種 ~夏樹 2~

 沈黙が流れる気まずい帰り道を進み、四ツ葉荘でエレベーターを待っていると立葵先生は神妙な顔をして言う。


「すまん、どう言えばとか何を言えばとか、全然思いつかなくて何も言えなかった。晩御飯を食べ終わる頃には決心が着くと思うから、時間を作ってくれ」


 その気まずそうな声が、いつもかっこいい立葵先生から出たと思うと可愛くて、思わず笑ってしまう。


「はい、いつでも聞かせてください。秘密なら言いにくくて当然ですから」


「いや、秘密というほど秘密じゃないんだが……まあ、買ってきたものを部屋に置いてくる」


 ようやくきたエレベーターに乗り、おれは管理人室へ、立葵先生は部屋に戻った。


「ただいま。冬海、準備を任せて悪かったな」


 話しながら部屋に進むと、そこには立葵先生以外の全員が揃っていた。


「おかえりなさい、一くん。お味噌を買いに行ってくれてありがとう。春花と秋乃先輩も手伝ってくれたから、気にしないで。あとはお味噌をとくことと、魚を焼くことだよ。先生が帰ってきたら、焼き始めるつもり」


「おかえりー。冬海ちゃん、秋乃のサラダはトマト抜きがいいな」


 竜胆先輩はそう言うと、並べてある小鉢に入ったサラダからトマトを移動させた。


「一、おかえり。秋乃先輩、そのトマトは私にください。私、トマト好きなんですよねー」


 そうやって嫌われたトマトは、トマトが好きな春花の元に届いた。そんな些細な行動も仲の良さを伺えて、優しい気分になる。


「立葵先生と一緒に帰ってきたんだ。だから、そろそろ魚を焼き始めるか。冬海は座っててくれ」


 手を洗い、魚を焼き器に並べるとタイマーをセットする。おれも定位置に座ると、三人の会話に入る。魚が上手に焼きあがった頃に、立葵先生が管理人室に入ってきた。


 どうやらお風呂に入った後のようで髪の毛は少し湿っていて、首からタオルをかけている。前を開けたジャージの下に着ているTシャツには英語で“君ならできる”と書いてある。気合が入ってる、と少し驚いた。


「ちょうどご飯ができましたよ、ぴったりです。じゃあ、食べ始めましょうか」


 そうやってご飯を食べ始めた。冬海が作ってくれてたおひたしは美味しくて、みんなおかわししていた。



 みんながご飯を食べ終わり、用事があると立葵先生以外は部屋に帰っていった。


「立葵先生、コーヒーでも入れましょうか?」


 まだ言いにくそうな顔をしている立葵先生に、おれは落ち着かなくなって立ち上がる。


「いや、いい。あと夏樹先生って呼んでくれ。あのな、言いにくいんだが、実は私は食費を多く出しているんだ。緑がいた頃はつまみを作ってもらっていたからな」


 そうだったのか。たしかに食費を六等分できないと思っていたが、そういう取り決めがあったとは思わなかった。


「わかりました、夏樹先生。食費の分はすみません、多く頂いていた分はお返しします」


「いや、それはいいんだ。頼みがある。今度、緑のレシピ通りにつまみを作ってくれないか? どうしても食べたいんだ」


 夏樹先生は指を組んだり解いたりして、落ち着かないようだ。


「生徒に頼むことは悪いと思っているんだが……レシピを教えてもらっても、私は料理があまりに不得意だから作れない。本当に頼む!」


 顔を真っ赤にして頭を下げる姿に、おれも頭を下げる。料理、下手なんだ……


「夏樹先生、頭を上げてください。おつまみなら、おれに作らせてください」


 こんなにお願いされたら、断るわけにはいかない。おれが言った瞬間、夏樹先生はすごい勢いで頭を上げた。


「本当か! いや、生徒に頼むのは悪いと思ってたんだが、受けてくれて助かるよ!」


 おれの手を取り、顔と顔がくっつきそうなほど近づく。綺麗な顔が目の前にあるせいで、ドキドキする。夏樹先生の瞳はキラキラ輝いていて、本当に嬉しそうだ。


「一、夏樹先生、なにしてるの……」


 低い声が聞こえた。二人して振り向くと、そこには春花がいた。目が笑っていない笑顔も美しく、とても怖かった。


「これから一がおつまみを作ってくれるんだ! 春花、これから緑がいた頃みたいに、私は美味しく酒が飲める!」


 夏樹先生は全く気にしていなかった。春花の元に進み抱きしめ、ぴょんぴょん飛び跳ねる。そんなに嬉しいんだ……


 春花は毒気を抜かれたようで、それはよかったですね、と気を抜いた声で頷いた。



 夏樹先生の晩酌は、みんながお菓子を持ち寄る、一週間に一度の楽しいパーティーになり、みんなが参加するようになった。みんなの仲はもっと深まっていった。

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