俺がこの世界のメンデレーエフです。

繚蘭

第1番 化学世界《ケミカルワールド》

 「えー、この元素の周期律表を一番最初に思いついたのはメンデレーエフという人物で…」


 俺にとって一番憂鬱で怠惰で無駄で虚無でくs…もとい、嫌いな時間。「化学」の時間。なんで俺がこんな授業を受けなくてはいけないのか。13年生きてきたが未だに謎である。

 何やら凄い化学者さんが50年くらい前に凄い頑張って世界が滅ばずに済んだとかいう凄いことをしてくれたらしいけど(語彙力のなさが露呈しちまう…)。化学学年最下位の俺にはどうでもいいことだ―。


「…もと!…水素みずもと!!」

「は、はひぃ…!!」

「またお前は授業に集中していなかったな ?はぁ…ではこの周期律を考えたのは誰だ?」

「え、えーっと…」

「(………メンデレーエフ…)」

「へ…?メン、メンデレーエフ…?」

「おぉ…!!」

 クラス一同から驚きにしか取れないどよめきが起こる。中にはあまりの驚きに拍手をするものさえいた。

 普段は寝ているか窓の外を眺めるか(厨二病思考に思いを馳せるか)で授業の内容を頭に全く入れていない俺が先生の問答に答えたのだ。当然といえば当然である。

「(…お、俺だってやるときゃやるんだよ。舐めんなっての!…でも、さっきのはどこから…?)」

 そんな俺の束の間の余韻を背後から喉を突き抜ける炭酸の如く、爽やかな声が弾き飛ばした。

「おい!水素!お前珍しくやる気じゃねぇか!彼女でもできたのか?」

「はぁ…んなわけないだろ?俺は黒髪ロング、身長150センチくらいで、和服が似合うあわよくば胸はCカップの彼女が欲しいんだよ。お前みたいに彼女に困らないやつとは違う。」

「ひでぇ言い方だなぁ…アニメの中のヒロインみたいな彼女を求めてたらいつまでも独り身だぞ?」

「…ほっといてくれ。」

 同じクラスの有史ゆし 勇気ゆうきである。勉強は常に上位層、野球部のキャプテンで運動神経も抜群。さらに短髪がその綺麗な顔立ちを際立たせる。女子には月に一度は告白されるしファンクラブすら存在する。

 万年成績最下層、ましてや化学はほぼ毎回最下位。女子からは「顔が怖い」と敬遠されがちな俺とは真逆。つまり俺のだ―。

 だが授業中に有史が起きていることは珍しい。普段は寝ているか、寝ているか、寝てい…うん、寝ている。まるでゼンマイ仕掛けのようにチャイムで眠りチャイムで目覚める。なのに珍しい。


「お前なんで起きてるん……」

 …ゴンッ―。

 鈍い音とともに頭部に微かな痛みを感じた。と同時に俺の意識は暗闇の中に落ちた。

「…ず素!…素―」


 2099年5月18日 月曜日 9時25分―。


「…っ!なんだ俺、有史と喋ってる最中に寝ちまったのか…?」

 目覚めたばかりでまだ瞭然としない意識の中で俺が見たのはまるでファンタジーの世界のような、ダイヤモンドのように美しく、激しく燃えるマグネシウムのように輝かしく、微かに揺れる水面のようにどこか淋しげな光景であった―。



俺は死んだらしい。いや死んだ!そうでも仮定しなければこの目の前の光景に説明がいかない!!


「これが死後の世界か…ん?てことは天国か地獄…?―でも光景的に天国じゃね!?よっしゃー!!」

 もはや自分を産んでくれた母親や一生懸命働いてくれた父親になんの謝罪の意もなく、ただただ天国(であろう場所)に来れたことを喜び発狂する。…こんな厨二病な俺を両親は許してくれるだろうか―。

「ん?てことは俺は羽が出せるのか!?天使的なノリで!?」

 両手を広げて鳥のように飛ぶ真似をしてみる。当然だが羽は出ない。だが厨二病は止まらない。

「…これはきっと成長するにつれて能力が付いてくるRPG的なだな!」

 自分が何が出来るのかを把握するために様々なことをしてみた。岩に動くよう念じてみたり、炎を吐き出そうとしたり、透視しようとしてみたり―。


 …何も出来ない。いや、それどころか人間と出来ることも変わらない。別に高くジャンプできたり、やたら遠くが見えたりするわけでもない…。

「え?俺ってこの世界でも振り値なしのただの人間…?」

 まさかそんな…。そんな思いがよぎるのと同時に諦めが顔を出す。

「―まぁ、でもそんなもんだよな…生きてる時に何か偉大なことやったわけでもないしな…。むしろ天国に来れただけでも感謝しなくては!!」

 俺が厨二病の極致に身を浸していると気付いた。


「そういえば誰もいない…。天使も、他に死んでるはずの人たちも誰も…。」

 そんな言葉を待ちわびていたかのように頭上から(?)どこか奥ゆかしくも甲高い声が響く。

「いるわけないじゃないですか〜!ここは化学世界ケミカルワールドですよ〜?」

「…えっ?へ?空から?降りて?…神様!?…どうかお助けを!私は何も悪いことはしておりません!ただただ勉強の成績がかんばしくなかった普通の中学2年生なんです…!どうか地獄だけは…!!」

 必死に土下座する。額が地面とぶつかり、たこ焼きのようなたんこぶを作ろうとも気にしない。ただひたすらに地面に頭を打ち付け続けた。

「―。あのぉ、何を勘違いなさっているのかはわかりませんが、ひとまず私があなたを脅しているかのように見える、その凄まじい土下座をやめて頂いてもよろしいですか…?」

 物腰のやたら柔らかい話し方を聞いて平静を取り戻す。―わけがない。

「神様、私をお許しですか…?こんな惨めに天国へと参った私をお許しになさるとおっしゃるんですか…!?」

 目には涙、手には汗、額にはたんこぶ。誰がそんなヘタレの姿を見たことがあるだろうか。いや、ない。

「えーっと…申し訳ないのですが私はあなたの仰るような非化学的な存在ではありません…。この化学世界の秩序を正す化学裁定者ケミカルルーラーのサポート役です!名前をHeliu《エリウ》と申します!与えられた原子は〝He《ヘリウム》〟です!!」

 彼女のそのほがらかな笑顔とともに唱えられた自己紹介は聞いているこちらも心地の良いものだった。

「け、ケミカルルーラー…?ヘリウム…?え?」

 残念だがその心地の良い自己紹介も音だけの話。耳に入ってくる情報は自分が処理し切れる量ではなく、話の冒頭でショートしていた。

 それだけではない。目の前に立つ女性は黒髪のセミロング、和服がとても似合いそうな可愛らしい顔立ちなのである。あとは胸だけだが…。

「天使だ…。」

 心の声がとっさに漏れる。と同時に俺の両手は彼女の胸めがけてまっすぐ進んで…。


「何しようとしてるんですか!!?」

 彼女の怒号と共に自分の体が一回転しながら宙に浮くのがわかった。

「―へ?次は何…?」

 そんな思考も終わらずに俺は地面に落ちた―。


 2099年5月18日月曜日9時48分―。



「…!それでは改めまして。私、エリウと申します。化学裁定者様マスターのサポート役を務めさせていただきます!与えられた原子は〝He〟です!以後お見知りおきを!!」

 改めて元気よく発せられた自己紹介。いつ聞いても心地が良い。だが、まず俺の頭に浮かんだ質問は―。

「ここって天国じゃないんですか…?俺、確か学校で意識失ってそのまま…。」

「そのまま…?」

「し、死んだんじゃ…?」

 その瞬間、目の前の美少女は呆気に取られたような顔をしながらもどこか楽しそうに。

「死んだなんてとんでもありません!マスターには生きていていただかないと困ります!」

「え?俺…生きてるの…?」

「はい!精神だけこの世界にお借りしているだけです!戻せば元の世界で普通に暮らせます!」

「じゃぁ、ここは…?」

 あぁ、お父さん、お母さん、勝手に死んだなんて考えてごめんなさい!俺まだ生きてます!勉強もできなければ厨二病拗らせた俺がすぐ戻ります!

「この世界は化学世界ケミカルワールドといい、マスターの暮らす世界と並行して存在しています。俗に言う、平行世界パラレルワールドですね!」

「お、おう…(並行世界?まじか!厨二病の血がたぎる…!!)」

「2050年、地球は予想をはるかに上回るスピードで進む温暖化に対抗できず、2000年から比較するとのその4分の1の陸地を失いました。人々は住む場所を追われ、途方に暮れていたそんな時、とある化学者がこの世界を作り温暖化を止めただけでなく、失った陸地をも取り戻したのです!」

「あー…なんかすっごい外国人みたいな名前した…」

法円寺ほうえんじ 排無はいむですね。あなたの世界で言うと私のになります!私は〝ドクター〟と呼んでいましたが…。」

 着々と進む彼女の説明にリズムを取られ、処理できているのかさえわからない話をただ呆けて聞いている。

「あ、マスター!そう言えばマスターのお名前をお伺いしていませんでした!なんとお呼びすれば宜しいでしょうか?」

 突拍子のない質問に一瞬戸惑うがすぐに答えた。

「名前は水素みずもと 杯斗はいど。みんなからは普通に苗字で呼ばれてるけど…」

「うーん…やっぱり〝マスター〟っておよびしていいですか!?そっちの方がしっくりくるので!それと、私と話す時は敬語はやめてください!あなたは私のマスターなのですから!」

「わ、わかった…頑張ってみるよ…(マスター…素晴らしい響きじゃないか!)。ところでさっきから言ってた〝化学裁定者〟って何なんだ?」

 忘れてたと言わんばかりに焦った顔で慌てて説明を始める。

「(こりゃ完全に忘れてたな…)」

「わ、忘れてなんかはいませんからね!これから話そうと思っていました!…化学裁定者というのはいわばこの世界の化学反応の調整役です。正しい反応は手助けし、誤った反応は正す。時にはこの世界に存在しない原子を見つけて新たな反応に導く!これが化学裁定者の役目です!マスターは50年に一度の裁定者選択で初代・化学裁定者に選ばれたのです!」

 …?なんで俺?

 そんな考えも気にせぬような饒舌で彼女は語る。

「本来は50年目に選択する予定だったのですが初回ということも考えて少し早めの選択となりました!ちなみにマスター!マスターの授与原子は何ですか?」

 彼女の長い話から唐突に自分に話が振られた。授与原子?なんかさっき彼女もHeとか言ってたな…。でも俺は普通の人間だろ…?当然だと言わんばかりに言う。

「そんなん持ってるわけないだろ?俺はただの人間だ。」

 薄笑いとともにドヤ顔を決めてやった。

「…はっ?授与原子わからないんですか!?」

 ん?俺はなにか間違ったこと言ったのか?やたら驚いてるな…。

「君は―。」

「エリウです!」

「え、エリウはヘリウム?だっけ?ごめん、俺、化学最下位だからよく分かんないんだ。」

 エリウの口は口内で爆鳴気(酸素と水素の混合気体)が爆発したのではないかというくらい綺麗に開いていた。

「え?なに?ダメだった…?」

 エリウは大きく空いた口をやっとの思いで戻すと言い放った。

「マスターは死にたいんですかーーー!?」


 2099年5月18日月曜日 10時06分―。

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