第5話 田舎町

 その地域を走る電車は、都会を走るものよりもずっと長閑のどかな感じがした。車内を流れるアナウンスも、ときおりごとごとと車両の立てる音そのものも、全部がのほほんとした空気をまとっていて、ともすれば僕らにせわしない都会の喧騒けんそうやら、今の状況を忘れさせそうになる。

 乗り降りする乗客も、見るからにごく近隣のひとたちが中心で、のんびりとしたこの地方特有の方言がちらほらと聞こえてくると、妙に眠たくなるのだった。


 緑ゆたかな山間やまあいやら、滑った岩をのぞかせる海岸沿い、小ぢんまりとした漁村。そんなものがつぎつぎと、窓の外を流れていった。ちいさな漁港にはやっぱりちいさな可愛らしい漁船がいくつも、水面みなもから跳ね返った陽光にちらちらとふなばたを洗われながらゆらゆらしていた。

 青く瑞々しい色にそよぐ田んぼの稲穂なんかの間を幾度も抜けて、そんな暢気のんきな電車に何時間も揺られた挙げ句、ようやく僕らはその町にたどりついた。


 駅前こそ少しは背の高いビルなんかも見えたけれども、町は全体に古ぼけていて、人通りも少なかった。ビルになっているのはどうも、区役所だとかそれなりの会社のものに限られるようだった。

 大通りに面した建物はビルも多かったけれど、ひとつ道を入れば昔ながらの平屋の木造建築がぎゅうぎゅうと詰め込まれて、黒く焼かれた板壁がずうっと続いている。確か、焼き杉板壁とか言うんだったかな。

 ガラスのはめこまれた古い木製の引き戸の向こうをちらりと覗けば、荒いコンクリートを敷いただけの三和土たたきの上に古ぼけたショーケースが無造作に置かれていて、その中にはやっぱり無造作にお団子だの焼き饅頭だの柏餅だのが並べられたりしているのだった。表を見ているだけだと、そこが和菓子やさんだなんてちっともわからない造りだった。


 昔ながらのものらしい、ごく小さな間口の駄菓子屋さんは、いまにも崩れそうな建物だった。僕はあんまりそこが気になって、ふだん自分の町では買えないような、珍しいけれども安価なお菓子を少しばかり買ってしまった。


「……遊びに来てんじゃねえぞ。バス停はあっちだってよ」


 駄菓子屋のおばあさんに道を聞いていた茅野が、ちょっと苦笑してそう言った。



 一時間に一本、あるかないかのバスに何とか乗って、僕らはそこから少し離れた山の方面へ移動した。

 夏だというのに、いったん傾きだした太陽は見る間に高度を下げてゆき、あっというまに西の空から茜色がさしはじめた。小ぶりのバスはぐねぐね曲がった山道をあがってゆき、またくだって、やがて山に囲まれた小さな町へと僕らをはこんだ。

 ちょうど盆地のようになったそこが、しのりんが今いるはずの、目的の町だった。


「ボクらあ、今日泊まるとこはあるんかいのう」


 料金を支払って降りようとしたら、運転手さんがのんびりと僕たちに訊いてきた。この時点で、乗客は僕らだけになっている。

 茅野が軽く帽子のつばを持ち上げて「すんません。大丈夫なんで」とあっさり答えた。町には一応、小さな旅館があるらしく、茅野は事前にそこに予約を入れているということだった。僕も同様に帽子を上げて会釈すると、運転手のおじさんは安心したように、にっこり笑ってバスを出した。


 僕らはくだんの旅館にいったんチェックインしてからすぐ、しのりんの親戚の家を探すことにした。





 目指す家は、わりに簡単に見つかった。

 なんといっても、こんな小さな田舎町だ。つい最近、都会から帰省してきた高校生が行方不明になったばかりということで、その話をすればすぐ、町の人は「ああ、その篠原さんとこやったら」と、その家を教えてくれたのだった。

 「篠原」という大きな表札のかかったその家は、広い地所に大きな日本家屋の、僕なんかからすれば十分「お屋敷」と言ってもいいようなたたずまいだった。


「なんだ、君たち……本当に来ちゃったのか」


 最初に出てきたこのお宅の主婦らしい人に呼ばれて家の中から出てきた中年男性は、しのりんのお父さんだった。なんということもないポロシャツを着た、中肉中背のごく温厚そうな人だ。しのりんにはあまり似てないな、というのが僕の第一印象だった。

 篠原さんは僕らを見てびっくりした様子だったが、「まあここで話しててもあれだし。とにかくあがって」と言って、僕らを奥へ案内してくれた。


「しのり……いえ、は、まだ見つかってないんですね」


 庭に面した長い廊下を歩きながら、我慢できずにその背中に問いかけると、しのりんのお父さんは持っていたタオルハンカチで汗を拭いながら、うん、と力なく答えた。聞けばこの人も、さっきまでほかのみんなと一緒に山を捜してきたところだということだった。


「暗くなると、山道は都会の人間には無理だって止められちゃってね……。僕だって昔はここに住んでいたって言ったんだけど、納得してもらえなくて。二次被害を出したのでは、皆さんの足手まといになってしまうし。今もまだ、親戚と警察のかたがもう少し捜してくださっているよ」


 その捜索も、日が完全に暮れてしまえばいったん中止になることが決まっているということだった。僕は暗澹あんたんたる気持ちになった。

 お母さんは心労のあまりに倒れてしまい、奥で休んでいるのだという。それでもしのりんが置いていったあのスマホを、かたときも枕元から離さないでいるのだとか。

 中学生になる妹さんは、お母さんのそばについているらしい。


「まったく、なんで急にこんなことになってしまったのか……。いま、和馬のまわりで何が起こっているんだい? ともかく君たちにも、ちょっと話を聞かせて欲しい」


 僕と茅野はちょっと目を見交わしてから、お父さんに向かって頷いた。


 奥の座敷に案内されて、ていねいに茶菓子なんかをふるまわれ、なんだか居心地の悪い気になりながらも少し待っていると、しのりんのお父さんが奥さんと娘さん――つまりしのりんのお母さんと妹さん――を連れて戻ってきた。

 僕らはあらためて自己紹介をした。

 お母さんは思っていた以上にやつれた様子で、長い黒髪も乱れ、座っているのも大変そうに見えた。しのりんのお母さんなんだからそれなりのお年のはずだけど、その人はそれでもとても綺麗な人だった。しのりんは間違いなく、お母さん似なんだなと僕は思った。

 対する妹さんはというと、目鼻だちのはっきりしたいかにも利発そうな女の子だった。そしてなぜだか、最初から僕を射るような視線で睨むようにしていた。名前は、真響まゆらというのだそうだ。


 僕の自己紹介を聞いて、真っ先に反応したのはお母さんだった。

「それじゃ……。あなたが、あの子のスマホに何度かご連絡くださった……?」

「はい。和馬くんには『ゆのぽん』と呼ばれています。先日も、一緒にイベントに行かせていただいたのは僕なんです」


 そこで、場には少しの沈黙が流れた。

 あちらのお父さんとお母さんが、僕の言葉を聞いて明らかに戸惑ったように目を見交わした。


「あの……。とてもお尋ねしにくいことなんですけれど。あなたは、その……。和馬からはあのとき、男の子のお友達といっしょに行く、と聞いていたのですけれど――」


 お母さんはとても言いにくそうに、一語一語きるようにしてそう言った。

 隣に胡坐をかいて座っている茅野が、ちらっと困ったような視線でこちらを見やった。

 僕は素直に頭を下げた。


「……申し訳ありません。確かに、こんな姿はしていますが、僕は『男の子』ではありません。嘘をついて、まことに申し訳ありませんでした」

「…………」


 場にはふたたび、重苦しい沈黙が流れた。

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