面影も口づけも
若生竜夜
面影
ぼくはどうしてこの人が好きなんだろう。
どうしてこの人はぼくを好きなんだろう。
キシキシと床板が鳴った。猫のように静かに、白すぎる素足が廊下を歩く音。帰って来たんだ。微かな安堵を覚えながら、ぼくは耳を澄ます。
間もなく障子が開き、黒
「
機嫌良げな女性の声が、ぼくに呼びかける。
「まだ起きてるよ。お帰り、
ぼくは
「ただいま」
色は
お酒の臭いに混じる微かな香りをぼくは
「飲んできたんだね」
「少しだけね」
「新しいお客さん? 恋人の方?」
「新しい恋人よ。よくわかったわね」
「だって、知らない香りがするから」
正直に答えると、敏感ね、諒は、と色が笑う。
シキ。漢字一文字で、色。フルネームなら
画商桜川の当主である色には何人も恋人がいて、今日みたいに遅くまで帰ってこない日がしょっちゅうある。ぼくは色が多くの恋人を作るのは寂しいからだと思う。この家は二人では広すぎるから、ぼくだって人恋しくなるもの。
昔から色はもてる。
「誠司さんから連絡があったよ。明日来るって。仕事が一段落したみたいだ」
ぼくは昼間受けた誠司叔父さんからの電話を伝えた。叔父とは言っても、本当はぼくの父の
「あら。ご用事かしら?」
「顔を見たいんじゃないかな」
色の、とは続けずにおく。言わなくても分かりきったことだ。
「そう……」
色は小さく首をかしげ、立ち上がる。いつも通り興味がないらしい。
「諒、相手してあげてね」
「寝るの?」
廊下の先へ消えていく背中に、ぼくは声をかける。
「お湯を浴びるわ。人の
「おやすみなさい」
ぼくは布団に潜り直し、目を閉じて床板が鳴るのを聞く。障子を二度開け閉めする音。お
ちりん、ちりりん。軒先の風鈴を風が
「やあ、宿題かい?」
縁側から上がってきた誠司さんは、座敷中に散らかったノートを見てぼくに声をかけた。ぼくは冷たい畳に寝そべって文字を追っていた。読んでいるのは教科書じゃない、今朝買ってきた雑誌だ。
「勉強してるように見える?」
ぼくは首を回し、ぼくよりも随分天井近くにある彼の顔を見上げた。
「ちっとも。でも何かのレポートに使うのかもしれない」
「アイドルの動向調査だよ。最新のをインプット中なんだ」
「流行を追いかける主義なのかな?」
「全く。でも友だちに無視されるのは
なるほど、女子高生は大変だとつぶやいて、誠司さんは風を強くした扇風機の前に
「冷たいお茶が一杯歩いてこないかな」
ぼくは無言で立ち上がってキッチンへ行き、氷を浮かべた緑茶をくんで戻ってきた。誠司さんはおいしそうに
「ごちそうさま。最近はどう?」
「変わりないよ、色もぼくも。誠司さんこそどうなの? お仕事また雑誌に載ってたね」
「僕の方も変わりないよ。作品を見てくれたんだね、どうだった?」
「綺麗だったよ」
誠司さんの口元がほころぶ。
「色に似てた」
途端、眉が落ちた。
「今回のは違うと思うんだけどなあ」
仰向いて嘆息する。流し目でチラチラ見てきても撤回してあげないよ。
「無理だよ、誠司さんは色の顔しか作れないもの」
誠司さんはガックリと肩を落としてうなだれてしまった。かわいそうだけど本当のことだ。誠司さんは色の崇拝者だもの。
一見実業家風に見える誠司さんは人形作家だ。彼が作る少年少女の人形は、冷たくて
昔から通ってる家政婦さんが言ってた。誠司さんは若い頃、色に熱を上げてたって。何度振られても懲りなくて、ぼくが生まれるまですごかったらしい。
そもそも色とぼくの父、父の従弟にあたる誠司さんは、
ぼくはまた寝そべって文字を追い始める。
手持ちぶさたに空のグラスを玩んでいた誠司さんが、ショートパンツから伸びるぼくの素足をつっついてきた。
何? とぼくは顔を上げる。誠司さんは、スカート、と言って畳へグラスを置く。水滴で畳に青い染みができるのが見えて、ぼくは少し眉をひそめた。
「前に買ってあげただろう。あれははいていないの?」
「はいてない。制服のだってうんざりなのに、はくわけがないよ」
「もったいないね、諒に似合うデザインなのに。髪を伸ばしてお
ぼくは
むくむくと嫌な感情が首をもたげる。ぼくは起き上がって誠司さんを
「髪を伸ばして化粧をさせて。それで色に似れば喜ぶんだね、誠司さんがさ」
意地悪な気分で口にした言葉に、
「僕をそんな風に思ってるのかい?」
言いすぎた。大人の迫力にすぐさま後悔する。
「ごめんなさい。暑くて苛々してるんだ。誠司叔父さんがそんな人じゃないって、よくわかってるよ……」
いや、と誠司さんは口ごもった。
「僕も変にむきになった。大人げないね」
ぼくの頬を、
「怖い声を出して悪かったよ、諒」
「うん。……ねえ、誠司さん」
ぼくは目を閉じて淡く唇を開く。温かく湿った感触が口をふさぎ、冷茶の
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