*出会い

「よう、パッチワーク。元気だったか?」

 三歳になるベリルは、さして関心も無いような目でその男を見つめた。小豆色のスーツを身にまとい、嬰児みどりごに下品な笑みで声を掛ける。

 おおよそ似合っているとも思えないスーツは、仕事だからと着ているにすぎない事が窺えた。

「チッ、相変わらず可愛げのねぇガキ」

 無言のままの幼児に舌打ちする。

「ハンス君、そんな事は専門家たちの前では言わないでくれたまえよ」

「解ってますよ、教授」

 軽薄に応えてベルハースに目を向けると、とりあえずの仕事のように口を開く。

「異常は無いですか?」

 定期的に訪れる視察の人間だが、彼で二人目だ。ベルハースは前任の男が気に入らなくて代えるように申請し、後任としてやってきたこの男にも不満が募る。

「正常だよ」

「じゃあ、報告書はもらっていきますね」

「私の研究室にある。勝手に持っていけ」

 ぶっきらぼうに言い放ち、部屋から出て行く後ろ姿を見つめた。それを無表情に眺めるベリルの肩にベルハースは手を回す。

 見上げて気遣うように小さく笑うベリルにベルハースも笑みを返した。

 現存する人種のDNAをかき集め、それを分裂・合成・結合させて造られたベリルは、あの男の言うように「パッチワーク」なのかもしれない。

 キメラというモンスターから取られたその俗称も、そういった意味合いが含まれている。

 だからといって本人の前での発言にベルハースはいささか憤りを覚える。

 ベリルに感情の起伏はあまり見られないが初の人工生命体だ、解らない事の方が多い。

 ベルハースはベリルの反応に、そろそろ自分の事を知ってもいいかもしれないと感じた。

 思えばこの子は、自分の名前──キメラとベリル──の使い分けを誰にも教わる事なく理解していた。

「ベリル、おいで」

 両手を後ろで組みスライドドアに向かう。ベリルはその後ろをついて同じく部屋をあとにした。

 何も言わず、何も訊かずに追ってくる嬰児に時折、意識を向けて目的の部屋に歩く。

 国からの視察が来たとき、研究者たちは一切ベリルの名を呼ばなかった。

 少年はその事で何かを悟ったのかキメラと呼ばれても、少しもおかしな反応を示す事はなかった。

 まるで、日常でもその名で呼ばれているかのように。恐ろしいほどの洞察力だ。

 すでにハイスクールまでの学力が備わっているかも知れないと聞かされたとき、ベルハースにえもいわれぬ感情が湧き上がった。

 このまま成長して、彼の将来は何になるのだろう。この施設に閉じこめられているだけの行く末に、学問など何の意味があるのだろうか。

 この子はここから出られない事を知っている、それでもこれが己に与えられた事なのだと続けている。

 ベルハースは少年を自分の研究室に案内し、乱雑に資料が置かれたデスクに腰掛ける。ひと息吐いて、上にある数枚の紙を手渡した。

 受け取ったベリルに隣の椅子を促し、腰を掛けて読み始めた様子をじっと見つめる。

 読み進めるその顔は相変わらずの無表情だった。

「理解出来たか?」

 読み終えて書類を返すベリルに問いかける。

「はい」

 色を示さない瞳は晴れやかにも見えた。疑問に感じていた事柄がようやく理解出来た事が嬉しいのか、口元がやや緩んでいるように思える。

 まだ三歳の子どもに私は何を話しているのか。その表情にベルハースは少し胸が痛んだ。

「教えてくださってありがとうございます」

 苦い顔をしているベルハースをのぞき込む。そしてまた小さく笑った。

「いや」

 複雑な心境でベリルの頭に優しくも無骨な手を乗せた。


 ──それから一年が経ち、エメラルドの瞳に存在感が際立ち始める。

「あの子は素晴らしい! まだ四歳だというのにカタコトだが三カ国語を覚えたぞ!」

 ハロルドが満面の笑みを浮かべてベルハースに声をかけた。彼はそれに呆れながらも笑みを返す。しかしすぐ、

「それはいいが」

「なんだね?」

「しゃべり方が少々、子どもらしくないと思うのだが」

 その言葉に、ハロルドは口角をつり上げた。

「当然だ、あの子は特別なのだぞ。それなりの言葉遣いにしてやらねばならん」

「そうか」

 何かを含んだ物言いにも感じられたが、いつもの事だと肩をすくめた。

 さらに一年が経過し、少年は六カ国語をマスターした。ハロルドの喜びはさらに増す事となる。


 ──アルカヴァリュシア・ルセタの田舎町。そこは湖畔にあり、景色が素晴らしい小さな町だ。

 続く石畳と煉瓦造りの家屋は晴れた空に爽やかな風を運ぶ。

「私がですか?」

「はい、お願い出来ますでしょうか」

 リビングで暗いスーツを着た男性に飲み物を出しながら、その女性は当惑した。

「二十五歳という若さでコンクールを総なめにしているその技術を是非、少年に伝授していただきたい」

「そんな……。私なんて」

 女性はおだてられて苦笑いを浮かべ肩をすくめる。彼女の名はアリシア、十歳にして天才ピアニストと称され今でもその腕は磨き続けられている。

 明るい栗色の髪は背中まで緩くカールされ、淡い黄色がかった瞳は魅力的だ。

「その天才少年というのは──」

「これ以上は言えないんですよ。国家機密に関わる事柄ですので」

 少し険しい表情をした男性にアリシアは戸惑った。

「では、考えておいて下さい。お返事は一週間後に伺います。それと、この話は誰にもなさらないでください」

 立ち上がり、玄関に向かいながら説明した。

「はい」

 彼女の返事を確認すると家の前に駐めてあった黒い車に乗り込み走り去る。遠ざかる車を見送ってリビングに戻りティカップを片付けた。

「天才少年か」

 紅茶を淹れ直し、疲れたようにソファに腰を落とす。

 国家機密のため了承すればそれが完了するまで外には出られない。それを聞かされれば躊躇するのも当然だ。

 しかし、そんな少年に自分が教えるというのも素晴らしく魅力的な話だった。両親は海外で暮らしており、アリシアは恋人もおらず独り身だ。

 実家に住み、ピアノ教室などをして悠々自適に生活している。

 もし了承すれば、しばらく両親とも会えなくなり、嘘も吐かなければならない。それでも、持ちかけられた話は興味深かった。


 ──それから一週間後、

「お引き受けくださいますか?」

 以前に訪れた男性がアリシアに問いかける。差し出された紅茶を傾けて、思案している彼女の返事を待つ。

 アリシアはそれを見つめながら最後の決断を反芻はんすうしていた。

「私でよろしければ、お引き受けします」

 躊躇いがちにだが力強く応えた。

「それは良かった! 有り難い」

 男は笑顔で立ち上がり交渉成立だと握手を求めた。

「多少、厳しくしても彼はしっかりとついて来ますから安心してください」

「はい」

「それでは、一週間後に迎えにあがりますので荷物をまとめておいてください」

「解りました」

 返事をして見送り、呆然とソファに腰掛ける。自分で了承しておいて自分の反応に呆れた。

 迎えが来るまでの一週間、アリシアは戻ってくるまで悔いが残らないようにと両親の声を聞くべく電話をかけた。


 そうしてアリシアは大きな荷物と共に家の前に立ち、淡いオレンジのフレアスカートと白いシャツで迎えが来るのを待っていた。

 いつもの小さめの車と違い、黒いリムジンが止まってアリシアは目を丸くする。

 これはなんとまあ……アリシアは少々呆れたが、それほどの場所に行くのだろうと緊張してしまう。

 荷物をトランクに積めリムジンは走り出す。

 後部座席には黒いサングラスをかけた暗いスーツの男性が二人いた。微妙な威圧感を放ち、どこを見ているかも解らない顔を無表情に首の上に乗せている。

「あの、どこに行くんでしょうか」

 いつもの男に恐る恐る尋ねてみた。彼はニコリと微笑み、しかしその表情とは裏腹な声色で伝える。

「それは言えません。何せ、国家機密なものですから」

「そうですか」

 車は何時間走っていたのか解らない。アリシアが疲れた頃、リムジンがおもむろに止まる。外に出ると、感じた事の無い空気が漂い、歩いている人間の服装からここは軍事基地なのだと理解した。

「ここからヘリで向かいます」

 男はローターの回っている軍用ヘリにアリシアを促した。後ろから彼女の荷物を持って男たちもヘリに向かう。

「ここから二時間ほどの所です。それでは!」

「え──?」

 軽く手を挙げてドアを閉める男に、アリシアは不安な顔を向けた。てっきり、ついてきてくれると思っていたため当惑する。

 親しくもない相手だが、まったくの初対面ばかりの中では多少の安心感があったというのに。

 体格の良い軍人に挟まれてアリシアは身を縮こまらせる。迷彩服に身を包んだ仏頂面の男たちは、表情も変えずにどこを見るでもなく座ったままだ。

 どうにも視線の向けようがなく、後ろにある窓から外を見やる。ヘリは広大な森の上空を飛んでいるらしく、見渡す限り木々ばかりだ。

 眼下を見続けていると、針葉樹林の中に大きな白い建物が浮き出てきた。あれがその施設なんだろうか? アリシアは思いながらその建物を見つめる。

 建物の周囲は高い鉄柵で覆われていて、いくつもの建物が渡り廊下でつながれていた。建設途中のものもあるらしく、重機が忙しなく動いている。

 ヘリは徐々に高度を下げ、ヘリポートマークの上に降りると軍人の一人が手をさしのべてくれた。

「ありがとう!」

 ローターの風に舞う髪を押さえ、その音に負けないように声を張り上げる。荷物はアリシアの手に渡される事もなく、どこかに持ち去られてしまった。どうやら中身のチェックがあるようだ。

 さすが国家機密の施設だとアリシアは感心したが、このあとさらにチェックがあると聞いて肩を落とした。

 持ち物チェック、健康チェック、心理面までチェックを受けていい加減に疲れてきた。昼前に施設に到着し、じっくり二時間はかかったような気分だ。しかし実際は三十分ほどだった。

 チェックが全て通り、警備服を着た若い男性についてくるようにと示されて背中を追う。しばらく象牙色の廊下を進むと、たどり着いた先には灰色のスライドドア。

 それは音もなく開き、クリーム色の壁紙で覆われた何の変哲もない部屋がアリシアを迎えた。

 どうやら自分にあてがわれた部屋らしく、書斎らしき部屋と寝室、そしてトイレに風呂場があるだけだ。

 部屋を案内してくれた男性はここの警備員だろうか、少し笑みを見せると見取り図やここでのルールが記された紙を手渡して去っていった。

 その説明に目を通していると、けたたましく電話が鳴りアリシアは飛び上がるほど驚いた。あとで音量を下げておこうと思いながら赤いプッシュホンの受話器を取る。

<アリシアさんだね。ピアノ教師の>

 落ち着いた老齢な男の声が耳に響く。

「あ、はい。そうです」

<私はベルハースだが、今から教育棟に来てくれないか。入り口で待っている>

「解りました」

 アリシアは見取り図を確認しながら応え、受話器を戻す。簡単にでも施設の場所を記憶しようと横目で見ながら着替えを済ませる。

 ここは専門家たちが寝泊まりする宿舎らしい、食事は基本的に食堂で行い、部屋に持ち帰る事も可能だ。

 アリシアは部屋を出ると足早に教育棟に向かった。

 グレーのパンツに青いTシャツ、ピンクのパンプスでその場所に行くと白衣を着た四十歳前後の男性が立っていた。

「あの」

「君がアリシアさんか。ベルハースだ」

 握手を交わし、ベルハースが歩き出す後ろをついていく。無言で歩き続けるベルハースに、アリシアはどこに連れて行かれるのかと怪訝な表情を浮かべた。

「君は、ベリルにピアノを教えるのだな」

「え、はい」

 ベリル? 少年の名前かしら。アリシアは疑問に思ったがベルハースの次の言葉を待った。

「ならば、彼には技術よりも音が奏でる感情を強調して教えてやってくれないか」

「え?」

 意味がわからず聞き返したアリシアに構わず、ベルハースは一つの部屋の前に立った。

 ガラス張りのスライドドア越しに、こちらに背中を向けている子供の姿が見える。あの子が天才少年なのだろうか。

 センサーは近づくベルハースを関知してドアをスライドさせた。

「ベリル」

 そのまま床に座り込んでいる少年の元へ歩み寄り、ベルハースは若干の笑みを浮かべた。

「はい」

 丁寧に返事をして振り返った少年にアリシアは一瞬、喉を詰まらせる。鮮やかな緑の瞳はエメラルドのように輝き、その歳の子供とは思えない存在感を放っていた。

 五歳か六歳だろうか、その少年はゆっくりとベルハースからアリシアに視線を移した。

「明日から君にピアノを教える人だ」

 少年はその言葉に子どもらしからぬ優雅な物腰で立ち上がり握手を求めた。

「初めまして」

「は、初めまして。アリシアよ」

 差し出された手を握り返し、金色のショートヘアを見下ろす。子どもにしては落ち着き払った態度に戸惑いながら、何をしていたのかと床を見やった。

「何をしていたんだね?」

「幾何学の勉強を」

「え」

 き、幾何学? こんな子供が?

「今は自由時間だろう」

「少し気になった部分があったので」

「そうか。あまり無理せんようにな」

「お気遣いありがとうございます」

 アリシアは目眩がした。

 子供とは思えない言動に「私なんかよりも上品じゃないの」と苦笑いする。その耳に小さな笑い声が聞こえてアリシアは視線を落とした。

 少年の微笑みにアリシアはまた心臓が高鳴る。

 私ったら何をドキドキしているの? この子にからかわれているだけなのに──

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る