002 古城にて
トトの村から少し離れた場所に、朽ちかけた古城があった。かつてこのあたりを治めていた王家のものだとか、魔王が封印されている場所だろうだとか、噂話には事欠かない。
トトの子供たちは、親からあの城には近づいてはいけないと繰り返し言い聞かされながら育つ。だが、そのために格好の肝試しの場所にもなっていた。
夜中にこっそり村を抜け出し、誰が一番城の奥深くに行けるのかを競っていた時期もあった。だが、古城に魔物が棲みついてからは、それもできなくなってしまった。
村人たちから魔物の巣窟と呼ばれ、恐れられている古城。いつの間にか、古城の魔物が村を襲わないよう、十年に一度、生贄として村の子供が捧げられるようになってしまった。
(実際には)
まだ十にもなっていないだろう小さな子どもを脇に抱えて、彼は苦々しく胸中で吐き捨てた。
(住んでいるのは俺だけで、生贄なんていらないんだけどな…………!)
子どもは好きだ。大好きだ。でもそれは一緒に遊ぶとかお菓子を食べるとかお昼寝をするとか、そういうことであって、生贄として食らうなんてとんでもない。
肝試しのために古城に訪れる子どもたちは大事な客人だ。友達になれたらもっと嬉しい。
だから、魔物に襲われないために生贄を捧げるなんて、迷惑でしかないのだ。
最近は子ども達が遊びに来てくれなくてとても寂しいといじけていた時に、古城に最初の生贄が現れた。
涙を浮かべ、怯えきった子どもの表情は、今でも目に焼き付いている。
「食べないの?」
あれには落ち込んだ。最初の生贄がよりにもよって彼と仲良くしていた子供だっただけにきつかった。
あれだけ一緒に笑ったのに。一緒に泣いて、驚いて、笑ったのに。
やはり俺は魔物でしかないのか、と。
十年も経てば嫌でも気がついた。寿命がとても長い彼と違って、人間は十年も経てば立派な大人になる。彼と一緒に遊んだ子ども達も、大人になって、親になる。
だが、古城に住んでいるのが彼だとわかっているはずの子ども達も、自分の子供を生贄として差し出すのだ。
彼が村を襲わないことを祈って。
「兄ちゃん…………」
脇に抱えていた子どもが、縋るように彼の服の胸元をつかんだ。
今にも泣き出しそうな子どもの頭を撫でて、できるだけ優しい声で言う。
「大丈夫。兄ちゃんはこう見えて結構強いんだ。あんな魔物、すぐに退治してやるからな」
それでも子どもは好きだ。大好きだ。
嫌いになんてなれない。子ども達も、トトの村の人達も。
子どもを背中に庇って、前方を睨みつける。
血に飢えた長い爪を持つ魔物が、そこにいた。
「ここは俺の家だからな! さっさと出て行ってもらおうか!」
☆☆☆
夜になる前にたどり着かねばと急いだ甲斐もあって、セレネと友人は日暮れ前にトトの村に到着した。
宿に荷物を預け、さて情報収集をしようというところで、二人の前に青白い顔をした宿屋の主人が現れた。
「お願いします! あの古城の化物を、退治してください!」
「ちょ、ちょっと…………どうしたんですか、一体」
見事な禿頭に、丸々とした体型。身長は低いものの、日々の野良仕事で鍛えられた腕や足は丸太のように太い。
そんな中年男性が、セレネ達の前で膝をつき、床に頭をこすりつけるようにして懇願していた。
セレネは宿屋の主人に合わせるように床に膝をつき、友人は腕を組んでそれを見下ろしていた。低い声で尋ねる。
「何があった」
「シリルが…………うちの息子が、生贄に選ばれちまったんです…………!」
宿屋の主人は今にも泣きそうな声で言った。
トトの近くにある古城には、恐ろしい魔物が棲みついている。その魔物が村を襲わないように、トトでは十年に一度、村の子供を生贄として捧げているのだという。
今年はその十年目で、不幸なことに宿屋の一人息子のシリルが生贄として選ばれてしまった。
古城の魔物さえ倒せれば、もう生贄を出す必要もなくなるが、村には魔物と戦えるような者はいない。
「村のためだと思って、シリルを古城に置いていきました。でも、今日の昼だ。あいつは頭が良いから、まだ何とか生き延びてるかも知れない…………お願いです、あの魔物を退治してください!」
「なるほど。そんな事情があったんですね」
宿屋の主人の話に相槌を打ちながら、セレネはちらりと友人を見上げた。友人は相変わらず、腕を組んだまま難しい顔をしている。
古城の魔物を倒すのは、不可能ではないと思う。
問題は、生贄として捧げられたシリルが生きているかどうか。
「ねえ、あなた、何をしているの?」
そこに、細い女の声が割り込んできた。
声の主の方を見て、セレネは思わず息を飲んだ。
宿屋の主人も病人かと思うほど青白い顔をしていたが、こちらはもっと酷い。死体だと言われた方がまだ納得できるような、土気色の顔をした女だった。
年齢は宿屋の主人よりやや若いくらいか。目の焦点が合っておらず、どこを見ているのかもわからない。
「な、何ってお前、あの古城の魔物を倒してくれって頼んでるんだよ。そしたらもう生贄を出す必要なんてないし、シリルだってもしかしたら」
「あの子は自分の運命を受け入れたのよ!」
女が突然金切り声を上げた。それだけでは収まらず、床に膝をついたままの宿屋の主人を殴りつけ始める。
「あんたが村のためだからわかってくれとか言って! 村のためだ皆のためだ、お前は村の英雄になるんだとか言ったんじゃない! だからあの子はたった一人であんなところに!」
「し、仕方ないだろう! うちが嫌がったところで別の子供が生贄になるだけだ!」
「ちょ、ちょっとお二人とも、落ち着いてください!」
慌てて宿屋の主人と女の間に割って入ったが、二人ともそれで落ち着いたりはしなかった。
主人を殴りつけるのを止めた女が、セレネの肩をすがりつくようにつかむ。焦点の合わない瞳で、早口に呟き始めた。
「なんでシリルなの? なんで他の子じゃないの? なんで子供じゃないと駄目なの? なんで大人じゃ駄目なの?」
「村の決まりなんだ、仕方ないだろう。でも、この人たちに頼めば、もしかしたら」
「なんであたしじゃ駄目だったの? なんであんたじゃ駄目だったの? なんであの子なの? なんでシリルなの!?」
「────奥方」
それまで事態を見守っていた友人が、そこで初めて声を上げた。
「村のためとは言えご子息を生贄に捧げなければならなかったというご心痛、お察しする。ご子息の救助を最優先にして、古城の魔物を退治しよう」
「あの子を、助けてくれるの…………?」
「最大限努力する」
呆然と呟く女に向かって、友人は硬い声でそう言った。
必ず助けると断言はできない。シリルがまだ生きているとは限らないからだ。
女は細い息をついて、空気が抜けたようにその場に座り込んでしまった。
「あ、ありがとうございます。あの古城の魔物を退治してくださるなら、私にできることなら何でもします」
「ああ、そうだ。報酬のことだが」
友人はそこで、実に人の悪い笑みを浮かべて見せた。
「魔物を倒したらあの古城を貰おう」
「は?」
「あれを俺様の城にする。そうと決まれば善は急げだ。行くぞ、セレネ!」
「はいはい」
目を丸くした宿屋の主人と、心ここに在らずな女を置き去りにして、セレネと友人は村の外れにある古城へと向かった。
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