003 本の街
本の街リベイラは聖都アスタロスタの南西にある。
街の中心に巨大な図書館があり、それを取り囲むように書店が並ぶ。本以外の商品を扱う店住宅は、更にその外側にあった。
リベイラの図書館は全ての書物を保管することを目的として掲げており、場所が足りなくなるたびに増設工事をしているのだという。
『調べ物を始めるならまずはリベイラを目指せ』────他国の学者が調べ物をするためだけに訪れることもあるのだと、司書の一人が誇らしげに言った。
(他国の人間をそう簡単に受け入れちゃって良いのかねえ)
あまりにも無邪気な司書の言葉に、セレネはそんなことを思った。さすがに国外に流出したら困るような書物は公開されていないとは思う。
もっとも、どこの馬の骨とも知れない旅人にも開かれた図書館だからこそ、セレネと魔王はこの街に来たのだが。
地下三階、地上五階の巨大な図書館の四階。そこには魔法と歴史の本が収められている。セレネには何が書いてあるのかすらわからない専門書ばかりだ。
背の高い本棚がずらりと並ぶなか、中央にぽかりと開いた空間がある。そこに木製の机と椅子が置かれており、手にした資料を確認できるようになっていた。
人の姿は少なく、咳払いをするのも躊躇うような静寂に満ちている。
目的地にたどり着くなり、魔王はセレネを放って本棚の森の中に消えていった。山のように分厚い本を何冊も抱えてきたかと思えば、それを塔のように積み上げ、机の片隅を占拠して本にかじりついていた。
背表紙に書かれた題名には、大体「封印」という言葉が入っている。
魔王の隣の席に落ち着いたセレネは、手慰みに歴史の本を開いていた。
「魔王」について書かれた部分には、リンドの村で聞いたことの一部が載っている。
聖アスタの国で作られた本なのだから当たり前なのだが、時折挟まれる正義の神アスタを賛美する言葉がどうしても目障りだった。
「あ、あのー」
「ん?」
精一杯抑えた小声で話しかけられた。それでも静かな図書館の中では必要以上に響く。
声の主は可哀想なほど肩を縮こまらせ、セレネの正面の椅子で小さくなっていた。
「お二人は…………何をなさってるんですか? その、ここに来た目的というか」
「何って、調べ物だけど」
「は、はあ」
本当のことを伝えたが、声の主は不満そうだった。口をへの字に曲げて、縋るような目をセレネに向けている。
柔らかそうな茶髪に青い瞳。長身だが顔つきが幼いためか何となく仔犬を連想させる。年齢は十代半ばか、あるいはそれを少し過ぎたくらいか。少なくとも成人はしていなさそうだ。
無骨な革鎧を身につけ、腰に剣を吊るしているが、育ちの良さは隠しきれそうにない。名前は確か、レオンハルトだったか。
先ほど「自称魔王」に襲われ、殺されかけていた少年だ。口を開くなり自分も連れて行ってくれと叫んだ彼は、その後魔王────こちらは本物、黒衣の少年の方だ────にどれだけ邪険にされてもついて来た。
「く…………っ、来るな来るな来るな来るな来るな来るなあっちへ行けお前英雄なんだろう!?」
首を激しく横に振りながら両手を前に突き出し全力で後退する。
まるで魔物に対するような拒絶を受けても、英雄だと名乗った少年は不思議そうに首を傾げただけだった。
「何をしているのかは、むしろこっちが聞きたいね」
「え?」
本を閉じて、セレネはレオンハルトと目を合わせた。
幼い英雄は大きな瞳を丸くして、小さく首を傾げている。魔王が彼を拒絶した時と同じ反応だった。
「ついて来るなって言ったでしょう?」
「え、でも、それは、その」
セレネの視線から逃げるように目をさまよわせ、途方に暮れたようにレオンハルトは俯いた。
いくら拒絶しても駄目だったので、魔王はレオンハルトを無視することに決めたらしい。今のやり取りも聞こえているはずなのだが、資料に目を落としたままこちらを見ようともしなかった。
「あの魔王は、お二人にまた会おうねって言ってましたよね。だから、その、ご一緒できればまた魔王が」
「あれは偽物だ。本物じゃない」
レオンハルトの言葉を遮って、セレネは少し意地悪に続けた。
「それに、もし次があったとしても────君があれに勝てるとは思えないけど」
レオンハルトが大きな瞳を更に大きく見開いた。何か反論しようと口をぱくぱくと開閉したあと、小さな声で呟く。
「でも、それでも…………魔王と聞いて見過ごすわけにはいきません」
だって僕は英雄なんですから────と、レオンハルトは更に小さい声で続けた。
魔王が幼い英雄を拒否するのには理由がある。いずれ自分を殺しに来る相手だから…………ではなく、最近囁かれるようになった魔王復活の噂のせいだ。
魔物の行動が活発になり、小さな村や街で死傷者が出た。
治安が悪化し、旅人が行き来する街道に盗賊が現れるようになった。
冷戦状態にあった大国が、どうやら戦争の火蓋を切ろうとしているらしい────
不吉な噂が大量に流れれば、人々は不吉の象徴である魔王のことを思い出す。魔王の復活が近いから、魔物が活発になり盗賊がのさばり戦争が起きると言うのだ。
もちろん、魔王は無関係だ。傍にいたセレネが一番よく知っている。だが、当の本人がそう思わなかった。
身の内に封じた魔王の力が抑えきれなくなっているのではないか。
だから魔物や盗賊による被害が発生して、戦争が起きようとしているのではないか。
これから、もっと大きな被害が出てしまったら。その被害が、世界を滅ぼすようなものだったら────
そんな時に、魔王を名乗る少女と、英雄になると言う少年が出てきたのだ。ただの偶然だと言っても信じられないだろう。
先の魔王を封印してから、まだ十年しか経っていない。だが、魔王が現れる間隔は、徐々に短くなっているのだ。
「今は、今は、確かに弱いです。全然足りてないです。でも、逃げるなんて駄目ですよ。英雄は逃げてはいけないんです」
「志は立派だけどさ。それで死ぬ羽目になったら意味がないだろ」
「それは…………そう、なんですけど」
しゅんと項垂れたレオンハルトに、セレネはため息をついた。流石に少し意地悪が過ぎたかも知れない。
「何度も言うけど、あれは偽物だから気にしなくて良いよ。君は…………うん、気にしなくても大丈夫」
「大丈夫、ですか」
妙な言い回しになったのは、ほんの一瞬口にしそうになった言葉を打ち消すためだ。
たとえ言葉の綾でも、口が避けても言えるわけがない。
偽物は気にしなくて良い。英雄は────
「そうか。そうですよね。僕が倒さないといけないのは、偽物じゃなくて本物ですもんね」
幼い英雄はあっさりと、セレネが口にしなかった言葉を呟いた。自分の言葉に励まされたのか、表情が少しずつ明るくなっていく。
「僕が倒さなきゃいけないのは、本物の魔王なんだ。今は、偽物の魔王にすら勝てないけど、でも、これからアスタ様の祝福を受けて、一生懸命修行すれば、きっと────」
勢いづくレオンハルトに対して、セレネの胸の内は徐々に冷えていった。
魔王を倒すのは────魔王を殺すのは、英雄だ。
この自称英雄の少年が本物の英雄と言うのなら、いずれ英雄の剣を手に魔王を殺しに来ると言うのなら。
セレネは彼と仲良く雑談をしている場合ではないだろう。
レオンハルトと目を合わせたまま、セレネは右手を剣の柄へと伸ばしていた。
後始末が面倒だが、その気になれば一瞬で────
「セレネ」
本に夢中になっていたはずの魔王が、ぼそりと呟いた。
「俺様はそいつに負けるほど弱くない」
「…………ええ。そうですね、失礼しました」
右手を剣の柄から引きはがし、セレネは腕を組んだ。
何があったのかわかっていないレオンハルトは、きょとんと首を傾げている。
魔王は大きくため息をついて、レオンハルトに向き直った。
「それで、お前は何がしたいんだ?」
「えーっと、さっきちょっと色々考えてたんですけど…………お二人に稽古をつけてもらえないかと」
「はあ?」
「確かに今の僕は剣も魔法も未熟です。でもお二人はあの魔王と対等に渡り合っていたじゃないですか。いずれ来る対決の時に備えて、少しでも鍛えて頂ければと」
「断る!」
魔王が椅子を蹴って立ち上がった。レオンハルトも吊られたように慌てて席を立つ。
図書館の中にいた人々の視線が一斉に向けられたが、渦中の少年たちは全く気にしていないようだった。
「大体あれは偽物だと何度も何度も何度も言ってるじゃないか!
何回同じことを言わせる気だ、貴様は」
「で、でも、偽物でも自称でも魔王ですよ? 良くないですよ」
「放っておけ!」
「駄目ですよ。本物の魔王に勝つためにも、まずは偽物に勝てないと!」
「どれだけ俺様に喧嘩を売れば気がすむんだ、貴様は!」
「喧嘩だなんてとんでもないです。お願いします、僕にできるお礼なら何だってしますから」
「断ると言ったら断る!」
力強く床を踏みつけて、魔王はレオンハルトに背中を向けた。半泣きのレオンハルトが、その背中に縋りつこうとする。
セレネは魔王とレオンハルトの間に割り込むように立ち上がり────
────次の瞬間。
巨大な拳で殴りつけられたような衝撃が、図書館に襲いかかった。
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