夜の太陽朝の月

雨宮 柊

1.




雨だ。

寝ぼけた意識の中で雨音が静かに響いている。足先が冷たい。布団に深く潜り込んで、胎児のように丸まる。


薄目で時計を見ると時刻は午後10時を指していた。世間はとっくに活動を休めているような時間帯だ。もう一度目を閉じてみる。二度寝したいわけではないが、起きたくもないのだ。ずっと眠ったままでいられれば、どんなに幸せだろうか。


今日は23時から朝の6時までコンビニの深夜バイトが入っている。

シャワーを浴びるのが面倒だ、化粧をするのが煩わしい。

働きたくもないし、ずっと寝ていたい。

けれど身体は思考と別の生き物のように、勝手に動くのだ。

シャワーを浴びて、髪を乾かす。マスカラを塗って唇には紅を引く。だぼっとした緩めのTシャツとジーンズに身を包むと、私は携帯だけを持ってワンルームのアパートを出た。


外に出ると、雨は既に上がっていた。点々とある街灯が暗闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。

この辺りは田舎ではないが都会というわけでもないから、この時間帯に出歩いている人はあまりいない。

住宅街に囲まれた車道の中央を歩く。こうしていると、まるで自分がこの街の支配者にでもなった気がして、少しわくわくする。リズミカルに歩調を刻んだりして。



自宅から徒歩5分もかからない距離に私のバイト先のコンビニはある。家からずっと真っ直ぐに歩いていくと、すぐに着く。今まで軽やかだった足取りが急に重くなる。

けれど嫌々でも働かなければいけないのだ。収入がなければ生きられないのだから。

いつもように自動ドアを抜けると、レジには店長が立っていた。


「小夜ちゃん早いね今日」

「たまたまですよー」


当たり障りない挨拶をして、裏の休憩室へ引っ込む。ロッカーから制服を取り出して、Tシャツの上から羽織った。胸のあたりまである髪を適当に一つに括る。出勤まで少し時間があるので、椅子に腰をかけると時間潰しに最適なSNSを開いた。

私はSNSに投稿をしない。

否、しないというよりかは、出来ないと言った方が正しいだろう。私は自分自身の生活、人間関係、趣味などその他諸々___充実しているという肯定感が持てない。故に、投稿なんて、とても出来ない。

自分のアカウントを開くと、投稿ゼロの殺風景さにいたたまれない気持ちになる。

タイムラインに流れてくる友人達の華やかな投稿を見る度に、自分とのギャップが苦しい。

苦しむぐらいなら、SNSなんかしなければいい話なのに私は辞めることが出来ないのだ。

むしろ、頻繁に他人の投稿をチェックしてしまう。自分でも、馬鹿らしいとはわかっているのに。

携帯をロッカーの中にしまうと、私は休憩室を出た。



***



「6ミリ1箱」


目の前の男は今日も同じ台詞を口にする。

深夜2時を回った、最も客が少ない時間帯だった。この男は夜中にしか来店しない。

私は手際よく棚から商品を取り出すと男に手渡した。

長髪、とまでは言わないが男にしては長めの髪の毛に黒縁メガネ。色白で長身。

長い前髪に隠された素顔は未だにお目にかかれていない。

見た目だけで判断するのならば、いかにもインテリで大人しそうなタイプ。

毎日のように夜中に煙草を買いに来る彼。いつの間にか覚えてしまった。


「550円、お預かりします。レシートはご利用されますか?」

「はい」


彼はいつも律儀にレシートを受け取る。彼の白い手の甲や細いけれど少し骨ばった指を、レシートを手渡す度につい見てしまう。

彼はとても綺麗な手をしている。


「ありがとうございました」


私がお辞儀すると、彼も軽くお辞儀をする。

自動ドアへ向かう彼の背中を私の視線は追う。彼の後ろ姿が消えたあとも、私はずっと彼の消えた自動ドアを見つめていた。


「彼さあ」


隣に立っていた店長が口を挟む。


「小夜ちゃんがいる日しか来ないんだよね。見た目もなんか怪しいし、気をつけなよ」

「まさか。でも、一応気をつけておきます」

「毎回夜中にさ、それも小夜ちゃんがいる時間帯にしか来ないなんて変だよ」


店長が眉間に皺を寄せた。

店長の言う通り、毎回夜中にしか彼は来ない。けれど、店長は考えすぎだ。きっと彼と私のライフスタイル?生活リズムが偶然被っているだけだろう。こんな小さなことで店員から不自然に見られる方がよっぽど可哀想。


「何かあったらいつでも俺に頼るんだよ!」


得意げに話す時の店長は声が大きくなる。おまけに、鼻息荒く話すものだから、私はそれが少し不愉快。


「気持ちだけ、ありがたく受け取りますね」


営業スマイルを顔に貼り付けながら、私は心の中で溜息を吐いた。

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