4.修羅場の代償
翌朝。2016年7月16日AM7:30、言った通りソファの上で寝てもらうことになった妙齢の女性と、実年齢三十路の少女型アンドロイドと、普通の少女と、ちょっと普通じゃない幼女が食卓に集った。メニューはちゃんとした味噌汁―――赤黒い辛味爆弾味噌など一滴も入っていない味噌汁に白米、それに昨日の残り物―――俺が食べなかったものがレンジで温められていた。ちなみに、俺はそれらを食べていない。昨夜未明から謎の腹痛と吐き気、軽い発熱があって飯を食うコンディションでは無かったからだ。原因は分かっているが、それに言及することは死を意味する。
それにしても、である。
「あ、ヨンジー、お醤油とって」
「ん」
「……」
「はい、レノンはちゃんとお座りして、机の上に乗っちゃダメだよ」
何故だろう、傍目にはとても和やかな朝食の風景が、異様なプレッシャーを以てこの目に映るのは。
箸と食器がカチャカチャと触れ合う音が、やけに煮え切らない残響を及ぼす。こういった雰囲気に於いても唯一ニュートラルを貫いてくれるはずのシーナですら、俺と目を合わせてくれない。
「ごちそうさまでした」
あ、終わった。ソファの上で胡坐を掻いて様子を伺っていた俺が片付けの輪に加わろうと立ち上がる。が、三本の腕と掌が、それを制した。
「「「座ってなさい」」」
昨日の今日、どころかイブは今朝会ったばかりだというのに、息も言葉もきっちり合わせてきた三人の声に押し込められるように、俺は黙って座った。
「さて」
手際よく洗い物も終わり、俺は床に正座させられる。三人の女は仲良くソファに座っていたので、まるで被告人が裁判官を見上げるような格好になる。
「昨日何してたの?説明しなさい」
「満室とは聞いていたけど、流石に連れ込み過ぎでしょ」
「ぶっ殺されろ」
「異議あり、最後のはただの暴言で―――」
「却下」
イブの冷血な声に叩き返された俺は、片頬を吊り上げながら肩をすくめてみせた。そんな芝居気満載な仕草が癪に障ったのか、ヨンジーが「また味噌汁を飲ますぞ」と言ったので、俺は居住まいを正した。
「これでこの家に来た女は何人目だ?」
「私たちと、アカネさん、マナミさん―――」
「随分と気が多いのね。私も気を付けた方がいいかしら」
「異議あり、人妻が混ざって―――」
「きゃっかー」
「いだだだだ」
頭に猫を乗せた幼女がひょっこり現れて俺のヘアピンを引っ張った。
「お前まで俺の敵なのか」
勇ましく腕を組んで頬を膨らませているシーナに言う。
「お姉ちゃんたちを心配させちゃ、だめっ」
「……!」
『お父さんたちを心配させちゃ、だめっ』
その言葉と表情に、遠い記憶に置いたまま忘れられない影が重なった瞬間、左心房の辺りが一回転したような奇妙な感触に襲われ、俺は胸を抑えて顔を伏せた。イブが切迫した声をあげる。
「ど、どうしたの?サブ!?」
「大丈夫、だっ―――」
過呼吸寸前になりながら辛うじて返事をする。
落ち着け。シーナと“彼女”は、特に似ていない。きっと連日の無理がたたって頭がおかしくなっているのだ。と、自己診断以上に弱っている自分を自覚してしまうと、もう、だめだった。
息をゆっくりと整え、俺を咎めた少女に謝罪する。
「ああ、悪かったな」
言いながら、シーナの小さい体を抱き寄せた。実年齢に追いついていない華奢で脆すぎる体躯をガラスでも扱うように慎重に包む。目を閉じ、レノンがどいた頭を撫でる。
「……なっちゃん―――」
「え、何?」
こちらにすり寄ってきたイブが訊いてくるが、俺は答えられない。代わりに、脈絡のない気持ちの濁流が堰を切った。
「すごく、疲れた。すごく、怖かった。ジョンさんが銃で撃たれた。シンジローさんなら大丈夫だと思ってたのに……。今度は、マナミが巻き込まれてるかもしれない。その前に伊野波さんに会わなきゃ、でも、ヨンジーを家に帰さないと―――」
何を言っているのか、自分でもさっぱり分からない。だが、口を動かしていないと心臓も止まってしまうような気がして、俺は延々と益体もないことを一人で喋り続けた。
次第に気が落ち着いてきて顔を上げた。時計を見る。気が付くと、一時間もそうしていたらしい。もう意味の通る言葉も涸れ、病気の動物が出すうめき声のような音を口から発し続ける段になっても、シーナは俺に抱かれていてくれたし、イブもヨンジーもエミも、黙って俺の“発作”が終わるのを待ってくれていた。
「もう、終わった?」
知らない間にタオルを持っているイブがそれを渡しながら訊いてきた。俺は頷き、タオルを額に当てる。古びて吸湿性を増している生地は大量の冷や汗を吸った。
「ああ、もう、いい。汗臭くしてすまないな、シーナ」
「ううん、大丈夫」
「でもベタベタするでしょ。一緒にお風呂入ろっか」
イブがそういってシーナを連れていくと、俺も立ち上がった。まだ少し足元が不安だが、動かしていればよくなるだろうと無茶苦茶な理屈をつけた。
「さて、エミ、行こうか。見ての通り、ちょっとバッドコンディションだから、運転は任せた」
エミは困惑の極みといった様子で隣にいる険しい人相を浮かべた赤毛の少女を見やる。
「また行くのか」
「行くさ」
普段から『勝気3・優しさ2・ぶっ殺5』くらいの割合で形作られているヨンジーの表情は今、その数値が目まぐるしくランダマイズされているようだった。
「なんで行くんだ」
「こちらから動いていかないと、状況がどんどん泥沼になりそうなんだ。お前たちの身も危なくなるかもしれない」
「私は、そんなのどうでもいい。サブが幸せなら、それで―――」
「あいつらと、ヨンジーが無事でいられるのが幸せなんだ」
ヨンジーの表情比が『ぶっ殺100』になった。顔色と髪色がほぼ一緒になった、俺が一番好きなヨンジーの顔だった。俺は玄関に向かって歩き出す。
「じゃあな。例によって帰りは遅くなるかもしれないから、先に寝ていていい」
「……ご飯は?」
「作っておいてくれると助かる。辛くてもいいぞ。少し癖になってきた」
「교활한……」
“狡い”か。なら、もう少し小狡くさせてもらおうと思い、俺はヨンジーの頭に手を置いた。無抵抗でくしゃっとなった顔の耳元に口を寄せて囁く。
「帰ってきたら、ライブに俺を出してくれる話を詳しく聞かせてくれ」
それについての返事は訊かず、俺は足早に家を出て行った。
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