第一章
第1話 美優と和馬
僕の名前は、
まあ、こう書いても男の子だっていう人もいるかもしれないんだけど、残念ながら僕はそうじゃないほうだ。
ほんとはそっちが良かったのになあって心の底から思っているけど、まあそれは仕方がない。十六年前、僕が生まれたその日、お医者さんが僕の身体をあちこち調べてそう決めてしまったんだから。
それについては、あのしのりんだって同じことだ。
彼女のお医者さんは生まれたばかりの彼女を見て、「これは男の子」と判断した。
だから彼女の本名は、とっても男らしい「
初孫に「男の子」が生まれたっていうんで、彼女のおじいさんが勢いこんでそういう勇ましい感じの名前にしちゃったらしい。
「『かおる』とか『まこと』とか『ひかり』とかだったら、まだ良かったのに」
と、しのりんは時々頬を膨らませてそんなことを言う。
しのりんと僕は、同い年。
高校は違うんだけど、それぞれそこの二年生だ。
僕は吐き気のするのをこらえながら、それをごまかすために毎朝したに学校の体操服である短パンやらスパッツなんかをはいて、その上から制服のスカートを履く。
しのりんはしのりんで、心底スカートが履きたくてもそれを我慢して、いやいや男子用の制服を着る。
学校によっては「男女どちらの制服を着てもいいよ」なんてところも最近ではあるらしいんだけど、残念ながら僕としのりんの通う普通の公立高校ではそういう配慮はされていない。
だから僕もしのりんも、学校ではそのお医者さんの決めてしまった「嘘の自分」で過ごすだけだ。
最近では女の子でも自分のことを「ボク」って言う子も多いし、「ボーイッシュ」なんて言葉まであってそれなりにちゃんと市民権を得ているので、目立たずにすんでいられるのはありがたい。
まあ僕の場合はしのりんのとはちょっとちがって、スカートを履きたくないとか「女でいたくない」理由がちゃんとあるし、別に女の子が好きになるわけじゃあないんだけど、学校で苦労するって意味では似てるかなと思う。
きっと、しのりんのほうがずっと大変なんだろうなと思うけど。
だって彼女は本当に、心の中が女の子なんだから。
だから、本気でちゃんと好きになるのは男の子。
「体育の授業なんかで着替えるのは実はとっても困っちゃう。水泳なんかほんと最悪」って笑って言ってた。
ほんとは笑って言えるほど、簡単なことじゃないに違いないのに。
でもしのりんは、そのことで僕に本気で愚痴を言ったことは一度もない。いつも明るくて、好きな作品とかカップリングの話をしてたら暴走しちゃって、お互い気がついたら日が暮れてて焦ったなんて、一度や二度じゃないし。
一緒にいたら、むしろそっちの話をいっぱいしたいっていうのもあって、あんまりそういう話を真剣にすることもない。
それでいいんだと思ってる。
だって、言わなくてもわかることも、いっぱいあるんだから。
ふたりで居られるときには、こっちの世界の話をいっぱいして、明日からのとげとげのリアルに対抗するための力をいっぱい蓄えなくちゃいけないから。
「……ああ、今日もおわっちゃうね」
日があっという間に傾いていって、空が橙色や桃色のひかりにすり寄っていきはじめると、しのりんはちょっと寂しそうな色をその声ににじませて僕の手をきゅっと握る。
中間考査と呼ばれる一学期のテストが終わってすぐのこの時期、山の上はまだけっこう風が冷たいことがある。こんな夕暮れどきには特にそうだ。
「じゃあ、原稿、がんばろうね」
下界におりて、ちょっと有名な観光地でもある異人館街を抜け、そのまま坂をおりてごみごみした街なかを歩く。そうして待ち合わせした駅でもとの制服姿にもどってから、僕としのりんはそうやってまたお互いを励ましあう。
がんばるのは本当は、原稿だけじゃない。そっちだってもちろん頑張らないと、早期割引での入稿ができなくなる恐れがあるので大変は大変だけど。
だって僕らは高校生。こづかいの範囲でこれをするには、かなりの努力と工夫が必要なのだ。
「とにかく表紙だけ、先に入れないとだね。また連絡するね、ゆのぽん」
「うん。気をつけてね、しのりん」
少し色みの薄い短い髪をした、ほっそりした体型の「高校生男子」の顔を見下ろして、僕は言う。僕の方が少し、背が高いのだ。
そういう僕は、あの気持ち悪い制服のスカート姿。
少しでも足を隠したくて、黒くて長いハイソックスをはいている。
まだセーラー服じゃなくて良かったなとは思うんだけど、ブレザーでも十分に気持ち悪い。同級生の女の子たちは、この制服が可愛いからってあの高校を選んだとかいう子も多いけど、僕にしてみたらそんなことは二の次、三の次の話に過ぎない。
「女の子しか着ない服」を無理やりに着させられることそのものが、僕にとっては大問題なんだから。
ふたりとも、それぞれの高校のスクールバッグを肩にかけて、大きな鞄をさげている。なかみはもちろん、さっき着ていた洋服だ。
お互いの家族は、このバッグのなかみ、つまり僕らの本当の秘密を知らない。
僕らは手をふり合って別れ、それぞれの「戦場」に戻る。
この駅からは方向が反対なのだ。
「……さて。暗くなる前に帰らなきゃな――」
親の帰りが遅いのをいいことに、わりと自由にさせてもらえてるのも、今まで問題らしい問題も起こさずにずっと「いい子」を演じてきたからだ。学校の勉強だって、アホの弟どもに比べたら死ぬほどやってきたし、家の手伝いだってやってきた。真正面から親にかみついたこともないし。ほんとは、そうしたいのは山々だったけどね。
だけど、ここでそれを崩してしまったら、夏のイベントも、しのりんとの次の「デート」も、計画がめちゃくちゃになってしまうだけ。それだけは、なんとしても避けなくてはいけないから。
僕は、今日チャージできた一日ぶんの「元気のもと」を、えいやっと頬を叩いてしっかりおなかの中に溜めこむと、くるっと踵を返して自分の乗る電車のホームへと続く長いエスカレーターを駆け上がっていった。
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