13.二人の罪人

 殺されなかったのは、教祖殿の慈悲だろうか。そんなことを考えながら、教団幹部と思わしき二人の男―――ヤクザのような剣呑さや、野良猫たちのような爪弾きものの雰囲気も感じさせない、真っ当な人間のように見えた―――に挟まれて、俺は『祈祷の間』と書かれた部屋に辿り着いた。

 中は教祖の部屋というよりは社長室だ。応接ソファが並ぶパーテーションの向こう側に大きな書斎机。三方の壁は本棚で隠れ、高校中退のバカが開いたら全身の毛穴から血を吹き出して憤死しそうな分厚い医学書や哲学書が並んでいた。

 だが、基本は無駄な物を置かないあの頃と同じスタイルだということが分かる。よく整理された、簡素な部屋。

「やぁ、サブくん」

 侵入者の抹殺、よくて拘束という物騒な命令を下した親玉とは思えない穏やかな声が、俺を十数年来のあだ名で呼んだ。

「よぉ、おじさん。次は俺たちが鬼だ。百数えるからはやく逃げなよ」

 革張りのソファに持たれていた白いふんわりとした装束の男が、机に肘をついて、こう言った。

「―――別荘のかくれんぼか。懐かしいな」

「だろ?」

 十代のような純白の肌と、五十代のような在りし日を懐かしむ瞳が混在した顔が、自然な笑みを作った。俺は、初めて、このまったく見覚えのない若者が“おじさん”なのだと心の底で理解できた。

 だが、その双眸の光は一瞬で失われた。

「―――楽園を失ったアダムとイブは、二人の息子を作った。彼らは神に供物をささげた。兄のカインは農作物を、弟のアベルは羊の肉を」

 男は立ち上がると、手ぶりで部下たちに銃を下ろさせた。

「神はアベルの捧げた肉だけを受け取り、そのことで弟への嫉妬に狂ったカインはアベルを殺した。これは人類史における最初の殺人だそうだ」

 ふわりとした白装束に身を包んだ身体が、滑るようにこちらに近付いてきた。

「さらにカインは神に殺人の告白を迫られたとき『私は殺していない』と言ったそうだ。これは、最初の嘘であったと言われている」

 装束が揺れ、細い腕と白い指が目の前に現れ、俺の顔を撫でた。

「我々は、カインの子だ」

「ここで跪いて懺悔でもしろって言うのなら、いくらでもやってやる」

「そんなことは必要ない。私は神ではない。神など、この世界にはいない」

 最期の言葉にだけ、微熱を感じた。

「そこにいる二人も、私と同じだ」

 俺は目だけを動かして両サイドに立つ黒装束コンビを見る。こんな荒事には縁の無さそうな、場所が場所であれば何の変哲もない家庭人といった感じの顔には、しかし、鉄のような無表情が頑なに貼り付いていた。

「この地下に、我々が“御神体”と呼んでいるものが祀られている。その正体は、君も知っての通り、大切に冷凍保存されたゆいの身体だがね。あの子が再びこの世界に舞い戻れば、いよいよ次は、彼らの家族の番だ」

「それは結構なことだが、成功確率はどうなんだ」

 饒舌な神様が、ここでわずかに沈黙した。成功サンプル数が一つの状態で新薬の投与に臨もうとしている医師と、無謀であっても目の前にある奇跡にすがるしか道のない新興宗教家という、相反する人格が格闘しているように思えた。

「唯には、もう時間がない」

 絞り出した答えは、どうやら医者でも教祖でもなく“父親”としてのものらしかった。

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