第6話 妹
しのりんには、四つちがいの妹がいる。
ものごころがつくまでは、しのりんも自分の身体と心との間に存在するその
「和馬」という名前についても、それがとても男の子らしい響きをもつものだなんてことは、幼児に分かるわけがない。
だから、そうなんだと気づくまで、お母さんから「カズくん、カズくん」と呼ばれることは大好きだったのだそうだ。
男の子の孫ができたというので、父方と母方の両方の祖父や祖母から、彼女のもとにはたくさんのおもちゃやら寝具やら洋服なんかがプレゼントされていた。
それらはどれも、生まれる前に買ったもの以外は大体、ブルーやグリーンの色でデザインされた「男の子仕様」ものが多かった。赤ん坊の性別が分かる以前に買ったものでも、ほとんどが白や黄色のものが選ばれていた。
おもちゃにしてもそうだ。
しのりんの手もとには、自動車やトラック、飛行機、それに鉄道やブロックといった、いわゆる「男の子がよろこびそうな」おもちゃばかりが集まっていた。まだ言葉も話せないころのしのりんは、もちろんそれに疑問などは抱かなかった。
人間としての規範だの常識だのを教え込まれる以前の赤ん坊にしてみたら、与えられたものと自分の目に付くものとが生活の、いや世界のすべてだ。親や祖父たちから与えられたものを、「これはこういうものなんだ」と思うより仕方がない。
でも、しのりんが幼稚園に通うようになったころ、彼女の下には妹が生まれた。
そこではじめて、しのりんは「あれ?」と思ったのだそうだ。
妹の着ているものやおもちゃは、ピンク色や薔薇色、そして花柄やリボンやレースでいろどられた繊細なものが多かった。
何より多かったのは、ぬいぐるみ。クマにウサギにイヌにネコ。もちろん、人間の女の子の姿のものもある。着せ替え人形なんて最たるものだ。そんなふわふわ優しくてかわいらしい人形たちが、妹のベッドのまわりを花畑のように埋め尽くしていた。
対するしのりんはと言えば、基本的には青や緑、黒や紺などが主な色味の、Tシャツや半ズボン姿。もっている人形といったら、同じぬいぐるみでも恐竜の形をしたものや、特撮ヒーローの人形などが中心だった。
幼稚園のクラスでも、先生から「男の子はこっちよ〜」とよばれたら、そちらの列に並ぶことになっている。
そして周りの男の子の友達は、あきらかにしのりんに与えられているのと同じような、車だの飛行機だのトラックだのが好きな子が多かった。遊び場での遊びでも、走り回ってちょっと凶暴な奇声をあげ、乱暴な遊びを好む子も多かった。
対する女の子たちの多くはと言えば、砂場でもくもくと「おままごとあそび」にいそしんでいる。
もちろん、中には生傷の絶えないような活発な女の子もいたのだけれども、しのりんにしてみれば、おとなしく遊んでいるタイプの女の子に混ざり、その「おままごと」の中にとても入りたいと思っていたのだ。
でも、それはできなかった。
そんなことをしてしまったら、周りの男の子たちから「なんだ、女の子とあんな遊びをしやがって」という、ある種の見下したというのか、馬鹿にしたような視線にさらされるに決まっている。たとえ幼稚園児だって、そんなことぐらいはちゃんと理解しているものだ。
最近の先生たちは、敢えてあまり「男の子なんだから」とか「女の子なんだから」とかいった指導の仕方はしないようになっているんだそうだ。
でも、それでもしのりんの「あれ?」は、どんどん増幅されていった。
やがて妹が次第に大きくなってきて、華やかで可憐なデザインのスカートをはいたりお母さんから髪の毛をかわいらしく編みこんでリボン飾りをしてもらったりしているのを見ているうちに、しのりんの中では「どうしてボクはそれをしてもらえないの?」というもやもやした気持ちが、どんどん、どんどんふくらんでいった。
だからあるとき、しのりんはお母さんにきいたんだそうだ。
「どうしてボクはかみをのばしちゃいけないの? お花のスカート、はいちゃダメなの? ボクもママに、かみ、あみあみしてほしいな」
と。
「あら……、いけないなんてことはないのよ? でも――」
お母さんは少し戸惑ったようにそう言ったあと、困ったような顔で微笑んだんだそうだ。
「おうちではいいけれど、お外でそうすると、ユウ君やコウちゃんがびっくりしちゃうかもしれないわよ、カズくん……」
しのりんのお母さんは、優しい人だ。だから、しのりんに向かって「男の子はそんなことをしちゃダメでしょう」というような、頭ごなしなことは言わなかった。
でも、あとでお父さんにもそっと相談はしたらしかった。少したって、お父さんはしのりんだけを呼んで、さりげなくそのことを聞いてきたからだ。まあそうは言っても、「カズはそういうことがほんとに好きなのか? ちょっと興味があるだけなのかな?」と、まあそのぐらいの聞き方だったみたいだ。
「パパもそういうの、子どもの頃にしたことがあるよ。姉さんの長いドレスみたいな服、着せてもらうのは面白かった。化粧なんかもしちゃってさ。鏡のなかの、別人になっちゃった自分を見るのは楽しかった。だからカズも、家の中でするのは全然かまわないんだよ」
でも、それでもしのりんにはなんとなく分かったんだそうだ。
「パパとママがこまってる。ボクがこういうことをきいたら、ほんとうにしたいって、おそとでもしたいんだっていったら、パパとママはきっとこまっちゃうんだな」
……と、いうことが。
僕なんかに言わせれば、「なんて優しいご両親なんだろう」って、ほとんど羨望に近い思いになっちゃうんだけど。うっかりすると、ちょっと嫉妬してしまうぐらいだ。
でも逆に、だからしのりんはつらかったんじゃないかと思う。そんな優しくて大好きな両親を、困らせたくはなかったはずだ。自分がいつまでも「女の子みたいにしたい」と言い続ければ、確実にご両親を困らせることになるって、そんな年なのにちゃんと分かってしまったんだろう。
自分さえ我慢すれば、このままただの「男の子」として満足した顔で生活していれば、だれも困ることはない。
まだ小学生の低学年ぐらいのころに、もうしのりんは、その結論に行きついてしまっていたのだ。
その後、しのりんはご両親に向かって「妹みたいな格好がしたい、女の子のするような遊びがしたい、お人形やおままごとのおもちゃがほしい」といったようなことは、いっさい言わなくなったのだという。
そうして黙って、しのりんから見れば夢の王国みたいな、可愛らしくて華やかなものにあふれている妹の部屋をじっと見ていた。
おもちゃ屋さんに連れて行ってもらっても、アニメ映画のお姫様が着ているドレスやら、週末にやっている美少女魔女っ子アニメなんかの主人公のコスチュームのおいてあるエリアを素通りして、ゲームだの電車のおもちゃだの自転車だのスポーツ用品だのが置いてある売り場に直行する。
妹が母の手を引いて、嬉々としてそちらのエリアに走っていくのを横目で見ながら。
そうして、すっかり安心しているらしい両親の顔色をさりげなく観察しながら、大いに嬉しそうなふりをして、たいして興味もない野球のバットだの、サッカーボールだのを父親と一緒に選んでいた。
文具にしてもそうだった。
女の子の好きそうな可愛いキャラクターつきの、ピンクやパステルブルーやパープルのペンケースがどんなに欲しくても、しのりんはいつも、黒や紺地にスポーツ用品のロゴの入った無骨なデザインのものを選んで「これ、買って」と母にねだった。
そうすると、母の瞳の色がとても安堵したものになるのを、しのりんはちゃんと知っていた。
これまでのしのりんの家庭というのはずっと、そんな彼女の優しい嘘に塗り固められ、守られてきたものだった。
彼女もやっぱり、その家庭を壊すことはできなかったんだろうと思う。
そう、僕とおんなじに。
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