第24話 暗闇の塔2

 パトラは城の中で玉座に座っていた。平和で美しい、いつものシスイ王国の風景がよく見える。おかしい。私は確か、暗闇の塔を少々変わった冒険者たちと一緒に攻略していたはず。ヘミングやトールだけではなく、ビネガーも頭を下げて、パトラの指示を待っている。


 「面を上げよ。悪いが私は、今の状況を正確に把握できていない。誰か、説明を」


 するとヘミングが一歩前に進み出て、パトラに恭しく礼をする。


 「これはこれは、ご冗談がお好きですな。本日は、めでたい婚姻の日ではございませんか」


 「誰か、結婚するのか?」


 パトラはヘミングの言葉に訝し気に首をかしげる。するとヘミングは小さく笑いだす。その笑いは徐々に大きくなっていく。トールや他の使える兵たちも一斉に腹の底から笑い出した。パトラは自分が侮辱されたと思い、腹を立てて、叱責する。


 「なんなのだ、一体。誰の前だと思っている」


 今度はトールがパトラの前に歩を進めた。ヘミングと同じように頭を下げる。


 「もう、それくらいにしてください。今日はパトラ女王とビネガーの婚姻の日ではありませぬか」


 なに?冗談を言ってるのは、こいつらの方ではないか。だが、パトラの前にかしずく皆の顔は真剣そのものだ。ビネガーがパトラの手を取り、手の甲にキスをする。


 「なにをする」


 パトラは嫌悪感を覚え、とられた手を勢いよく振り上げる。その場を逃げ出そうとするパトラの両腕をヘミングとトールがそれぞれ片腕ずつ持って押さえつけた。ビネガーがパトラの顎を持ち上げる。


 そのまま口づけをしようとするビネガーに対して、パトラは思いっきり頭突きをみまった。ビネガーの口が鮮血に染まっていく。ビネガーの体が足元から消えていく。見ればヘミングとトールも、同じように体が下から徐々に消えていった。やがてパトラの視界がぼやけて、螺旋状に動き出す。


 「ここは・・」


 パトラが目を覚ますと、裕也と同じように塔の床で眠っていた。パトラの意識が戻ったことに気づいた裕也が、急いで駆け寄ってくる。


 「大丈夫か?パ・・ラートパさん。酷いうなされ方をしていたみたいだったけど」


 どうやら悪夢を見ていたらしい。ここは暗闇の塔の十五階だ。起きているのは裕也とパトラだけで、リーアとエリスはまだ眠っている。と、リーアが勢いよく、喚き声をあげて、起きだした。


 「もうマスターってば。流石のボクでも、これ以上は食べられないよ!」


 その一言で、リーアが何の夢を見ていたのか、大体想像がつく。おそらくメンバーの中で一番、能天気で幸せな悪夢を見ていたに違いない。後はエリスだけだ。



**************************************



 「ママ、行ってくるね」


 「気を付けるのよ」


 エリスは自分の娘を見送る。朝の食卓をかたずけ、部屋の掃除を始めるエリス。すると、その尻を撫でてくる自分の旦那がいた。


 「もう、裕也。朝からなにしてんのよ」


 エリスは裕也の手をつねりながら、持ち上げる。痛い痛いと喚き声をあげる裕也。その手を乱暴に解放し、エリスはテキパキと作業を進めていく。


 「あなた、今日は大事な商取引があるんでしょ。こんな時間まで家にいて大丈夫なの?」


 「まだ大丈夫だ。それに・・」


 そこで裕也は一旦会話を研ぎらせる。エリスは首をかしげて裕也を見る。


 「出来るだけ長い時間、エリスの顔を見ていたいから」


 途端に顔を赤くするエリス。手に持っていたホウキを裕也にぶつける。


 「もう、朝から人をからかうんじゃないの」


 文句を言いながら、嬉しそうな顔をするエリスだったが、その表情が一変する。


 「あなた、どうしたの?」


 裕也の体はエリスにホウキで殴られたところから、腐り始めていく。顔を青くし、悲鳴をあげるエリス。その視界が歪みだす。裕也も、周りの家も色あせて消えていく。悪夢から目を覚ましたエリスは自分が塔の石畳の上に寝ていたことに気が付いた。


 「・・私、一体どうしたのかしら」


 エリスも、他のメンバー同様に目を覚ました。冷たい石の感触が、やけに新鮮に感じる。自分が今、暗闇の塔を登っている途中だったことを思い出す。


 「よかった、エリスも目覚めたようだ。これで全員、そろったな」


 裕也たちは、エリスの無事を喜び、改めて今いる自分たちの状況を再確認した。塔の十五階の扉を開けて、中の部屋に入った瞬間、みんな、それぞれの悪夢に囚われて、そのまま地面に眠ってしまったのだ。


 「しかし、えげつないことするよな。最初は自分の願望の世界に身を置かせて、それを最悪の状況で裏切らせるんだからさ。って、みんなの見た夢もそんなかんじで合ってるか?」


 裕也の確認に、パトラもリーアも力強く頷く。


 「ええ。私も最初はいつもの、自分の環境にいたの。でも、一番、起きて欲しくないことが起きてしまった」


 パトラは夢で見た内容を思い出し、身震いさせる。身の毛もよだつような状況だった。思い出すだけで寒気がする。


 ただ、リーアの夢は舌がとろけるようなスイーツを、裕也とカレンが次々に作っていくという、もはや悪夢でも何でもないだろと突っ込みを入れたくなるような、平和なものだったらしい。


 目が覚めたときも、ただ、お腹がいっぱいになったからという、実にほのぼのとした理由だ。リーアにそれ悪夢じゃないからと言ったら、悪夢だよ。だってボク本当なら、何倍も食べられるはずだもんと返された。裕也たちが、揃って呆れたのは言うまでもない。


 最後にエリスだが、自分の見た夢を思い出すメンバーの中で、彼女だけは夢の内容を思い出して、顔を真っ赤にさせていた。


 「冗談じゃない。なにが自分の願望だって。私は認めない。認めないぞ」


 激高するエリスを、周りのみんなが慰める。裕也がエリスの肩をポンポンと叩く。


 「そう言うなって、エリス。悪夢なんだから、仕方ないだろ。どんな夢かは聞かないでおくからさ」


 「当り前だ。特にお前にだけは、絶対に、死んでも言わん」


 俺って、エリスにそこまで嫌われるようなことしたかな。しょげる裕也だったが、エリスは裕也を見て、ますます顔を赤くし、その照れを隠すように先に歩みだした。


 「あれ?でも、ここの罠って、これで終わりか?確かに悪夢には違いないが、”己の味方を見失うことなかれ”には合ってないよな」


 「そうね。別に嫌な思いをするというだけで、何か危険な罠というわけでもなさそうだし・・」


 裕也たちは、そのまま部屋を後にして、立ち去ろうとする。が、想像していた通り、そのまま、はい、さよならとは行かなかった。部屋の中に妖艶な女性の声が響き渡る。


 「ふふふ・・私の提供する夢は楽しんでいただけたかしら?」


 この声は・・パトラには聞き覚えがあった。昔から数多のシスイ王国の強者どもを見るも無残に葬りさってきた、古代からの人の夢を操る怪物。この敵にはどれだけ多くの数で臨んでも勝ち目はない。パトラは警戒心を最大限に高めて、裕也たちにも鋭く注意を促す。


 声はやがて一つの箇所に収束し、その実態を露わにする。あれ?裕也はその姿に、とても親近感を覚えた。


 「おまえ、サキュバスか?」


 「いかにも。私は古より、この地方に住み続けるサキュバスクイーン。お前たちは、ここで、誰が敵か味方かもわからない壮絶な戦いをすることになる・・」


 サキュバスクイーンは、裕也たちの前に幻を作り出そうとする。敵を前にして警戒を強める一同。特にこれまで、どんなモンスター相手にも冷静だったパトラが額に汗を浮かべて、息をのむ。なんとか、全滅だけは避けねば。


 最悪、ここは逃げるのも手だろう。頭の中であらゆる策を考え出すパトラ。だったが、裕也は、そんなパトラや他の仲間の思いを完全に無視し、心からの親しみと尊敬の念を抱いて、サキュバスクイーンに近づいていった。


 「いやー、俺、サキュバスのファンなんです。温泉すっごい気持ちよかったですよ。絶対にまた行きます。あ、サリーって知ってます?あと、ニーナさんとか」


 「サリーにニーナだと・・?」


 これから何かを仕掛けようとしていたサキュバスクイーンだったが、裕也があげた名前に、動揺しはじめる。動揺しているのはパトラも同じだ。またしても、裕也は何かをしでかすというのか。パトラの考えをあざ笑うかのように、今度はリーアが親し気にサキュバスクイーンとの会話に混ざる。


 「あ、そうだよね。マスター、ニーナさんの誕生祝いしてあげたんだもんね」


 「ば・・ばかな。人間が、サキュバスの誕生祝い・・それに温泉だと?どうなってるんだ、この世界は?」


 あ、あれ?この人、サキュバスクイーンなのに、サキュバス温泉のこと知らないのかな?裕也はサキュバスクイーンに、エリスとパトラには聞こえないように、ニーナたちとのいきさつを、小声で耳打ちした。驚くサキュバスクイーンに、不審な目で見るエリス。


 そしてサキュバスクイーンと親しげに話す裕也とリーアに対して、驚愕の表情を浮かべ続けるパトラ。理由は分からぬが、裕也が他の誰にも聞こえないような小声で話していることと、何か関係があるのだろうか。使い魔の精霊が、何故か顔を赤くしながら、不機嫌な顔をしてるのも気になる。


 「私は、ずっとこの世界にとどまり続けてきた。だが、他の同胞たちは、人間と上手くやっているのだな。それに、ニーナが特に世話になったとのこと。事情を聴いてしまった以上、お前やその仲間に攻撃を加えるわけにもいくまい。仕方ない。ここは通してやる。それにこれは仲間を救ってくれた、ささやかな礼だ」


 サキュバスクイーンは裕也の額に軽く口づけする。裕也の頭が、僅かに白く光る。


 「これは一体?」


 「時期に分かる。サキュバスクイーンからの祝福だと思ってくれ。サリーやニーナに宜しくな」


 サキュバスクイーンは、そのまま暗闇の塔を後にして、どこかに飛んで行ってしまった。


 「えっと・・なんか、よく分からないけど、突破出来ちゃったみたい。”己の味方を見失うことなかれ”は結局なんだったのか、不明だけど。多分、本来はサキュバスクイーンが何かやらかしてくるんだろうな」


 「流石はマスター。知らないうちに解決しちゃったね。でもさ、一つだけ聞いてもいい?」


 「なんだい、リーア。俺は今、機嫌いいからなんでも答えるよ」


 「サリーと何してたの?」


 裕也はリーアの質問を無視して、そのまま十六階へと向かっていった。エリスも激しく突っ込みをいれてくる。裕也はしどろもどろになって弁明を続ける。


 パトラは一人、唖然としていた。シスイ王国の誰もが倒せなかった怪物を、裕也はいとも簡単に交渉で追い払ってしまった。それどころか、サキュバスクイーンはどこか裕也に優しそうだった。あの怪物が人に優しくするなど、どれほどの器の持ち主だというのか。


 これまで、ただ戦闘で足手まといにしかならなかった裕也だったが、考えを変える必要があるとパトラは考える。本当はそんな必要、全くないのだが。


 パトラの頭は完全に混乱しきっていた。裕也が巨人やサキュバスクイーンを攻略したのは、紛れもない事実だ。だが一方で、砂漠や塔の雑魚モンスターにも手を焼いている。少なくともパトラの目には、そう見える。


 ・・演技か。パトラはひとつの誤った結論に行きつく。裕也は実は、この場の誰よりも強い、およそ常人とはかけ離れた力を持っているに違いない。だが、強者は得てして自分の力を隠したがるもの。わざと戦闘経験など全くないふりをしているのだ。おそらく、敵をだますにはまず味方から、というやつだろう。


 そうだ、アストレアの戦争を止めたのも、裕也だった。六大魔女とも親しい関係を築いている。そんなの、余程の強力な力の持ち主でなければ不可能だ。


 もはや、パトラは自分の頭の中で勝手に組み立てた誤解を、真実として疑わない。こういう周囲の誤った自分勝手な考えと思い込みが、いつも裕也を、理不尽に苦しめるのだ。


 おかげで裕也は、自分の力量を遥かに上回るトラブルごとに巻き込まれてしまう。裕也からしてみれば、はた迷惑なこと、この上ない。これまで様々な問題事に向き合ってきた裕也だが、内心では出来るだけ、平和でまったりした生活を望んでいる。


 裕也自身はルーシィの遊び相手になってあげたり、クレアに甘えたり、リーアから甘えられたり、カレンの手料理を食べたりすることこそが、何より心地よい時間の過ごし方なのだ。サキュバス温泉だけは別格だが、あれはベクトルが違う。パトラはそんな裕也の心の願いに、全く気付くことなく、裕也にある頼みをした。


 「裕也さん、お願いがあります」


 裕也がパトラを振り返る。他のメンバーも同様だ。


 「どうしたんだよ、ラートパさん。改まって、なんかあったのか?」


 「ラートパではありません。まず、私の正体を明かさねばなりませんね。騙すつもりはなかったのですが・・黙っていて申し訳ありませんでした。すぐに信じてもらえないかもしれませんが、私は、この国の女王パトラです」


 リーアとエリスが目を見開く。裕也は別の意味で驚いた。わざわざ彼女が自分から正体を明かしてくれるとは思ってなかったからだ。


 「ふふっ、裕也さん。あなた、やっぱり私の正体に気づいていたんですね」


 「本当なの、マスター?」


 「そうなのかよ、裕也?」


 リーアとエリスが揃って裕也を見る。裕也はポリポリと頬をかいて、パトラに答えた。


 「ええっと、まあ、はい。でも、なんか理由あるんだろうし、聞かないほうがいいんだろうなって」


 「流石です。裕也さんは、なんでもお見通しですね」


 「いや、なんでもというわけでは・・」


 パトラのサキュバスクイーンに勝るとも劣らない、妖艶な笑みに焦る裕也だったが、パトラは構わず裕也の手を両手でつかむ。裕也は、パトラの温もりを感じて、柄にもなく心臓をバクバクさせる。


 「えっと・・」


 「裕也さん。私の頼みを聞いてくれますか?」


 「あ、はい。俺に出来ることなら・・」


 この返答は裕也の痛恨のミスだった。パトラは嬉しそうに裕也の手を持つ力を強める。


 「この国を・・シスイ王国を救ってください」


 「はい?」


 裕也はパトラの言葉の意味が全く理解できなかった。リーアとエリスも同様だ。パトラはゆっくりと、シスイ王国で蠢くビネガーたちのことを語り始めた。



**************************************



 ・・冗談じゃない。なんで俺が、そんな物騒で頭のイカれた奴と戦わなきゃならん。しかもジェシカの時と異なり、ただのむさいおっさんという話じゃないか。危険なうえに、何一つメリットがない。


 イカれた奴との戦いは以前にもあったが、そのとき襲い掛かってきたジェシカの場合は、目の前で兄を惨殺されるという、彼女が心に深い傷を負っていたことを過去視の力で偶然知った。しかも、当時の彼女は正気ではなく、自分の意志すら失っていたのだ。

 

 だからこそ、ジェシカを救ってやりたいという衝動にかられたし、事実、そのために裕也なりに尽力した。今では、ジェシカは裕也が心許せる大切な仲間の一人だ。色々とルーシィの面倒も見てもらっている。


 しかし、ビネガーについてはパトラからの話を聞く限り、全くその類の衝動は起きそうもない。そりゃ、パトラ女王は魅力的だ。出来ることなら力になってあげたいとは思う。だが、それとこれとは話が別だ。


 「えっと、パトラ女王・・」


 「ふふっ、ここではパトラと呼んでくださいな」


 パトラは裕也の前で、これまで見せたことのないような、あどけない少女の笑みを浮かべる。その魅力に打ちのめされる裕也だが、話が大きくならないうちに、きっぱりと断る必要がある。アストレアの二の舞は避けなければ。


 「じゃ、じゃあ、パトラ。何か勘違いされてるみたいだけど、俺は、勇者でも英雄でもない。ただの平凡な一市民です」


 「そのふりをしているのは分かってます。安心してください。誰にも言いませんから」


 ふりじゃない。断じて、ふりではないぞ。いかん。裕也の中に悪い予感が走る。これまで何度か体験した光景。パトラが知らない間に、何かわけのわからない結論に行きついてしまったのだ。これまでも、何回かあったが、裕也自身は、別に思わせぶりな言動をしたり、誤解を招くような発言をした覚えは全くない。


 それどころか、これまでの経験から、出来るだけ、こういった誤解を招かないように、裕也なりに密かに気を使っていたのだ。なのに、なんでこうなる?


 「パトラ、はっきり言うぞ・・」


 そこで、裕也は言葉に詰まってしまった。パトラが純粋な目で裕也の目をのぞき込んでくる。やめろ。反則だ。その目に逆らうことは出来ない。人を石にするメデューサの目とは、これのことだったのか。さすがは暗闇の塔。多くの罠を内包している。


 「私が、お嫌いですか?」


 「いえ、そんなことは断じてありません」


 「では、私の頼みを聞いてくれますか?」


 「はい、俺に出来ることならなんでもします」


 ・・しまった。裕也は激しく後悔する。なんて用意周到な誘導尋問。相手は一国の頂点に立つお人だ。一小市民に過ぎない裕也の心を操るなど、造作もないのだと今更ながら自覚する。裕也が単純脳みそで、チョロイだけとも言えるが。パトラは裕也の手を取り、自分の胸にあてた。よせ、それ以上の誘惑はもう無理だ・・


 「嬉しい。裕也さん」


 パトラは極上の笑顔を浮かべる。裕也はとどめを刺された。もはや抵抗する気力はない。これだけの美女に、こんな形でお願いされて、一体誰が逆らえるというのか。ああ、くそ。ルーシィを母親に会わせてやりたい。ただそれだけが目的で来たというのに。


 ビネガー?どこのお酢だよ。誰でもいいから、勝手に飲み干してしまえ。なんで、そんな会ったこともない、物騒なやつを相手にしなきゃならん。俺が何をしたというのだ。


 「あーあ、マスターが約束しちゃったよ。ボク、もう知らないよ」


 「まったく、裕也といると退屈しないよ。しょうがないから、私も力貸してやるさ、宜しくな。パトラ」


 裕也の思いも虚しく、リーアとエリスも同意してしまう。っていうか、エリスはともかくとして、リーアは絶対、俺の心境知ってて、わざとやってるだろ。白猫亭での仕返しか?


 とは言え、周りも固められてしまった。もう逃げ場はない。裕也はパトラに握られた手に柔らかな温もりを感じながらも、心の中で勘弁してくれと泣いていた。



**************************************



 パトラは満面の笑みを浮かべ、その後ろを裕也が悲痛な表情を浮かべて、一同は暗闇の塔を登っていく。もうすぐ、鏡の最後の文言、”己の道を見失うことなかれ”に関わる罠が待ち受けるはずだ。


 二十階まで、登り詰めた裕也たちだったが、今度は迷路状でも、大広間でもなく、狭い螺旋階段が上に向かって延々と続いていた。もうすぐ、頂上が近いのかもしれない。そして、ここまで来てようやく、暗闇の塔の名前の由来が分かった。


 文字通り、明かりは何もないのだ。リーアの火の魔法も、一応、使えはするものの二、三分もしないうちに消えてしまい、灯り替わりには出来なかった。一寸先も見えない状態で、足元に気を付けながら、裕也たちは黙々と階段を登っていく。


 螺旋階段に入ってからは、モンスターも一匹も遭遇していない。それがかえって、不気味さを煽ってくる感じを受ける。


 裕也は、階段に登っている間、ここが見覚えがあることに気づいた。ニースの過去視をしたときに、見えた光景だ。あのとき、ニースとシルヴィアはこの階段にいた。過去視のビジョンでは、明かりが灯っていたが、それ以外の違いはない。


「しかし、長いな。一体どこまで続くんだ?」


 気が付けば、疲弊しているのは裕也だけではなかった。戦い慣れして体力に自信のあるはずのエリスやパトラまで、息が切れ始めている。真っ暗なので視覚的には何も見えないが、二人の荒くなった息遣いが聞こえてきていた。螺旋階段は、まだまだ終わりが見えない。


 「裕也、大丈夫か?お前の体力じゃ、ここは相当きついだろ?」


 「ああ、平気だ。本当にやばくなったら、声上げるよ」


 エリスはさりげなく裕也のすぐ後ろを歩くようにし、裕也が何かあった時に、すぐにサポートできる体制をとっていた。エリスの場合、目は見えなくても、気配である程度の周囲の動きは把握できる。


 一方、パトラは、疲れた息遣いをする裕也に対して、私にまで演技しなくてもいいのに、と勝手な思い込みを取り消そうとはしなかった。パトラの中では、いつの間にか裕也は超人ヒーローのような扱いになっている。それが、どれだけ当の裕也を困らせるかなどは、想像すらしない。


 裕也は、だんだん苦しさが増してきた。ただ長く歩き続けているからという理由だけではなさそうだ。高い場所に行くにつれて、空気が薄くなっていることも関係しているのかもしれない。


 ただ登るだけでもこれだけ大変なんだ。誰だか知らないが、この塔の階段を造った奴は、相当な思いしたんだろうな。


 裕也は階段を登っていく中で、塔を作り上げた先人たちに、心の中で、ご苦労様と労いの声をかける。ふと、そこで違和感に気づいた。


 ・・誰だか知らないが、この塔の階段は、誰が、何のために、そして、どうやって作ったんだ?・・


 文明の進んだ現代日本の建築技術を持ってしても、これだけの階段であれば、かなりの人月コストを要するのではないだろうか。しかも、言っては悪いが、この世界の文明技術は、せいぜいが中世のヨーロッパ程度。


 まあ、その代わりに魔法やら、不可思議な力なんかもあるので、魔力なりなんなりを使って、階段ぐらい作れるのかもしれない。いや、だとしても、おかしい。そいつは何のために、こんなに長い螺旋階段を塔の上部に作った?


 普通なら塔と言えば、見張り台などの用途で使うんじゃないだろうか。例えば港町に建てておき、海上に異変があったり、船の事故が起きてないか確認し、何かあれば迅速に対応や救助が出来るようにするものだろう。


 他にも戦争下での敵国の動きの観察など、使い道はあるのかもしれないが、こんな辺鄙な砂漠でわざわざ高い塔をなぜ建てる必要がある?


 天空城に行くため?でも、転移装置とやらがあるなら、場所はあんまり関係ないんじゃないのか?それとも転移装置は、限られた距離しか運べないなどの制限があるのか?だから、出来るだけ、天空城の近くまでは歩いてこさせて、そこから転移させる・・


 一応、辻褄が合わなくはない。でも本当にそんな理由なのか?いちいち城に行くのに、こんな厄介な塔を何度も昇り降りしなきゃならないなんて、生活スタイルに支障はきたさないのか。


 裕也はここまで自問自答し、やがて一つの考えを思いついた。巨人は幻だった。サキュバスクイーンは、本来は夢を操り、侵入者を襲う魔物。だとしたら、この階段だって、夢とか幻の類だとは考えられないだろうか。それにただ階段を盲目的に登ることが、”己の道を見失うことなかれ”に合致すると言うのも変だ。


 まさか、この階段そのものが、幻なのか?このまま登り続けても、永遠に出口には到達できない。それとも逆に、そういう風に思わせて、階段の途中で、足止めさせる罠か。


 「リーア、頼みがある。お前の得意の魔法を、螺旋階段の真ん中上部に向けて、思いっきり打ってくれ。出来るだけ、空高くまで届くように」


 裕也は、リーアに指示を出す。リーアは、普段は裕也と丁々発止でやりあうが、こういう時は驚くほどに素直に指示に従う。裕也とリーアは、表面上でどんな喧嘩をしていても、心の奥底では互いを深く信頼しあっていた。


 「任せてよ、マスター」


 リーアは裕也の言う通り、ありったけの魔力を込めて、炎の魔法を上に打ち上げる。打ち出された炎は、すぐに裕也たちの視界では見えないほどに遠く駆けあがっていく。


 「次はどうすればいい、マスター。ボク、何でもするよ」


 「だったら、俺と一緒に、螺旋階段の真ん中下部を見張っていてくれ」


 「下部?上部じゃなくて?」


 「ああ、下部だ。俺の想像が正しければ、ちょっとしたマジックショーが見られるはずさ」


 リーアは裕也の肩に乗り、言われた通りに螺旋階段の下部を見る。これまで登ってきた形跡も見えない、漆黒の闇が何処までも広がっている。


 「!」


 リーアは目に信じられないものを見た。たった今打ち出したリーアの魔法の炎が、螺旋階段の下から、裕也やリーアをめがけて近づいてくる。咄嗟に裕也の陰に隠れるリーア。炎は裕也のすぐ目の前を通り過ぎていった。


 「マスター、これは・・?」


 裕也はリーアの疑問には答えない。その代わり、独り言を一言つぶやく。


 「やっぱりな」


 しばらく逡巡した裕也だったが、意を決するとエリスとパトラに聞こえるように大声で、周囲の誰もが疑う言葉を叫ぶ。


 「みんな、俺を信じて、一緒にここから飛び降りてくれ」


 暗闇であたりが見えなくても、二人が驚く様子は手に取るようにわかる。


 「ば、ばかか?どうしたんだ、裕也?」


 「正気ですの?裕也さん」


 裕也は落ち着いた声で、二人の説得にかかった。


 「エリス、パトラ。聞いてくれ。この階段はおそらく実在しない。少し考えにくいとは思うが、俺たちは全員で同じ幻を同時に見ている。巨人の時もそうだった。何故ここだけ暗闇で覆われていると思う?塔に挑む冒険者への嫌がらせか?違う、そんな理由じゃない。実は俺たちがずっと同じ場所を旋回していることに気づかせないようにするためさ」


 「マスター、同じ場所って・・あ、だからボクの魔法・・」


 「そうだ、リーア。リーアの放った魔法は、実はぐるっと一周して、元の位置に戻ってきたにすぎない。それも、ごくごく短い距離だ。この螺旋階段の風景が位置関係を惑わせているが、ここは本当は階段なんかじゃない。上下方向への進みはない。ドーナツ状に同じ場所をぐるぐる回ってるだけなんだ」


 そこまで一気に言い切った裕也は、自分が言ったことを証明するかのように、螺旋階段の中央に飛び込んだ。どこまでも落下すると思われた裕也だったが、気が付けば、大きな緑色の六芒星の描かれた床の上に寝ていた。すぐ隣にはリーアがいる。リーアは裕也の言葉を真っ先に信じて疑わずに、誰よりも先についてきていた。


 残されたエリスとパトラは、変わらず螺旋階段の途中で止まっている。飛び降りてしまった、裕也とリーアの姿は見えない。と、今度はエリスが螺旋階段の中央に飛び込もうとする。パトラはエリスを慌てて止めた。


 「待って、エリス。裕也さんの言うことが確かだって証拠はあるの?」


 エリスはパトラを見て、小さく口元に笑みを浮かべる。


 「証拠は、あいつがこれまでに見せてきた、行動結果だよ。裕也はさ、普段はどうしようもなく弱くて頼りない癖に、最後には、物事をいい方向に持って行っちまう不思議な力の持ち主なんだ。これだけは、どんな優れた剣や魔法の使い手でも真似できない。私があいつを信じるのは、それが理由さ」


 少しだけ頬を赤らめたエリスは、そのまま螺旋階段の中央に飛び込んだ。パトラは一人残される。


 「裕也さん、あなた、一体何者なの?戦闘力が弱いのは本当ってこと?でも、それじゃ彼のこれまでの功績の説明がつかない。分からない。私の周りには今まで、いなかった人物・・」


 パトラはここでようやく、裕也を無敵のヒーロー扱いするのをやめた。裕也を完全に信じたわけではなかった。しかし、それでも裕也に従うのがここは正しいと直感する。


 「ままよ・・」


 パトラも螺旋階段の中央に飛び込んだ。全員が緑の六芒星の床の上にのる。六芒星がまばゆい光を放つ。光に飲み込まれた裕也たちは、天空城へとワープした。




 

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