5.ドライブ
県下にある世界有数の大企業が製造した軽自動車がオオス通りを走っていた。目指すツルマイまではもう少しある。
「若いっていいわね」
他人の車に乗せてもらっている手前、助手席で眠るのはマナー違反だとは思ったが、車の発進直後から続くエミの繰り言には、そろそろうんざりしてきた。
「でも、あんまり若さにかまけ続けるのもいけないわ。昨日みたいに、料理に盛られちゃったり、挙句の果てに刺されちゃったりしちゃうから、ね」
「俺が一体何をしたっていうんだ」
「色々やってるじゃない。いや、でも、肝心なことは何一つしていないわね」
妙な謎かけは嫌いだ。俺は車窓から街の様子を見た。どうやら、今日はあちこちで交通規制を行っているらしい。パトカーの数も多い。
「どっちを選ぶのかってことよ。あの可愛らしい子か、ちょっときつめな子か」
選ぶ、か。俺は視線を運転席の方に移す。
「あら、もっと動揺すると思ったのに」
「ラブコメの主人公には向かない性格でね」
エミがちらりと俺の方を見る。境遇的には“先輩”である彼女の眼に、俺はどう見えているのだろうか。
「俺たちに、選ぶ権利なんか無かった。そうだろ?」
優良運転手らしく前方から目を離さないエミの眼に、俺は微かな揺れを見た。
「いや、どんな人間もそうなのかもしれん。親は選べないし、住む場所も、環境も、生き方も、とりあえず配られたカードで勝負するしかないのさ。これは、スヌーピーの受け売りだがな」
「へぇ、そんなセリフがあるの」
エミの口元が微笑を作り、俺も少し笑った。子供心に、犬の癖に良いことを言うと思ったものだ。
「犬に生まれたら犬として生きる以外にない。猫に生まれたら―――」
「“捨て猫”として生まれたら?」
俺の言葉を丁寧に訂正するエミ。一時、タイヤとアスファルトの摩擦音とエンジン音が車内を支配する。
「―――待つしかなかった。アンタだってよく分かっているだろう」
そう、捨て猫ができるのは、段ボールの中で丸くなって、死なないように祈りながら、救いの手が現れるのをただ待つしかない。
実際、今も厚紙程度の寝床で震えている同胞はたくさんいる。
「だが、俺たちは最悪じゃあない。そうだろ、エミ。少なくとも飼い主は見つかった捨て猫だ。あのガイ・フォークスは、お前らを奴隷みたいに扱ったか」
「そんなこと、あの人はしないわ」
「なら、何を躊躇うことがある?帰ればいいじゃないか。幸運にも選ばれた一匹のお猫様として」
いつだって、なんだかんだと方法を見つけては脱走し、我が物顔で帰宅する自宅のお猫様を思い浮かべながら言った。
「迷惑かけちゃうわ」
「かけてやればいい」
「簡単に言うのね」
「何事もきっかけだ。何か一つ踏ん切りがつけば、あとは簡単さ」
今度は、その“きっかけ”を与えてくれた少女を思いながら言った。そして、さらに付け加える。
「愛情を試しても、色の良い返事はこないぞ。俺の知り合いもそうだった」
これは、マナミと佐治氏とのことだ。
病院のベッドで会った二人は、まったくの無言で一時間を過ごした。互いに、相手が口を開くのを待っていた。何故知っているのかというと、マナミを逃がさないために、俺が部屋の隅にいたからだ。
非行を重ねることで、マナミは父の愛情を試していた。しかし、そんな回りくどいメッセージを、普段からコミュニケーションをとっていない相手が受け取ることは不可能だった。佐治氏はただただ困惑していた。
一時間以上の沈黙を破ったのは父の方だった。といっても、身体の痛みを訴え、ナースコールをしただけだったが。
そんな風に、冬の小雨のようにポツリポツリと始まった会話は、三時間を経過してようやく発したマナミの「いろいろあったけど、とりあえず育ててくれたことには感謝してる。また来るから」という言葉で一つの決着を得た。
そこからさらに長い時間を経て、今に至る。めでたしめでたし、のはずが、またどうにもおかしな具合になってきている。
今やマナミの父への愛情は、暴走状態にあると見える。どうしてこう極端に振れてしまうのだろうか。ニュートラルな場所に落ち着かないからこその“家族”なのだろうか。
「もうすぐだな」
「ええ」
流石のエミも、“帰省”にやや緊張していると見える。彼女の親が愛用している仮面について、とっておきのジョークを披露しようかと思ったが、車から叩き出されそうだと思い、やめにした。
AM10:00。デートスポットやイベント場、家族連れの遊び場でもある公園は、平日ということもあってかまだ閑散としていた。俺はエミの後ろについて“第三シェルター”への入り口に立った。
灯台下暗しとはよくいったもので、教団本部の喉元であるツルマイの地下に潜伏するという大胆なブルースの行動は、
「ブルースさん……」
エミが落とした言葉を、俺は一つの覚悟を持って拾い上げた。やはり、そうだったのか。
「やぁ、マクレーン刑事。それともタフなスティーブン・セガールだったかな?」
仮面はしていなかった。流石に蒸れるのかと思い、下らない冗談だとその考えを心の奥へ押しやる。
「そういう冗談は、アンタには似合わない」
根本のブルースこと、路上ライブ応援団長の伊野波さんは、寂しそうに笑った。
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