003 自嘲

 巨人討伐の依頼主は、小太りな商人だった。

 三年も前に出した依頼のことなど、すっかり諦めて忘れていたのだろう。その話を切り出した時の、商人が浮かべた引きつった表情でそれがよくわかった。

 商人は成功しなければ金は出さないと言い切り、前金もなかった。元々報酬目当てで引き受けたわけではないから問題ない。

 まるで魔物でも見たかのように────実際、人間より魔物に近い部分も多々あるが────、怯えた表情の商人に見送られ、セレネは巨人が棲みついたという街道を目指した。

 空を見上げると、高い位置に太陽が見える。日差しは優しく暖かく、時折爽やかな風が通り抜けることもあった。絶好の昼寝日和だ。

 巨人が呑気に眠り込んでいてくれたら、無事に報酬を手に入れることになるだろうが、

(まあ、そうはいかないだろうな)

 封鎖された街道の手前には、短槍を手にした自警団員が二人立っていた。

 一人はふっくらとした中年の女で、もう一人はまだ少年と呼べそうなほど若い男だった。

 女は街道の方を、男はセレネの方を向いている。

「とっ、止まってくださいっ」

 男が妙に甲高い声を上げた。素直に立ち止まる。

 こちらに背を向けていた女が、男の声に反応して振り返った。

「あらあ? 珍しいわね、ここに人が来るなんて。どうしたの? もしかして道に迷っちゃったの?」

「こ、ここから先は大変危険です。巨人に襲われる可能性があります。べ、別の、他の街道をご利用くださいっ」

 男はまだこの仕事に就いてから日が浅いらしい。がちがちに緊張しているようだった。セレネを睨みつけるようにして、必死に言葉を吐き出している。

 そんな彼を落ち着かせようと、女が男の肩をぽんぽんと叩いていた。こちらは手馴れた様子で人の好い笑みを浮かべて、

「ごめんなさいねえ。そういうわけだから、別の道を使ってちょうだい。ちょっと遠回りだけど、その方が安全だわ」

「それがそうもいかないんだ」

 セレネは肩を竦めてから、二人に巨人討伐の依頼書を見せた。

 女の目が丸くなり、男が泣きそうな顔になった。

「ど、どどど、どうしましょう、隊長…………」

「…………他に仲間はいないようだけど。あなた、まさかこれを一人で?」

 女の言葉に、セレネは頷いた。

 女の顔から笑みが消えて、表情が厳しくなる。

「おばさんからの忠告よ。止めておきなさい。あなたの腕を疑ってるわけじゃないけど、巨人は一人で倒すものじゃないのよ。もし前金を貰っているのなら、すぐに返せば問題ないわ」

 真面目な顔でそう言ってくる。

 面倒見の良い人なのだろうとセレネは思った。無茶をしようとしている馬鹿に対して、怒鳴るのではなく冷静に諭そうとしてくる。

 こういう人は嫌いではない。だが────

「悪いな」

「えっ」

 小声で謝罪はした。その後に、女の鳩尾に拳を叩き込む。

 身体をくの字に曲げて昏倒した女を受け止めて、地面に寝かせる。事態についていけずに固まってしまった男に向かって、セレネはできるかぎり優しい口調で言った。

「大丈夫。ただの当て身だよ。そのうち目を覚ますだろうから、それまで傍についててくれ」

「えっ、あの、その…………」

 二人の脇をすり抜けるようにして、巨人が出るという街道に踏み出した。もしも男がセレネを止めようと追いかけて来たら、彼も気絶させるつもりでいた。

 だが、彼は女の傍にいることを選んだらしい。追いかけては来なかった。


☆☆☆


 巨人が出ると言う街道に足を踏み入れてから、数時間後。

 地面を揺らすような咆哮が辺りに響き渡った。

 巨人の寝床を探して歩き回っていたのだが、どうやら向こうの方が先にこちらを見つけてくれたらしい。

 腹の底に響く足音と共に、大木をなぎ倒しながら巨人が現れた。縄張りに入り込んだ人間を叩き潰そうと、巨大な拳を振り下ろす。

 セレネはそれを大きく横に跳んで、転がるように回避した。

 地面に深々と突き刺さった拳を引き抜き、巨人が地団駄を踏む。

「さて、悪いけど、ちょっと付き合ってもらおうか」

 巨人が足踏みをするたびに、地面が揺れる。釣られて転ばないように腰を落としてから、セレネは遠い昔にいなくなってしまった女神への祈りの言葉を呟いた。

「戦女神よ、哀れな黒騎士に祝福を」

 紅い光が、鎧のようにセレネの全身を覆った。剣にも同じ光が宿る。

 獲物の居場所に気付いた巨人が、今度は樹齢数百年の大木をもへし折る蹴りを放ってきた。

 今度は前に飛び込み、再び転がって回避する。

 セレネの姿を見失った巨人の股の間を走り抜ける間に剣を抜き、ついでに足首のあたりを斬りつけた。

 巨人からすれば小さな引っ掻き傷程度だっただろうが、無視ができる痛みではなかったようだ。怒りか悲鳴か、巨人の咆哮が響き渡る。

(さあ、どんどん頼むよ)

 再度降ってきた拳を回避して、セレネは小さく笑みを浮かべた。



☆☆☆


 旅人らしき女性の言う通り、彼は素直に上司が目覚めるまで待っていた。

 追いかけようとは思わなかった。万が一巨人やその他の魔物がここに来たらどうしようかと、途方に暮れたぐらいだ。

 いっそ助けを呼びに行った方が良いのか。いやいや気絶したままの上司をここに置いていくわけにはいかないだろう。とはいえ上司は結構デ…………太っ…………ふくよかな人なので、『万年モヤシ野郎』の異名を持つ自分が運ぶことなどできるだろうか。

 と、葛藤している内に、上司が起きた。

「あの子はどうしたのっ!?」

「え、え、あの子って」

「さっき来た死にたがりよ! 巨人討伐なんか受けちゃった子!」

「え、あの…………さっきの人なら、そのままあっちの方に」

「なんですってええええ!?」

 上司の目が吊り上がった。彼の襟首をつかみ、容赦なくぎゅうぎゅうと締めあげる。

「ちょっと! なんで追いかけなかったのよ!」

「そ、そんなこと言ったって~」

 普段穏やかで優しい人の怒鳴り声は恐ろしい。

 涙目になった彼を見て、これ以上何を言っても無駄だと判断したのか、上司はため息をついて彼を解放した。

 それからすぐに、巨人が棲みついているという街道の方へ歩き出す。彼は慌てて上司にすがりついた。

「た、隊長! 一体何を」

「何をじゃないわよ、連れ戻しに行くの!」

 あんたは足手まといだから来なくても良いわと険しい口調で言われて怯みそうになる。何とか踏み留まって、彼は必死に言葉を探した。

「無理ですよ! 相手は巨人じゃないですか!」

「無理でも何でも行くったら行くの! たとえ馬鹿で身の程知らずな小娘だってね、わかってて見殺しにしたらうちの自警団の名が廃る!」

「た、隊長~」

 上司は止まらない。言葉で駄目なら力尽くだと彼女の腰のあたりにしがみついてみたのだが、上司はずるずると彼を引きずりながら前進する。

 『万年モヤシ野郎』には彼女を止めるだけの腕力も体重もなかった。

 ────不意に、それまで歩調を緩めなかった上司が足を止めた。

「隊長? ど、どうかしたんですか…………?」

 彼の説得で気が変わり、追いかけることを諦めてくれたのなら良いのだが、もしかしたら巨人の気配を察知したために足を止めたのかも知れない。それなら最悪だ。

 不吉な予感に怯えながら、おそるおそる尋ねる。

 答えは返ってこなかった。

「隊長? たいちょ…………うわあっ」

 上司が膝から崩れ落ちる。彼女は再び意識を失っていた。

 上司に抱きついたまま押し潰すような体勢になってしまい、彼は慌てて飛び起きる。

「隊長…………隊長! 大丈夫ですか!?」

 呼び掛けても無反応だった。目を閉じて、ぐったりと手足を地面に投げ出している。

 どうすれば良いのかわからずに恐慌状態に陥りかけるが、必死にこらえてやるべきことを考えた。

 今は指示をしてくれる人はいない。彼がやるしかないのだ。

(まずは…………まずは、意識を失った原因の特定。それから、手当てがいるなら応急処置)

 上司が病を患っていたという話は聞いたことがない。

 ならば外傷かと思いついて、彼女の状態を確かめるために肩に手を掛けたところで、

「あ、れ…………?」

 突然襲ってきた強烈な睡魔に、彼は戸惑った。

 一体何が起きている? 睡魔に抗い切れずに、膝をつく。

(駄目だ! 今ここで俺まで寝たら!)

 自分の頬や足をつねってみたりと、彼なりに努力はしたのだが────結局、睡魔に勝つことはできず、彼はあっさりと眠りに落ちた。



「よし、上手くいったな」

 眠りの魔法を掛けられ、意識を失った自警団員二人を見下ろして、黒衣の少年は小さく呟いた。

「これで結界を張っておけば…………いや、目を覚ました時に閉じ込められていたら大変か。でもこのまま放っておいて寝てる間に襲われても大変だし」

 口の中でぶつぶつと呟きながら、二人の周りをうろうろと歩き回る。やがて少年はため息をついて、

「運ぶしかないか。見張りしてたところまで戻れば大丈夫だろ」

 ふくよかな体型の中年女性と、細身だが少年よりもずっと背の高い青年。

 どちらも少年よりは重そうだった。二人同時に運ぶのは不可能だ。

「どっちから先にするか。やっぱり女性から…………いやでもこっちの方は新人っぽいし。まあ結界を張っておけば大丈夫か。そんなすぐには起きないだろう」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、少年は青年の周りを覆うように結界を張った。

 それから中年女性の脇に手を差し入れ、苦労しつつ背中の上に載せる。背負うというよりは、中年女性の身体の下に少年が潜り込んだと言った方が正しいだろう。

「このっ…………負けるな! 教会の薪拾いに比べれば、これくらいっ」

 中年女性の体重に押し潰されそうになりつつ、少年はゆっくりと街道を引き返し始めた。

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