人間病

あまん

第1話 獣人

北の大地の外れにその森はあった。寂しく無人島の様にぽつんと取り残されていて周りはゴツゴツした荒地で囲まれ、人の気配はない。青々と葉が茂り、森に沿って歩くと綺麗な小川さえあり、日の光を浴びると薄緑に輝き、一見砂漠のオアシスの様に見えるが土ははぬかるんでいるので作物は育たない。一年を通して乾燥していて、身を切る様な寒さだが、雪の降り始める冬の季節になるとさらにひどい。質量感のある雪が森を呑み込み、純白に染め上げる。岩の様に重たく粘土の様に粘り気のある雪が空高く聳える木々の枝の隙間に引っかかり、その下を通る旅人達を押しつぶそうと虎視眈眈と睨みを利かせている様に思える。我先にと太陽に向かって枝を伸ばす木々の枝がおり重なり合い、混ざり合い、鍋に蓋をする様に天を覆い隠しているが、日の光が元来弱いせいか葉に色はなく、死んだ様に茶色い。森に誰も住まないせいでその森は危険な植物や虫の楽園と化していた。

獲物が通りかかれば触手の様に絡みつき、絞め殺すまで離さない蔓、地面に擬態し、踏み抜けば真っ逆さまに落ちていき、落ちた先で生きたまま獲物を溶かす食獣植物、甘い匂いを放ち、それに騙され蜜を吸う愚かな獲物の腹の中から食い破り開花する邪悪な花。

森の果実に巣食い、果実を食べた者の脳に寄生し宿主の主導権を奪い、少しずつ脳を貪り食っていく寄生虫。毒針で刺した相手を躁鬱状態に陥らせ、自ら命を絶たせてその死体をあさる蝿。一度に百万の卵を産み、集団で行動し、森一帯に毒の霧を降らせる蛾。

そんな生き地獄の様な場所にわざわざ出向く様な物好きもおらず、旅人、商人はたとえ回り道でもその森を避けるようになった。北の森ははんば忘れ去られ、はんば危険視され、一つの秘境として完成する。

そこへ、一人の男が北の森に現れる。名をロイド・バックマンという獣人の男だった。ロイドはメンフクロウの獣人だった。全身を白い毛で覆われ、黒真珠の様な丸くて小さな瞳、薄い眉、釣針の様な尖った花、耳は地面まで伸びた長い白髪に隠れて見えない。肩甲骨から生えた翼は他の鳥系の獣人達と違って小さいが雪の様に白く、扇の様に優雅だ。

彼は北の森から数キロ離れたバーナス・カレッジという田舎町の出で、林業を営んでいた。ロイドは街周辺の山間部を事業の中心としていたが、ここ数年で山の大半の木を刈り尽くし、最近では禿山が目立つようになった。

最初のうちは備蓄していた木材を売ることで事足りたが、数ヶ月もすると、たちまち底を尽き、夕飯の飯を買うお金にさえにも困るようになった。すると彼の同業者達はしめたとばかりにロイドの事業から手を引き始めた。ロイドと連絡を絶ったり、道で出くわしても挨拶一つせずに顔を背けて足早にその場から去ったり、金の無心のするロイドの鼻先で門を閉めたりする者まで現れた。ロイドは最初は腹を立てたが、少し経つともし自分が彼らなら自分も同じことをするだろうと妙に納得したものだ。

金もない、仕事もない、仲間も去った、あてもない、そんなどん底の彼の元にとある依頼が舞い込んできた。それは北の森の木を伐採して届けて欲しいというとある加工業者からの依頼だった。

いくら浅学の徒のロイドでも北の森の樹の材質ぐらいは承知している。北の森に群生している木々はそこの土地にだけ群生しているもので、非常に質がいいことで有名だった。樹皮は鉄の様に硬く、葉は高熱、下痢、頭痛、吐き気など諸々の症状に効く万能薬で、根はよくしなり、命綱に使え、滅多に市場に出回ることはない。なぜなら北の森には先に述べた様に凶暴な食獣植物、寄生虫達が数多く生息し、生きて戻ってきた者は数えるほどしかいないことが現状だった。

逆に言えばそこは奇跡が埋まっている土地でもあった。植物や虫をどうにかかわせば貴重な木を入手でき、それを高値で売れば充分すぎるほどの金が手に入る。一発逆転のチャンスを狙える場所。下手なスロットより運という脂がまわったギャンブルだった。

まぁ、北の森の住人からしても餌がひょいひょい向こうからやってくるので絶好の狩場だったのだろうけど。

「おい、ロイド!そっちは逆方向だぞ!」

ロイドが森の外縁部で靴紐を結び直していると背後から声が飛んできた。ロイドが後ろを振り向くと、そこにはロイドの友人、ゲイティ・ダックボルトが立っていた。ゲイティはアヒルの獣人で、肌はやけに白くて背が高い。年齢はロイドより少し下の25歳だ。顔の中央部には鼻の代わりに白いくちばしがピノキオの鼻のごとく伸びている。金髪の髪は後ろで束ねられ、歩くたびにゆさゆさと揺れる。ロイドと同じ擦り切れた作業服を着ているが、ロイドのと違ってなぜかおしゃれに見えた。

「そっちは猛毒植物の原生林だ。もう少し北に行ってから森に入ろう。そっちの方がまだ安全だよ」

「ああ、うっかりしてた。行こう」

ロイドは靴紐を縛り終え、立ち上がった。泥まみれであちこちに穴の空いている靴を見下ろした。新しく買い換えなきゃな、とぼんやりと思った。






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人間病 あまん @Iwakensan

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