第7話 準備、再会、そして再戦

 体中が熱い。あの日、ヨシュア兄さまが得体のしれない輩に無残に殺された時から、何も感じられなくなった。まともな思考など、とっくに放棄していたが、その自覚すらなかった。


 惨殺事件が起きてしばらくした後、自分がミラーという当時の六大魔女から、力の継承をしたことだけは、かろうじて覚えている。六大魔女の一人となり、あの方にお仕えすることになったが、まともに周囲と連携をとって、命令をこなすには、あまりにも病みすぎていた。


 あの方はとても落胆していた。けれど、それもどうでもいい。ヨシュア兄さまがいない世界のなど、流れる水の一滴のようなもの。すぐに目の前を通り過ぎて消えていくだけ。ああ、そうか。私は死ねないんだった。だったら、この苦しみはいつまで続く?


 復讐しろと囁きかけてくる声が聞こえる。ヨシュア兄さまが殺されたあの日から、何かが自分の脳の中に潜り込んだ感覚を覚える。声は色々なことを命令してきた。気が乗らなければ無視し、気が乗れば従ってあげた。


 最近になって声はラング王国という国に行くように命じた。他にすることもないし、今回は声の言うことを聞いてあげることにした。こんな世界のことなど、どうでもいい。兄さまの好きな色で染め上げて、空から見てくれている兄さまに届けるだけだ。


 兄さまを弔う喪服とベールに身をつつみ、もう一度、クリスティーとやらの館に向かう。館に住むルーシィーという少女を眠らせろ。声は命令する。


 最初にクリスティーの館の風呂場でルーシィーに会ったときは、ヨシュア兄さまと最後に会話した当時の自分と同じくらいの年齢に見えた。素直そうないい子だったので、喉に穴を開けて、苦しまずにしとめてあげたはず。


 後になってしとめそこなったことが分かり、館で開催されていた舞踏会の招待客として紛れ込んだが、そこでもまた思わぬ邪魔が入って、仕留めそこなった。別にルーシィーとかいう小娘に恨みがあるわけではない。ただ、声がそう命じるから従ってあげただけ。


 後もう一回だけ、会ってあげて、それでもルーシィーとやらが生き残るのなら、それもいいだろう。こんな世界のことなど、どうでもいい。兄さまがいない世界のことに興味はない。死のうとしても死ねないから、退屈を持て余してるだけだ。そういえば、舞踏会には可愛い精霊と精霊使いもいた。もしまた会えたなら、一緒に兄さまのところに届けてあげるのもいいかもしれない。



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 「せああっ。はあっ。とうっ」


 クレアが持つ木刀の的確な攻撃が、裕也を左から襲った。なんとか体をひねって躱して、顔をあげて反撃の機会をうかがう。が、すでに遅かった。裕也の喉元にはクレアの木刀の先が突き付けられていた。


 「・・まいりました。やっぱり、全然かなわないですね。こんなんで大丈夫かな」


 「裕也さんは避けるときの動作が大きすぎるんですよ。だから、次の攻撃に備えるまで時間がかかってしまう。隙も大きくなるし、疲れだって溜まりやすくなります。もっと最小限の動きで避けるようにしてください」


 裕也は喪服女の襲来に備えて、考えられる準備はしておこうと思い、いろいろ動いていた。まず、クリスティーには裕也の指示した特別な配置の部屋の準備をしてもらう。


 もっとも、何か仕掛けがあるとか、置いてある家具が特別という意味ではない。どこにでも売られている家具を並べているだけではあるが、裕也だけが知る特別な部屋だ。それとクリスティーにはもう一つ。衣装も特別なものを発注させてもらった。これには教会の協力もとりつける必要がある。


 次にルーシィー。喪服女に一番狙われている存在なので、万が一を考えて、クリスティーの手配した隠れ家に身を移させた。


 そして今、裕也はクレアに剣の稽古をつけてもらっている。なかなか体を思うように動かすことが出来ず、すぐに息切れする裕也であったが、少しづつクレアと剣を合わせられる時間も増えてきたように感じる。それでも、傍から見れば一瞬で即負けしている事実には変わりないのだが。


 アルシェがお盆に水をのせて裕也とクレアのもとに運んでくれた。汗をかいた後に飲む水は、裕也の熱くなった体を気持ちよく冷やしてくれる。裕也は半分まで飲み干した後、残りの水を自分の頭に振りかけた。


 「あーあー、マスターってば情けないの。クレア姉に一撃ぐらい、いれてみなよ」


 「無茶言うなよ、リーア。クレアさんは何年も剣の腕を磨いてきた人なんだぜ。数日前にはじめて剣を触った俺とは年季が違い過ぎる」


 「もう、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。いつあの女が攻めてくるか分からないんだよ。ボクは死にたくないし、マスターにも死んでほしくない。だから・・」


 リーアがまた泣き顔になっている。どうもリーアの涙腺は緩くなっているんじゃないかと心配する。しかし、リーアからすれば得体のしれない、力では敵わなず、逃げることも出来ないとわかっている敵が、いつ襲ってくるか分からないのだ。


 恐怖感情が高まるのは無理もない。ほかの面々も同じだ。むしろ、冷静な裕也の方がどうかしてるのかもしれない。


 戦いで一番頼りになると思っていたハルトはすでにこの場にはいなかった。ハルトは出発時間ぎりぎりまで、自分が喪服女との戦いに参戦出来ないことを悔やんでいた。任務なのでやむを得ないのだが、アストレア軍に早急に戻らなくてはいけないことと、この場に残って裕也たちの助太刀をしたいというジレンマに思い悩んでいたようだ。


 そんなハルトだが、結局、母であるクリスティーに説得され、今朝ここまで飛んできた翼竜に乗って、戦場へと戻っていった。


 「リーア、安心しろよとまでは言わないけどさ、必要以上に心配ばかり大きく膨らませてもしょうがないだろ。どうしてもダメなときもあるかもしれない。だけどあがくだけあがいてやるさ。それに、案外簡単に解決する可能性だってある」


 「ねぇマスター、マスターの中では何か勝算があるんだよね。なんでボクたちに教えてくれないのさ」


 「教えたいのはやまやまなんだが、やむにやまれぬ事情ってもんがあんだよ」


 別に好きで自分の考えを隠しているわけではない。裕也が自分の体験、触れた人間の記憶の一部を読み取れる力のことを誰かに話そうとすると、死んだほうがましだと思えるくらいの、わけのわからない苦しみに襲われるため、誰にも言えないだけだ。


 どこまでが発言可能で、どこからが苦しみに襲われるのか。裕也はいくつか実験を試みた。まず記憶を読み取る力そのものについては完全にアウト。苦しみに襲われ、立つことさえ困難になってしまう。


 記憶を読み取った時に、知った人物名や状況などは、今のところ大丈夫なようだ。もっとも、筋道立てて全部話したわけではない。リーアやハルト達との日常会話の中にさりげなく、喪服女の記憶から読み取った、ヨシュア兄さまやジェシカといった単語を含めて話してみただけだ。


 話し相手は意味が分からずきょとんとしていたが、何でもない、言い間違いとごまかした。この程度であれば、苦しみは襲ってこないらしい。


 稽古をおえた後、裕也たちは応接室にあるソファに座り込み、風呂で汗を流す順番待ちをしていた。最初はクレアが風呂に入っている。裕也がソファでぐったりしていると、エプロン姿の上から、ヒョウ柄のガウンを羽織り、黒長のブーツを履いた女性がトレイにポットとバスケットを持って、部屋に入ってきた。


 「おめーら、こんなとこで油売ってたんかヨ。暇こいてんなら、手伝ってくれヨ。館の修理、まだ残ってんだぜ」


 「なんか、お前の声を聞くのも、久しぶりってかんじがするぜ、カレン。元気してたか?」


 「・・毎日ツラ会わせてんだろーがヨ。それともオレがあまりにも魅力的過ぎて、まともに顔も見れなかったかヨ?」


 恰好からも口調からも判断着きにくいが、カレンは館で雇われているメイドだ。これでも料理の腕は確か。掃除も洗濯も、その他クリスティーから任されている仕事は卒なくこなす腕をもっている。ただし、会話で人をもてなすということが出来ないため、パーティー会場の受付程度ならともかく、長時間の接客には向いていない。


 「自分で言うか?ま、おまえが美人だってことは認めるけどさ。口を閉じればもっと美人になるぜ」


 「あ?喧嘩売ってんのかヨ?いいぜ、高値で買ってやるヨ。いつでも来いヨ」


 「悪いが、そんな体力残ってねーヨ。クレアさんの稽古でくたくたなんだ。ゆっくり休ませてくれや」


 裕也はソファの上で座っている姿勢を崩し、ソファの上で横に寝転がる。裕也の肩の上に座っていたリーアは小さく悲鳴をあげて飛び上がり、寝転がった裕也の腹の上に乗りなおして、あぐらをくんだ。


 「ったく、だらしねーな。ほらヨ、差し入れだ」


 「おっ、サンキュー。気が利くじゃん。丁度腹減ってたんだ」


 カレンはソファの前に置かれているテーブルに、持ってきたサンドイッチの詰まったバスケットを置き、裕也たちにポットから注いだコーヒーを渡す。


 正確には、こちらの世界にコーヒー豆というものがなく別の豆を使用しているため、裕也の元居た世界のコーヒーとは別物なのだが、製法も香りもほとんど同じ。味の違いだって気にならない程度の些細なものだ。こだわりある人たちなら気にするかもしれないが、裕也はその人たちに含まれない。


 サンドイッチは卵入りと、鶏肉入りが用意されていた。具を包み込んでいるパンは焼きたてらしく、手に持つとまだ熱が残っている。口に含むと、パンの香ばしさと柔らかさが口の中一杯に広がっていく。申し分のない旨さだ。


 「それで、準備の方は順調に進んでんのかヨ?イカれた喪服女がいつ来るか、分からねーんだろ?」


 「思いつくことはやってるってかんじかな。クレアさんが味方に加わってくれたのが大きいな。向こうから仕掛けてきても、突然ゲームオーバーにはならないだろ」


 「だけどヨ、相手は剣の攻撃は通用しないんだろ。魔法も他の攻撃も」


 「それどころか攻撃した側に同じ傷を負わせてくる。だからクレアさんにも、牽制だけに専念して、間違っても斬りつけるようなことはしないように言ってある」


 話を聞きながら、リーアもサンドイッチに手を伸ばす。焼きたてのパンが思ったより熱かったみたいで、思わず手を引っ込める。恐る恐る、もう触っても大丈夫なところを手探りで探しながら、ようやくパンをつかみ、小さな口のもとに持っていく。そのしぐさが意外にも可愛かったので、裕也は思わず見とれてしまう。


 「なんで、おまえはそんな物騒な敵が襲ってくるって分かってて、そこまで落ち着いてられんだヨ?」


 「考えたって、しゃーないからさ。頭がよくないから、いい策を思いつけるわけでもないし、かといって落ち込んでてもしょうがないじゃん?」


 「・・ったく、何考えてんだヨ。言っとくが、オレは危なくなったら即逃げるからな」


 カレンもソファに座り込み、持ってきたコーヒーを自分のカップに注ぐ。淹れたてのまろやかな香りがあたりに充満する。


 「ああ、それはそうしてくれ。今すぐにお暇もらったって、構わないんだぜ。なんでまだ館に残ってんのか、そっちのほうが不思議だよ」


 「それはお前らが心配だから・・、じゃねーヨ。喪服女が襲ってきて、クリスティーが襲われちまったら、他に仕事探さなきゃならなくなるからだろうが」


 「なにその分かりやすすぎるツンデレ、こっちが驚くぜ。そっかそっか、心配してくれてんのか。カレンも見かけによらず可愛いとこあんのな」


 「だから違げーって言ってんだろうがヨ。まじで喧嘩売ってんのかヨ」


 顔を真っ赤にして、まるで説得がないカレン。裕也とリーアは顔を見合わせて笑いを飛ばす。


 「おめーら、いい加減にしろヨ。オレはもう帰る。後で絶対ぶっとばすからな・・だからそれまで、絶対に生きてろよな・・イカれ喪服女なんざ、とっとと片付けちまえヨ」


 カレンは持ってきたトレイもバスケットも部屋に置いたまま、そのまま部屋を去っていった。なんだかんだ言っても優秀なメイドである普段の彼女なら絶対にしないミス。


 「ったく、しょうがねぇなぁ。あとで片付けといてやるか。・・ありがとうな、カレン」


 カレンと入れ違いにクレアが風呂から戻ってきた。クレアの洗い立ての髪からは、すごく心が安らぐ香りがする。


 「クレアさん、カレンがサンドイッチ持ってきてくれました。コーヒーもありますよ」


 「ありがとう、いただくわ。裕也さんもお風呂、どうぞ。お待たせしてしまって、ごめんなさいね。先に入ってくれて構わなかったのに」


 美味しいと手を口元にあてる仕草も、クレアがやると非常に魅力的になる。素敵な女性はどんなポーズをとっても素敵に映える。


 「何言ってんですか、もったいない。クレアさんの後に入るから、いいんじゃないですか」


 クレアは意味が分からず、”ん”と呟き、首をかしげる。リーアは意味が分かって、”ん”と呟き、裕也を睨みつける。

 

 「あ、いや、なんでもないです。行ってきます」


 「全く、変態なんだから。マスター、待って。ボクも一緒に入る。マスターの背中流してあげるよ」



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 「私が六大魔女の一人だって知ってるなら、他国との戦争に手を貸さないこともわかってるはず」


 ニースはルシファーの申し出を断り、ベッドに腰掛ける。アストレア軍との戦争に力を貸すわけにはいかない。六大魔女としての力を使えば、確かに今行っている戦争には勝てるだろうが、それは同時に諸国全てを敵に回すことになる。


 そもそもニースは戦争が嫌いだ。どんな理屈をつけたって、結局なくのは罪なき弱き者たち。窓から見える農民や子供たちが一番の負担を被るのだ。ルシファーはニースを見て、かぶりをふる。


 「誤解があるようなので、先に言っておくよ。アストレア軍との戦いに君の力を借りたいわけじゃない。むしろ貸さないでくれ。そのようなことをされたら破滅に繋がるだけだ」


 「戦争に利用するために、私を助けてくれたんじゃないの?」


 「はっきり言っておくけど、違う。君を戦争に巻き込む気などない。君の力を借りたいのは、戦争が終わった後の話だ」


 「どういうこと?」


 ルシファーの言葉の意味が要領を得ず、ニースは話の続きを聞くことにする。


 「君の六大魔女としての力、リストアの能力を貸してほしい」


 リストア、即ち元に戻す力。正確にはその場にあったものを、一定時間さかのぼって前の状態に戻せる能力。但し、戻せる時間は限定されている。また効果範囲も無限というわけではなく、ニースの目の届く範囲内でしかない。


 「リストアを使って何する気なの?あなたには助けられた恩があるけど、悪事に使うなら、お断りするわ」


 「やはり誤解があるようだね。もちろん犯罪や悪巧みに使うわけじゃない。政治的な利用でもない。一人の女性を助けるために力を貸してほしい。氷漬けにされた俺の姉シルヴィアを助けてくれないか」


 「シルヴィア・・どこかで聞いたような名前ね。どこだったかしら」


 「有名人だからね。少し大きめの街なら、たいがいの者は名前を知ってると思う。悪魔の子の母親と言えばわかるかい?」



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 裕也たちが風呂に行ってる間、クレアは一人応接室に残って、飲みかけのコーヒーを僅かに残し、うたた寝していた。サンドイッチが思いのほかボリュームがあったせいかもしれない。誰かの足音が聞こえて、目を覚ます。だが周囲を見回しても誰もいない。気のせいだったのだろうか。


 「あなたは何色が好き?」


 ふいに聞こえた声に驚く。いつの間にかクレアの目の前に喪服を着て、頭にベールを被った女性が立っていた。この女が裕也たちが言っていた侵入者に違いない。クレアの背筋に緊張が走る。手を腰の剣にあて、様子をうかがう。


 「さあ、私に聞かれてもわからないわ。好きな色ね。ピンクかしら」


 どうせ質問に意味などないだろうと判断し、適当に答えた。喪服女は頭にかかったベールを少しだけあげて、クレアを見つめる。


 「ピンクね。素敵な色だわ。あなたが素敵な人だからかしら。なんだか殺すのがもったいないわね・・」


 クレアは相手との間合いを一定以上に保ちながら、剣を抜き放つ。裕也との稽古では汗一つかかなかったのに、今は冷や汗が流れ出ている。聞いていた特殊能力のせいだけではない。目の前の女から発せられる禍々しい気に気圧されているためだ。


 「なんで、この館を襲うの?あなたの目的はなに?」


 「さあ・・私自身には何の目的もないわ。ただ、声が聞こえるだけ。この館に住むルーシィーという少女を眠らせろってね」


 質問には答えてくれているが、意味は全く不明だ。声というのは誰の声なのか。だがこの女が勝手に抱いている幻聴、幻覚であれば、ルーシィーの名前を知っているのもおかしい。


 ひょっとしたら、精神が破綻する前にルーシィーの名前だけは、どこかで聞いたことがあったのだろうか。そして錯乱後、女の頭の中で意味不明な挙動に結びつける。かなり荒っぽいが、一応筋道は通っているように思える。


 「考えてても仕方ないわね。いくわよ、まずはお手並み拝見させてもらうわ」


 クレアは身を低く構えて、剣を地面すれすれまで低く持つ。喪服女の足元まで滑らかな動きで身を運び、素早く剣を振り上げる。ただし、女に当てるのは剣の峰側。通常の方法で斬りつけてしまうと、ダメージがそっくり自分にかえって即致命傷となってしまう。


 喪服女は避けようともせず、手を僅かに動かす。たったそれだけの動作だったが、クレアは嫌な予感がし、とっさに後ろに飛びのいた。クレアがいた場所のすぐ近くに置かれていた椅子が、真っ二つに切り裂かれている。


 「あら、いい感してるじゃない。少し楽しんじゃおうかしら」


 冗談じゃない。クレアにそんな余裕はまったくない。今見た敵の攻撃だって、何をされたのか見当もつかない。椅子はあきらかに鋭利な刃物で切られたような切り口だったが、手に武器を持っている様子はない。


 「油断してると、後悔するわよ」


 クレアはそれでも怯むことなく、敵を牽制しつづける。敵の動きをよく観察し、絶えず動きながら、隙をうかがう。丁度あしもとにポットが転がっていたので、剣の先にひっかけて、敵になげつける。ポットは喪服女の手元に届く寸前で、寸断された。


 「またなの・・」


 クレアの焦燥感が深まっていく。相手に攻撃できないだけではなく、相手からの攻撃も何をされているのか全くわからない。とりあえず一旦退却か。しかし瞬間移動ができる敵から、どうやって逃げればいい。


 「まぁまぁ、もう終わりなのかしら。もっと頑張りましょうよ。ほらほら」


 喪服女は余裕を見せて、ゆっくりとこちらに歩みを進めてくる。どこにも逃げられない。クレアは確実に追い詰められていた。なんで自分はこんな危険な相手がくるとわかっていたのに、手を貸すなんて言ってしまったのだろう。


 妹のエミリーを助けてくれたのは感謝するが、その対価が自分の命なんて、あまりにも高すぎる。


 「いや・・こないで・・だれか・・」


 クレアは戦意を失いかけていた。もう逃げ出したい。裕也たちはどこに行った。ハルトは?ルーシィーは?なんで自分だけが、こんな相手と戦っている。喪服女が次に仕掛けたときが、おそらく自分の最後だ。短い人生、あっけない幕切れ。


 「あなたはピンクが好きだったのよね。だったら・・」


 「いーや、俺が好きな色は違うぜ、喪服のお姉さま」


 もう駄目だと目を瞑った瞬間に、突然かけられた声の方を見る。裕也が部屋のドアそばに壁を背もたれにして、腕組みして立っていた。裕也の肩にはいつも通りリーアが座っている。


 「あらあら。また会ったわね。好きな色、考えてくれたのかしら。確か、落ち着いた場所でゆっくり考えてくれるって言ってたわよね」


 「ああ、もちろん。約束通り考えてきてやったぜ」


 裕也は冷静に答える。クレアは不思議だった。剣の腕でははるかに自分を下回っており、魔法だって碌に使えないはずの裕也に、とてつもない安心感を覚える。何故か裕也がいるだけで、もう大丈夫だという気になってしまう。


 「それで、あなたは何色が好き?」


 「赤」


 裕也は即答した。赤が喪服女の問いへの正解だったのだろうか。だがそれにしては喪服女は残念そうだ。今度は裕也に向きをかえて、ゆっくりと歩み寄っていく。


 「そう、あなたは赤が好きなのね・・」


 「橙」


 「?何を言っているの?好きな色を変更するってことかしら」


 「黄、緑、青、藍、紫」


 クレアは自分の息を整えながら考える。何だろう。裕也は出鱈目に思いつく色を並べているだけなのだろうか。いや、待って。確か裕也の言った色ってもしかして。


 「虹の七色。俺の好きな色だよ、喪服のお姉さま」



**************************************



 クルガンはハルトからの報告を聞いて、難しい表情を浮かべていた。友国ラング王国のクフ王、砂漠のシスイ王国のパトラ女王が協力をしてくれるのは有難い。戦力としては、一気に増強される。


 しかし、ルシファー軍との戦争終結後は、大きな借りが出来てしまう。貿易、外交上の交渉事において、要所要所でこちらの譲歩をせまってくる隙を与えることにつながりかねない。しかしこのままでは・・


 「やむを得まい。今はルシファー討伐が最優先。諸国の力を借りることにしよう」


 戦争で他国から力を借りるということは、即ち自国だけでは敵を倒せないということの証明でもある。相手も連合国として、複数の国が集まっているのであれば、世間から見て、まだ納得してもらいやすい。


 しかし、ルシファー軍は自らの国すら持たない、群れの集まり。その対応に、自国だけでは解決できず、諸王国の協力を得るというのは、弱さと無能さを露呈しているようなものだ。


 ハルト、メイガン、ルキナの三名がいなければ、最悪敗北もあり得たかもしれない。ルシファー軍の脅威はハルシオンという魔物、魔獣使いだけではない。敵の動きの押し引きが異様にうまいのだ。


 こちらが、味方同士で連携をとって切り崩そうとすると、恥も外聞も捨てて逃げ出していく。追いきれなくなった矢先で、敵は踵をかえして、襲い掛かってくる。


 戦略を駆使した駆け引きは、ルシファーの方がクルガンよりも上手であろう。対して、こちらが優位なのは、元々の兵の数と、敵の中にメイガンやルキナ級の魔法の使い手がいないこと。


 味方の中で一番活躍を魅せているのはハルトであることは間違いないが、そのハルトが動きやすいように、絶えず的確なサポートをしてくれているのが、メイガン、ルキナだ。


 派手な魔法で一気に集団を蹴散らせて道を切り開き、ハルトの部隊が先陣をきって敵を切り崩す。この連携が味方の士気を高め、次から次へと湧き出る魔物や魔獣に対して怯むことなく、戦いを前に進ませている。


 しかしそれも限界にきている。今日の敵をいくら倒しても、翌日にはさらに上回る数の魔物や魔獣が敵軍に加わっているとなれば、いずれは撤退を余儀なくされる。アストレア軍はもはや自軍だけでは、戦いを乗り切るのは難しいところまで追いつめられていた。

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