002 討伐依頼

 旅人の収入源と言えば、立ち寄った村や街の雑用が候補としてあげられる。

 歌や舞踏などに秀でた者であれば、そうそう困ることもないが────その村や街に、娯楽を理解し金を払うほどの余裕があればの話だ。

 最も手っ取り早いのは、自警団だけではどうにもできないような魔物の討伐だ。危険だがその分報酬も高い。

 腕に自信のある旅人たちは、そうした討伐依頼を探すために、村であれば村長の家に、街であれば情報の集まる酒場に足を運ぶ。

 セレネが立ち寄ったのも、そうした酒場のひとつだった。

 街の住人にも開放されているような酒場ではなく、旅人のためだけに作られたような場所だ。

 薄暗い店内には椅子代わりの酒樽が無造作に置かれ、壁には魔物の討伐依頼から皿洗いや子守りなどの雑用まで、様々な種類の依頼書が貼りつけられている。

 白く新しい依頼書と、長年放置されて黄色く変色したものが混ざりあい、壁をまだらに染めていた。

 酒場らしいところといえば、カウンター席が設けられていることぐらいだろうか。ここで酒を飲むためには、数少ないカウンター席を確保するしかない。

 と言っても、この酒場に来る旅人のほとんどは壁の依頼書が目当てのため、席を巡っての争奪戦は起きそうになかった。

「良い仕事は見つかったかい? お嬢さん」

 カウンターの向こうから、好奇心を隠そうともせずに酒場の主人がそう尋ねてきた。

 目の下に大きな傷跡がある禿頭の大男だが、物腰が柔らかいおかげで温厚そうに見える。顔だけではなく、手の甲や首元にも剣で斬られた跡のようなものが残っており、身体に残った傷跡を誇っているようだった。

 主人の言葉に苦笑で応えて、セレネは手元にあった酒を一気に飲み干した。

 ついでに、酒場の中に視線を滑らせる。

 巨大な斧を足元に置いて依頼書を睨みつける男。

 己の筋肉を見せつけるような露出度の高い服を着た青年。

 足を引きずっているものの隙を全く感じさせない老戦士。

 黒い長衣を身につけた怪しげな少年。

 武装しているとはいえ、細身の若い女がこの中に混ざれば、どうしても目立ってしまう。

 依頼書を確認している風を装いつつ横目でこちらの様子を伺う者もいれば、にやにやと下卑た笑みを隠そうともしない者もいる。黒衣の少年に至っては依頼書ではなくセレネの方を凝視していた。

「良いのが見つからないなら、子守りの仕事でも紹介しようか。うちは何でか知らないけど荒くれ者ばかりが集まる酒場でね。討伐依頼ばかりで驚いただろうけど、皿洗いとかもないわけじゃない────」

「これ」

 カウンターの内側で何やらごそごそと────おそらく皿洗いや子守りの依頼書を探しているのだろう────何かを探している主人を片手で制して、セレネは一枚の依頼書を彼の前に突き出した。

「これがまだ有効なら、受けたいと思ってるんだけど」

 主人が絶句した。よほど驚いたのか、口をぽかりと開けたまま固まっている。

 セレネが突き出した依頼書はかなり古いものらしく、黄ばんでぼろぼろになっていた。字も掠れて読みにくくなっている。

 内容は────『巨人の討伐依頼』

 商人が利用する街道付近に巨人が棲みつき、不幸にも巨人と遭遇した商人が殺され荷物を奪われるという事件が起きた。被害がこれ以上広がらないうちに討伐して欲しいというものだ。

 依頼が出されたのは三年前。その街道は現在は封鎖されている。

「もう無効?」

「い、いや、まだ有効なはず…………でもなあ、お嬢さん。相手は巨人だぞ。あんた仲間とかいるのかい?」

「いいや」

 セレネは首を横に振った。主人が再び絶句する。

 巨人の外観は人間に近い。筋骨隆々の大男を縦や横に二倍ほど引き伸ばしたような外見をしている。知能は低く魔法も使えないが、その巨体から繰り出される一撃は、人間を簡単に粉微塵にする。

 巨人を討伐するには、腕の良い戦士の他に、攻撃魔法を使える者が最低でも三人は必要だと言われていた。

「私一人でも何とかなるよ。でなけりゃ受けようなんて思わないさ」

「だっ、駄目だ!」

 石化したままの主人ではなく、幼い少年の声がそう言った。

 声の方を見れば、カウンターにしがみつくようにした黒衣の少年がセレネを睨みつけている。

 酒場の中で浮いていたのは、セレネだけではなくこの少年も同じだった。好奇の視線は彼にも突き刺さっている。

 当の少年はそれに全く気付いていないようだった。

「…………一応、何で駄目なのか理由を教えてくれたら嬉しいな」

 相手は子どもだ。優しい口調になるように努力はした。

 それでも少年は、セレネの冷たい視線に怯んだようだった。必死に言葉を探して言ってくる。

「おっ…………お前が受けようとしてるの、巨人の討伐なんだろ。しかも一人で」

「そうだけど?」

「そんなの無理に決まってる!」

「それを決めるのは坊やじゃない。私だよ」

 ばっさりと切り捨てて、セレネは酒場の主人の方へと向き直った。黄ばんだ依頼書をひらひらと振って、

「これにする。依頼主がどこにいるか教えてくれる?」

「あ、ああ。だけどな、お嬢さん────」

「まさかあんたまでそこの坊やみたいなこと言わないよな?」

「坊やじゃないっ!」

 顔を真っ赤にして何やらじたばたしている少年の方を見て、酒場の主人は盛大に顔をしかめた。それからカウンターの下を何やらごそごそと漁り始める。

「坊やじゃないなら何なのさ」

「それは…………その…………とにかく、もう子どもじゃないんだ。坊やは止めろ!」

「私から見れば充分子どもだよ。そういうのは、大人になってから言うんだね」

「言わせておけば…………! 見た目がちんちくりんなのは認めるけどな! 俺はこう見えても────!」

「ほらよ」

 目当ての物を見つけた酒場の主人が、セレネの目の前に依頼書と同じぐらい古びた紙を広げて見せた。掠れた字で、依頼主の住所が書かれている。

「もう三年も前の依頼だ。向こうも忘れてるかも知れないよ」

「ありがとう。その時は自分で何とかするよ」

 酒の代金をカウンターに置いて、セレネは席を立った。

 酒場の扉が閉まる直前、自棄になったような少年の叫びが響く。

「お前! このままだと死ぬぞ!」

 そんなこと、わざわざ言われなくてもわかっていた。

(死ぬために選んだんだから、良いんだよ)

 胸中だけで少年に応えて、セレネは依頼主の家を目指して歩きだした。

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