種 ~秋乃 2~

 秋乃先輩は軽音学部の打ち上げで、遅くに帰ってきた。おれたちは四回目のパーティー終盤で、もう冬海が作ってくれたデザートに手を出していたが、秋乃先輩も荷物を部屋に置いて、参加してくれた。


「秋乃先輩たち、本当にすごかったですね。おれ、すごい感動しました」


 おれが口火を切ると、みんな称賛の声を上げる。


 秋乃先輩が照れたように、おさげを触ると、小さな声でありがとうと言った。


「今日は色んな人に褒めてもらってるけど、いくら褒めてもらっても慣れないなぁ。本当に嬉しい、ありがとね」


「わかります! いくらでも嬉しいし、いくらでも照れくさいんですよね」


 うんうんと頷く。嬉しいものは嬉しい、これに限る。


「うん、この気持ちに慣れたくないなぁ……こんなに気持ちいいんだもん」


 秋乃先輩もまだ心をライブ会場に置いてきているようだ。秋乃先輩は目も声もとろけている。


 そんな秋乃先輩は、どこか色気をまとっていて、とても美しかった。おれは言葉をなくす。


「私、もう部屋に帰るね。秋乃先輩、今日は本当にありがとうございました。イメージが大量に降ってきてます」


 春花はそう言うと、急いで部屋に帰っていった。ライブで湧いたイメージのスケッチが、まだ終わってないのだろう。忙しそうだが、幸せいっぱいの顔をしていた。


「わたしもきょうは、もうかえるぞー。きょうのさけは、いつもよりおいしかったなー」


 一本しか飲んでないがペースが早かった夏樹先生は、ふらふらしながら帰っていく。次の日には残らない体質は便利だそうだ。


「私もちょっと部屋のキッチンの片付けをしてくるね。こっちの部屋も片付け手伝うから、ちょっと待ってて」


 几帳面な冬海のことだから、自分の部屋にあるキッチンの片付けも大変だろう。


「こっちは、おれ一人でするから任せてくれ。いつもおいしいデザートありがとな」


 冬海の顔が赤く染まる。そして咳払いすると、ゆっくりと言葉を考えたようで、間が空いた。


「おいしいって言ってくれて嬉しい。食べたいお菓子があったら、なんでも作ってみせるね」


 そう言うと、部屋から去っていった。心なしかロボットのような動きだった。


「一くんって罪作りだねぇ。冬海ちゃん、すごい照れてたよ」


 秋乃先輩はにやにや笑いながら言う。まるで獲物を見つけたハンターのようだ。


「罪作りってなんですか? 違いますよ」


「そうかなぁ? 春花ちゃんと冬海ちゃんを弄んじゃだめだよ」


 こういう後輩を思いやるところは、とても先輩らしい。おれは弄んでないけどな。


「弄んでないと思いますけど、わかりました。秋乃先輩ってお姉ちゃんみたいですよね」


 そう言うと秋乃先輩は嬉しそうに瞳を輝かせ、おれの方に身を乗り出す。


「秋乃、実は妹がいるんだよ。その子にはお姉ちゃんって認めてもらえてないんだけど……それは別として、お姉ちゃんって言われるの嬉しい!」


 複雑な家庭環境を抱えているとは知らなかった。だが、それでも明るい秋乃先輩はまさに太陽のようだと思う。


「片付けも秋乃が手伝うよ。お姉ちゃんと一緒にやろうね」


 なんだかノリノリだ。秋乃先輩のポイントを突いたようだ。


「ありがとうございます、お姉ちゃん」


「えへへー」


 そうやって二人でキッチンに皿を下げる。食べ残しもほとんどないので、いつも片付けは簡単なのだが、二人でやった方が早い。


 おれが皿を洗い、それを秋乃先輩が拭く。食洗機はあるが、時々こうやって自分で洗っている。洗い、乾燥を待つのが、性に合わないからだ。


 皿を片付けようとしている時、おれは上の棚を、秋乃先輩は下の棚を担当していたのだが、少し高かったようだ。秋乃先輩が後ろにぐらつく。おれは皿を持っていたので、秋乃先輩の背後に回り、胸で受け止める。


 少ししか体重をかけていないのもあるだろうが、とても軽く温かった。


「あ、ありがとう、一くん」


 体勢を立て直した秋乃先輩は、気まずそうだった。腕は皿を持ち、上にあげているが、後ろから抱きつくような体勢だからだろう。おれも少し恥ずかしい。


「いえ、気にしないでください。秋乃先輩は大丈夫でした?」


「秋乃は大丈夫! 一くんは重たくなかった?」


「全然重たくなんかなかったですよ! むしろ軽かったです」


 正直に答える。女性は自分を重たいと思っているとよく言うが、これは謙遜しすぎだ。


 秋乃先輩はおれの胸の中から出ると、顔が赤い。さっきまで顔が見えていなかったが、こんな可愛い表情をしていたのだ。


「そう……ありがとう! あんまりそう言われたことないから、照れるなぁ」


「いや、本当に軽かったですよ。あんまり謙遜しないでくださいよ。秋乃先輩はすごい素敵な人なんだから」


 秋乃先輩はいつも周りを見ていて、気が利く素敵な人だ。思ったことを言うと、秋乃先輩はもっと顔を赤らめた。


「一くんはたらしなんだね! もうちょっとで、たらされるところでした! 逃げます!」


 皿を置いて管理人室から出ていこうとする。しかし、戻ってきた。


「最後まで手伝えないのはごめんなさい。もう少しで春花と冬海のライバルになるところだったから、ちょっと逃げるね。訳は教えてあげない」


 え? おれのせいなのか?


 秋乃先輩は、早口で言うと、おやすみ、と管理人室の扉を閉めた。



 賑やかだった管理人室に、頭をはてなで埋めたおれだけが残った。

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