第5話 いろいろいろいろ

 「ファルナーガ!!」


 リーアは喪服女に間髪入れず、魔法をぶつける。炎は相手の体をらせん状に飛び回り、喪服女の表面を焼き尽くす。だが、なにかおかしい。咄嗟に判断を切り替え、リーアは自ら放った魔法を打ち消す。喪服女は何事もなかったように立ち上がる。焼かれた傷もすっかり癒えているようだ。


 そして気づく。今さっき、敵を焼いた箇所と同じ位置の自分の体に火傷を負っていることに。直観に従って、放った魔法を打ち消さなければ、今頃リーアは重症、下手すれば命を無くしていたかもしれない。


 「ルーシィー、逃げて!!」


 もはやルーシィーの本名を呼ばないという決め事に気遣う余裕はなかった。敵の動きと自分の力を冷静に見れば、劣勢は明らかだ。自分の力だけで、喪服女を倒せるとは思えない。ルーシィーはまだ怯えたまま、その場を動こうとしない。


 「なにしてるのさ。早く!!死にたいの?」


 リーアはルーシィーを怒鳴りつける。ルーシィーはようやく頷き、すぐに誰か呼んでくると約束して、その場を駆け出す。喪服女が逃げ道を回り込もうとするが、リーアはルーシィーと喪服女の間に移動し、目の前に炎の壁を作り出す。


 「行かせないよ、たとえ敵わなくたって時間稼ぎぐらいならボクにも・・」


 だが、その言葉を最後まで言い終わる前に、ルーシィーは喪服女に捕まっていた。一体なぜ?どうやって炎の壁を通り抜けたのか?ルーシィーは苦しそうに、喪服女の腕の中で、足を空中でばたつかせながら、もがいている。


 「精霊さん。あなたは何色が好き?」


 喪服女はルーシィーを無視して、リーアに問いかける。相手の問いに何か意味があるのだろうか?とにかく時間を稼いで逃げ出す隙を見つけなくては。


 「ボクは、オレンジ色が好きかな。こんな風なさ」


 炎を閃光のように眩しく輝かせる。相手を攻撃するためではない。喪服女が目を閉じた一瞬の隙をついて、ルーシィーが喪服女の腕のなかをくくりぬける。そのまま、すばやく人混みの中に紛れ込んでいった。


 「あらあら、いけない子ね。おいたをしたら、お仕置きをしなくちゃね」


 リーアの背中に冷たい寒気がさす。喉もからからだ。死にたくないから、種族の住む村を抜け出したのに。普段は軽口をたたいてもリーアのことを真剣に考えてくれるマスターも見つけたのに。こんなところで、終わってしまうのか。いやだ、もっと生きたい。まだ死にたくない。


 「まぁ、泣いているの?可哀そうに、怯えているのね。大丈夫、すぐに楽にしてあげるわ」


 喪服女はゆっくりと歩いて近づいてくる。リーアは後ろに振り返り、一目散に逃げ出す。前を向くと喪服女が立っている。右に逃げても、左に逃げても、何故か喪服女は先回りし、リーアの行く手を塞いでいる。


 「やだ・・やだよう・・助けて・・ボクまだ死にたくない・・」


 喪服女の手が、リーアの頭上に伸びてくる。リーアは目を瞑って、自分の不幸を嘆く。こんな得体のしれない相手の正体なんて暴かなきゃよかった。何も知らないふりして、料理を受け取って、そしたら、今も楽しくパーティーのご馳走を味わっていられたのに。それで、一番おいしかった料理をマスターのところに持って行って、褒めてもらって、それから、それから・・


 喪服女の手が自分の頭に触れた瞬間、リーアは何も考えられなくなった。触れた手はリーアの頭を優しくなでる。このうえ、まだ自分を嬲ろうというのか。


 「おお怖っ!随分とおっかないオーラを放つお姉さまだな。もうちょっと、親しみやすくしたほうがいいんじゃねぇの?そんなんじゃ、婚活してても碌な男が寄ってこないぜ」


 頭上から聞き覚えのある声に反応し、上を見上げる。リーアの頭を撫でていたのは喪服女ではなかった。今、一番会いたいと思っていた、大切な主の手。


 「・・遅いよ、マスター。まったく余計な事しちゃってさ。こんな敵、ボク一人でちゃちゃっと片付けられたのに」


 「そうか、そいつは悪いことしたな。とりあえず、顔拭けよ。目から水が溢れまくってるぞ」


 リーアは裕也の肩の上まで飛んでいき、小さな両腕を裕也の首元に巻き付けて抱きしめる。照れくさくて口では言えない感謝の言葉を、心の中で囁きかけた。先ほどまでの弱気を払拭し、鋭い声で裕也に注意を喚起する。


 「マスター、気を付けて!そいつ、攻撃しても、無傷なの。なぜか攻撃したボクの方がダメージを食らってた。それも、ボクが攻撃した場所と同じ位置に」


 「おいおい、なにそのチートキャラ。普通、初戦の相手って言えば、スライムとか、ゴブリンとか、最弱の敵から始めるもんじゃないの?なんでそんな難易度の高そうな奴と戦う羽目になるんだ」


 「?何言ってるか、分からないけど、あともう一つ。その人、瞬間移動するよ!」


 ・・何が一人でちゃちゃっと片付けるだ。思いっきり、攻略不可能要素、満載じゃねぇか。ルーシィーが裕也のもとに駆け付けたときは、そんな凄まじい敵だなんて思ってなかった。ルーシィーからとにかく急いでと、せかされていたこともあるが、もう少しよく考えて行動すべきだった。


 ルーシィーのことはクレアに任せて、二人ともクリスティーさんのところに行くように伝えた。その後すぐに、この場に駆け付けてきたが、今になって冷静に状況を判断すれば、リーアが勝てない相手に裕也が勝てるわけがない。


 「あらあら、助っ人登場かしら?せっかく、来ていただいたんだもの。あなたにも尋ねるわね。あなたは何色が好き?」


 「なんだ、なんのことを言ってる?リーア、もしかして、おまえも同じ質問されたのか?」


 「うん。ボクはオレンジ色って答えたけど、不正解だったみたい」


 「つれないわね。人が聞いてるのに、答えてくれないの?もう一度聞くわね。あなたは何色が好き?」


 この質問になにか意味があるのだろうか。だが意味があったとしても、正解なんて裕也にも分かるはずもない。裕也は内心冷や冷やものだったが、そんな態度を出しても事態は好転しないと判断し、表面上は冷静を装う。周囲を観察し、どうにか切り抜ける手段がないかを、無い知恵を絞って考える。


 「さあね。答えは保留ってことでどうかな。とりあえず、落ち着いた場所で、ゆっくり考えるからさ」


 「・・無駄よ。誰も私からは逃げられない。あなたがどこに行っても私は、あなたの目の前に現れるわ」


 「素敵な口説き文句ありがとう。でも、逃げるのは俺じゃない。あんただよ、喪服のお姉さま。リーア、唯一のメリット、炎の魔法、ここで頼む」


 「ダメだよ、マスター。ボクの攻撃じゃ、役に立たない」


 「十分に役立つさ。もっと自信持てよ。ほら、あそこ、よーく狙って。楽しい楽しい舞踏会なんだから、派手に踊らせてくれよ!」


 裕也が指さした方向を見て、リーアがはっと意図を理解する。持てる力を振り絞って、炎を解き放つ。炎は舞踏会の中心、みんなが集まって踊っている会場の真ん中に投げつけられ、上下左右へと進行方向を次々と変えながら、あたりを飛び回る。


 突然の出来事に血相を変えて、飛び出した人々が、炎の届かない、舞踏会の会場と少し離れた料理の用意されている場所、即ち裕也たちのいる方向に避難してくる。


 裕也たちは瞬く間に会場から逃げてきた人々の集団の波に飲み込まれた。満員電車のラッシュの中にいるかんじだ。大勢の人に押された先で、偶然裕也の手が喪服女の腰のあたりに触れた。何度目かになる電気ショックをうけたような衝撃が裕也を襲う。


 見上げるくらい高さのある本棚がいくつも並んでいる。どこかの図書館だろうか。中心にあるテーブルに向かい合う一組の幼い男女が座っている。

 

 「ねぇ、ヨシュア兄さま。私、とうとうあの方にお仕えしなきゃいけなくなったの」


 「それじゃ、ジェシカ、いずれは君も六大魔女になるのか?でも、そうすると会えなくなっちゃうね」


 ヨシュアは身に着けていた懐中時計の紐に手をひっかけながら、残念そうにつぶやく。


 「そんなことない!ジェシカ、ヨシュア兄さまのお嫁さんになるって約束したもん。兄さまの大好きな虹色のウエディングドレス着て、兄さまの手を取って一緒に教会の花道歩くのが夢なの」


 兄妹が話していると、頭を全て覆いつくす黒の頭巾とマント付きローブをまとった輩が取り囲んだ。両手には鉄で出来た爪のようなものを装備している。彼らの一人がジェシカを抱きかかえ、端に寄せる。離して、兄さま逃げてと泣き叫ぶジェシカ。


 そのジェシカの目の前で、他の黒頭巾マントが鉄の爪を、ヨシュア兄さまと呼ばれていた男の腹部に突き刺す。あたりが鮮血の海に染まる。ジェシカの甲高い悲鳴が図書館の静寂の中にこだまする。そこであたりは闇に覆われた。みんな殺してやると叫ぶジェシカの声だけが、いつまでも鳴り響いていた。


 裕也が目を覚ました時には、周囲を取り囲んでいた人々の混乱も収まっており、すでに喪服女はいなくなっていた。リーアとクレアが心配そうに裕也の顔をのぞき込む。特にリーアは裕也に抱き着いたまま離れようとしない。よほど不安を抱かせてしまったのだろうか。


 「大丈夫、マスター?急に意識を失ったから、びっくりしちゃったけど」


 「大丈夫ですか?裕也さん。リーアさんの言っていた、喪服を着た女性に何かされましたか?」


 どのくらい意識を無くしていたのだろうか。そう長い時間ではないはずだ。クレアはルーシィーと一緒にクリスティーさんのところにいったはずだが、裕也のもとに折り返して、来てくれたらしい。


 「ああ、大丈夫。心配かけたな。ちょっと疲れただけさ。あの喪服を着た怖いお姉さまは、どこかに行ってくれたらしいな。とりあえず、こちらに被害がなくて良かったよ」


 リーアの傷をヒーリングで癒し、周囲の被害状況を確認する。舞踏会の会場を少し焦がしてしまったが、元々リーアの魔法は威力はそれほどない。床板や壁紙を少し張り替える程度で、十分修復可能だろう。


 「リーア、他のみんなも大した怪我がなくて良かった。それにしても危ない女だな。ルーシィーを襲った手口こそ不明だが、また襲われたら攻略法なんてあるのか?」


 リーアも不安を抱いていたようで、裕也を抱きしめる力が一層強まる。裕也はリーアの背中を軽くポンポンと叩き、腕組みをして対策法を考える。そこにクレアが意見を挟んできた。


 「あの、裕也さん?本当に大丈夫ですか?どこかお怪我とかされてません?」


 「俺は大丈夫です。でも、少なくとも、脅威が取り除かれるまでは、みんなで一緒にいた方が安全でしょう」


 「そうね、いつまた戻ってくるとも分からないし。今度襲われたら、私も手伝ってもいいですよ」


 「クレアさんが?気持ちは嬉しいけど、相手は能力的にも性格的にもかなり危険な相手です。そもそも攻略の目途が今のところ、全く見えない」


 「私は直接遭遇したわけではありませんが、裕也さんの言うとおり危険な相手だと思います。でも、こう見えても私、踊りと剣の腕には自信がありますの」


 そういえば、舞踏会で踊ってた時、クレアは流れるような滑らかな動きをしていた。身のこなし方はかなり洗練されていると思われる。剣の腕については、裕也が剣術を使えるわけではないし、的確な判断はできない。


 だが、踊りの初心者である裕也がパートナーにいて尚、あれほどの無駄のない、それでいて華麗な動きが出来るのであれば、少なくとも体さばきについては、期待してもいいのではないか。


 「正直、味方は多いほうがいい。クレアさん、巻き込んでしまって申し訳ありませんが、お力貸していただいてもいいですか?」


 「ええ、喜んで。裕也さんには妹を助けていただいた借りもありますしね」


 ほかに助力を頼めそうな人と言えば、アルシェさんあたりか。服の上からでもわかる立派なガタイの持ち主だった。だが、老体であることには変わりない。そう考えると、戦いに直接参加させるべきではないかもしれない。


 そもそも喪服女の目的はなんなのだろう。頭のおかしい異常者と考えるなら、損得勘定に基づいたような、あるいは理論的な目的はないのかもしれない。同時に復讐とかも考えにくい。ルーシィーは悪魔の子と罵られてはいるが、誰かの復讐の対象になるような存在ではないだろう。


 そして何より大事なのが、今度襲われた時の対処方法だ。今回はたまたまパーティーという場で大勢の人々がいたから、状況を上手く利用して事なきを得たが、単独で戦いになった場合、まず勝ち目はない。それどころか、逃げることすら算段が全くつかない。


 クレアの剣の腕が確かなものだとしても、切りつけた瞬間にクレアの方がダメージを負い、喪服女は無傷のまま。リーアの魔法攻撃も同様だ。


 単純に強い助っ人を得るだけなら、クリスティーさんに頼めば、傭兵なり、魔導士なり、それなりの人をあてがってくれるとは思う。クリスティーさんにはそれだけの、力も金もコネもあるはずだ。


 だが、どんなに手練れの人物を得られたとしても、それだけでは喪服女に通用しない。なにかしらの切り札が欲しい。信頼出来て、強力で、喪服女の攻略の糸口になれるような仲間。そんな人物がいるのだろうか・・



**************************************



 アストレア軍、ルシファー軍から撤退。この報せは瞬く間に近隣諸国に広がった。アストレア軍の戦力はまだ十分に残ってるので、完全な敗北というわけではない。だが、アストレア軍がいくら魔物や魔獣を倒しても、戦況は一向に改善されない。このままではじり貧と判断し、クルガン王は一時的な撤退命令を出した。


 「私たちが不甲斐ないばかりに、軍の恥となるような事態を招いてしまい、申し訳ありません」


 そう、深々と頭を下げるハルト、メイガン、ルキナ。だが、この三名が頭を下げるのは間違いだ。戦場における三名の大健闘に異議を唱える者は一人もいない。それはクルガン王も同じだ。


 「何を言うか。お主らがおらなんだら、今頃わが軍は本当に敗北しておったであろう。礼を言わせてもらうぞ。苦しい状況とは言え、こうして我々が生き残っているのは、お主らのおかげよ。しかし、魔獣使い一人の力が、こうも戦局に影響を与えるとはな。有効な策をたてられん我を許せ」


 「もったいないお言葉。クルガン王様が謝罪する必要はありません。しかし、このままでは打開策を打てないのも事実。どうでしょう、一度我が館に帰り、母の助言を賜ってきたいと思うのですが」


 頭を上げたハルトが進言する。ハルトの母、クリスティーであれば、対策を思いつけるかもしれない。クリスティーの影響力は諸国の王にまで及ぶ。上手くいけば諸国から兵や物資を貸し出してもらうところにまで、漕ぎつけられるかもしれない。


 もっとも、その場合、近隣諸国に借りが出来たということで、アストレア軍の面子と政治的な問題が発生する。しかしそれでも、ルシファー軍に敗北するよりはずっといい。

 

 「よかろう。クリスティー殿が協力してくれるのであれば、先の見えない戦いにも、光明を見いだせるかもしれん。翼竜を一頭、用意させよう。それと少ないが当面の足しにはなるだろう、持っていけ」


 ハルトは路銀を受け取り、一礼を済ませて踵を返すと、竜舎に向かう。近衛隊長以上のランクのものでも、竜をあてがわれる人物は少ない。例外として竜騎士の一団と、連絡役を専門にこなす部隊のものには、職務上の必要性から竜に乗ることを許されているが、それだけだ。


 「あーあ、いいよなぁ、俺だって翼竜に乗ってみたいぜ。なぁハルト、代わってくんない?」


 「あら、私だって乗せてもらったことないのよ。こんな天気のいい日に空から見る景色は最高でしょうね」


 竜舎まで見送りに来たメイガンとルキナが、羨ましそうにハルトにあてがわれた竜を見上げる。翼竜の中でもひと際、体形が大きく、その分一回の食事量も多い。竜舎の職員たちから、その気の荒さで一目置かれている竜でもある。端的に言えば大飯ぐらいで世話のかかる困ったちゃんだ。


 「おい、遊びに行くんじゃないんだぜ。割とまじで、やばい状況なんだからな。俺がいなくなった瞬間に即やられるなんてこと、ないようにな」


 「そこはルキナが一人で、俺たちみんなの分まで頑張るから任せておけよ」


 「メイガンが私たちの分の仕事、全部引き受けてくれるんだって。暇になって困っちゃうわ。温泉にでも行ってこようかしら」


 メイガンとルキナは互いに満面の笑顔を浮かべて、お互いを牽制しあっている。二人を見て、ため息をつきながら、竜に乗る裕也。だが、いざ戦場に出れば、この二人ほど頼れる味方はいない。


 「おまえら、いい加減にしておけよ。じゃあ、行ってくるからな。なるべく早く戻ってくるつもりだが、ルシファー軍が俺の留守を狙って仕掛けてくる可能性もある。気を引き締めておけよ」


 「おお、すげぇ自信。何?相手の軍がおまえ一人がいないことを好機とみるって言いたいの?」


 「でも、案外的外れでもないんじゃないかしら。ハルトの存在はそれだけ自軍にとって、大きいもの」


 「存在の大きさなら、メイガンもルキナも負けてないだろ。それじゃ後は頼むぜ」


 翼竜はハルトを背に載せて、あっという間に雲の上まで飛び上がる。この速さであれば、クリスティー家のあるラング王国までは、半日もあれば辿り着けるだろう。アルシェやルーシィーにも久しぶりに会いたい。カレンは変わらない性格のままだったら、適度に対応しよう。


 あいつら、元気にしているだろうか。翼竜はハルトの思いに応えるように、ひと声甲高く鳴くと、ラング王国への最短距離を辿って、ますます速度をあげていった。

 

 ハルトが翼竜の背で一眠りしている間に、翼竜はクリスティー邸に着いていた。呼び鈴をならし、玄関の前で待つ。出迎えてくれたのは予想通りアルシェだった。相変わらず服の上でもわかる、いいガタイをしている。アルシェの筋肉は見かけだけではない。ハルトの部隊に組み入れても、即戦力として役立つだろう。


 「ハルト様。報せは聞いておりました。大変なご様子だったようですが、ご無事で何よりでございます」


 「アルシェも元気そうで安心したよ。早速で悪いんだけど、母さんは今、部屋にいる?」


 「クリスティー様は、大広間で飛び火した箇所の修復状況の点検をなさっております」


 「どういうこと?火事でもあった?」


 「いえ、実は・・」


 「アルシェさーん、この焦げた床板なんだけど、あそこの物置のところに捨てておけばいいですかー?」


 アルシェが館で起きたことを説明しようとすると、間の抜けた男の声が割り込んできた。男の肩の上には羽のついた女性、おそらくは精霊と思われる者が、足を組んで座っている。


 「ええ、そちらで結構です。裕也様。お手伝いいただき、ありがとうございます。お疲れになったでしょう。少し休まれてもいいですよ」


 「そういうわけにはいかないですよ。火をつけたのは俺たちなんだし」


 その一言を聞いて、ハルトは自分の剣に手をかける。だが、今いち事情が呑み込めない。もし、館に侵入した賊の類ならアルシェと親しく話しているのはおかしい。しかし、自分で火をつけたと白状した以上、クリスティー家に対して狼藉を働いたことには違いない。


 「貴様、何者だ。ここで何をしている?」


 得体のしれない相手にハルトの中で緊張感が高まる。一方、目の前の男は何を言われたのかピンと来てない様子。


 「えっと、すいません、何か気に障るようなことしてたら、ごめんなさいです。あまり、身に覚えはないんですが・・一応、初対面ですよね?」


 「ちょっと、マスターに対して、何その偉そうな態度?あんたこそ、何様よ。マスターも、こんな奴相手に丁寧に答える必要ないわよ。ボクが代わりに、口の利き方を教えてあげようか?」


 リーアも負けず劣らず、緊張感を高めている。舞踏会での一件以来、裕也のそばを片時も離れようとせず、やたらと裕也に甘えていた。そして今、明らかに裕也の気分を害する発言をするハルトに対して、敵愾心を露わにして睨みつけている。


 「待てって、リーア。アルシェさんと知り合いの人みたいだし、何か誤解してるだけで、話せばわかると思うよ・・って、うわ!!」


 ハルトは剣の峰の部分で、いきなり裕也を殴りつけてきた。誰だか知らないが、クルガン王の元で、最高階級に位置する自分に対して、表面上は親しげにしておきながら、使い魔の精霊を使っての無礼な口利き。そして、館に火をつけたという一言。命まで奪うつもりはないが、自分が誰かを分からせてやる必要がある。


 裕也がハルトの一撃を躱せたのは、全くの偶然だった。たまたま地面が、つい先ほどまで降っていた雨でぬかるんでいて、たまたま足をとられて、さらに避けようとした拍子に、手に持っていた板の重心のバランスを崩し、結果としてハルトの攻撃を上手く避ける体制になっただけだ。


 「ちょっと、何するんですか?危ないでしょ・・」


 裕也の抗議も聞く耳持たず、ハルトが二撃目を加えてくる。瞬間、目の前に突然現れた炎の壁が盾となり、裕也の体を守る。


 「マスターになんてことしてくれんのさ。ボク、もう容赦しないよ。これでも喰らえ!」


 炎の渦がハルトの身の回りに螺旋状に包み込む。炎の輪はだんだんと、その半径を狭めて、ハルトの体に近づいてくる。ハルトは自分の身を取り囲む炎を、剣の風圧だけでかき消す。


 「双方、いい加減になさいませ!!」


 あたりを威圧する声に、はっとなり、裕也とリーア、ハルトの全員が動きを止めて声の主を見る。アルシェが二人の間に割って入り、自らの身を挺して、両腕を広げて立ってる。そこに一人の少女が駆け寄ってきた。


 「ユウヤぁ、さっき教えてもらった、紙を折って鶴を作るの、もう一回やってー」


 「んと、ちょっとだけ待ってくれるか、ルーシィー。この状況が落ち着いたら、すぐ教えるからさ」


 ルーシィーが、俺たち身内以外の人間と普通に話している。ハルトにとって、それは信じられないような光景だった。それに、男の周囲をうろついている精霊も自分の意志で話し、動いているようだ。


 ルキナ級の精霊使いでもないかぎり、精霊と意思疎通までは出来ても、言葉を直に交わすなんてまねは普通出来ない。だから、先ほどのリーアの発言も、男が腹話術か何かでしゃべっているだけかと思っていた。それ故、リーアの発言を男の発言と認識し、自分を愚弄していると思い込んでいた。だが、あれは精霊本人の発言だったらしい。


 「・・どうも、誤解があったようだ。すまなかった。俺はハルト。この館の主、クリスティーの一人息子だ」


 ハルトは剣を収める。一方、裕也からすれば、いきなり不意打ちをくらって、襲われて、言いがかりをつけられて、迷惑この上ない。しかし、自分の衣食住を確保してくれているクリスティーさんの身内であれば、多少のことは大目に見るしかない。


 「俺は裕也、数日前から、この館で世話になってる。こっちはリーア、もうわかってると思うが、俺が契約を結んでいる精霊だ」


 「ボク、こんなやつに挨拶なんてしないよ」


 「そう言うなって。なんか行き違いがあったみたいだしさ。クリスティーさんの身内みたいだし、一応、この館で食べさせてもらってる身なんだから」


 「知らないよ。マスターに怪我負わせようとする奴なんて、ボク、絶対許さない」


 リーアは頬を膨らませて、そっぽを向く。裕也はやれやれとため息をつき、それでも自分のことを思って怒ってくれたことが嬉しくて、それ以上、強くは言えなかった。そんな裕也とリーアの関係を見て、ぷっと吹き出し、ハルトは自分の手を差し出す。


 「悪かったな、よく確かめもせずに襲い掛かったりして。ずっと戦場にいたせいか気がたってるんだ。このとおり、謝罪するよ」


 「アストレア軍で戦ってるんだろ。俺も詳しい内容までは知らないが、大変な戦況だってことは聞いている。気にすんなよ」


 裕也がハルトの手を取った瞬間、またしても電気ショックを受けたような衝撃が裕也を襲う。


 どこかの草原。魔獣、魔物の群れと戦い続けている戦士たち。それと派手な魔法で、襲い掛かってくる敵を次々と迎撃する魔導士が二名。男性がメイガン、女性の方がルキナと周囲の兵士たちから呼ばれていた。


 そして、一番先頭で群を抜いての大活躍を魅せている一人の剣士がいる。この剣士がハルトで間違いない。


 「くそっ、いくらモンスターたちを斬ってもきりがない。ハルシオンさえ何とか出来れば、一気に逆転できるのに・・」


 嘆きながらも、ひたすら剣を振るい続けるハルト。ハルシオンというのは敵の親玉だろうか。先頭で戦っていたハルトのもとにメイガンとルキナが駆け寄ってくる。


 「そんなん言ってても、しゃあねぇだろうがよ。ほら、次のお客さんだ。これまた団体さんでお出ましか。丁重にもてなしてやろうぜ」


 「でも本当、このままじゃ埒が明かないわね。ねぇ、ハルト、一回クリスティーさんに相談してみたら?」


 「お袋にか?まぁ確かに、このままじゃ、どうしようもないしな。わかった、この後、クルガン王に進言してみるよ」


 ハルトはメイガン、ルキナとの話を終えると、再び魔獣の群れの中に突っ込んでいく。ハルトが通った後には、きれいに魔獣の死骸が並んで道を作っていた。


 裕也は目を覚ますと、ハルトと握手した状態で気を失ってたことに気づき、慌てて手を放す。だが、周囲に変わった様子はない。裕也がハルトの記憶を見ていた時間は、裕也からすれば、それなりの長さを持っているように感じたが、元の世界の時間軸では一瞬の出来事だったらしい。喪服女のときは、もう少し長い時間、意識を失っていたようなので、記憶を読み取る相手によって、個人差があるのかもしれない。


 「早く、クリスティーさんとこに行けよ、ハルト。いいアドバイスもらえるといいな」


 「ん?あ、ああ・・なんで俺がお袋にアドバイスもらおうとしてるって・・あ、そうか、俺が最初に館についたときにアルシェにお袋の居場所を尋ねたのを聞いてたんだな。じゃあ、悪いが俺はもう行くぜ。また後でな」


 


 


 


 


 

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