止符を打とうとした……とすれば、あり得なくもなさそうだ」
「ご謙遜を」
ふと生じた、空気に絡む微弱な電流。かつて絶対的な師弟関係にあった、過去のふたりの間に流れていた空気に似ている。
それを払拭させるように大臣は言う。
「
妙におだやかな口調は
「
心を見透かすような発言に、
「『忠誠心が強い』と言って」
「そうですね」
眉間にしわを寄せた
「貴男の言動が、ですよ」
と、心配していた理由をやさしい口調で告げた。口調の変化を敏感に感じ取ったのか、
「最近、頻繁ですね」
軽いため息が大臣からもれ、緊張は消されていく。
「俺が忘れていることを、頻繁に『あのお方』が口にするからさ。……もう、どうでもいいことだろ」
言葉を置き去りに、
「忘れている、どうでもいいこと……ですか?」
「そ」
反応をうかがうような問いに、
「
急に
「申し訳ありません」
「あ、すまない」
「いいえ。……どうしたのですか?」
「いや、なんでもない」
何事もなかったかのように
こういう間は、時折りあることだ。
大臣は慣れたものだ。詮索せず、かえってまったく別の話題を振る。
「そういえば、
「決まったか?」
「いいえ。私は
ふと、視線が合う。大臣は確認するように言葉を出す。
「
「どういう意味?」
「お考えを伺いたく」
階段を目の前にして、
半円状のアーチが視界に入る。細かい彫刻は広がり、凹凸がクリーム色の気品を際立たせる。壁と同化していく、楕円が連結した手すりを辿れば、一階が一望できる。そこはかつて、幼い
その場所へ吸い込まれるように、
「以前のように争いが絶えないことは、なくなった。この大陸の長い争いの原因は……貴族しかいないと言っても過言ではないことだと言われていたが、そうではなかった。ここ数年は平穏な時間が流れている」
争いが絶えたのは、
S級剣士になる前の五年間、
いつでも自ら業火に飛び込んでいく姿は、やがて大陸中から恐れられた。この大陸の誰もが
「
姫がいながら、王が長い間君臨しているのは異例だ。王が自らその座を姫に譲らないのであれば、婚礼は強行策とも言える。
「貴男の望みは、何ですか?」
「
長い髪は表情を隠し、歩調になびいていく。
大臣は歩いて行く背中を見つめていた。腰まであるリラの長い髪は、ゆるくひとつに束ねていても、よくなびく。まるで、
その姿は、
大臣には空しい感情が沸いた。──
あれは、
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