10.メール

 他の同居人たちが無言で俺の目の前にクソまずい餃子の載った小皿を持ってくる。

「―――なんてこった」

「こっちのセリフだよ。皮を作った業者に土下座しに行きなよ」

「どうやったらこんなに中身がシャビシャビになるの?キャベツ畑に謝りに行って。もうサブは料理禁止ね」

「少なくても、一人で作っちゃダメだよ、サブ」

 そこまで言うか。約二週間を同じ屋根の下で過ごしてきた同居人たちから浴びせられる遠慮なき罵詈雑言の集中砲火に気分が沈んできた。

「しょうがないな。あたしが作る」

「え?」

 ヨンジーが手を上げた。俺は不安を素直に言葉にしたせいでヘアピンを引っ張られる。

「痛たたたた!!」

「次にそういう態度を取ったら千切るぞ」

「千切る!?」

「いいから、キッチンを貸せ。何か適当に作るから」

「あたしも手伝っていい?」

「うん、お願い」

 シーナには優しい笑みを向けたヨンジーの暴言バリエーションをこれ以上増やさないために、俺は黙って異国の友人が作る料理を待つことにした。しかし、問題が一つある。

「ねぇ、サブ。ヨンジーさんて、料理できるの?」

 声を潜めて訊くイブ。

「いや、俺が知る限り、アレが料理をしているところを見たことがない」

 ネクサスのメンバーは留学時代に三人で一緒に暮らしていて、俺も数回お邪魔したことがあるが、炊事・家事の類はヨニとヘヨンが分担し、ヨンジーにはむしろやらせないようにしていた。

 なので、三十分と経たないうちに、料理が運ばれてきたときは驚いた。

 皿の中には、丁度安かったのでカレーでもやるために買いだめしておいた、じゃがいもと人参と玉ねぎと牛肉が入っている。そしてそこから立ち昇る、醤油と味醂の香り。これは―――

「―――肉じゃが?」

 俺が訊くと、ヨンジーが唇を尖らせて頷く。

「量が無かったから、ちょっとボリューム不足だけど」

 どうやら個人的には不満らしいが、こんな料理らしい料理が食卓に並ぶのは久しぶりだった。

「ねぇねぇ、早く食べよう?」

 現金にも程がある弾んだ口調で、シーナが言う。

「いただきます」

 ところで、と、俺は訊きたかったことを口にする。

「料理なんてできたのか?」

「できなかったから、練習した。いいから早く食べろ、冷める」

 頷いて、大ぶりに切られたじゃがいもを一つ箸で取る。調味料と絡み合い程よく形が崩れる程度に柔らかくなったそれを、口に放り込む。

「美味しい」

 最初に反応したのは味覚センサーだけは妙に高感度なイブだった。ユウも少し驚いたような表情を浮かべ、シーナはもぐもぐと口を動かしながら笑っている。

「サブはどうだ?」

 わざわざ俺の近くまですり寄ってきてまで訊いてきたので、素直に答えてやる。

「……美味い」

「やったぁ!!」

 爆発したような嬌声を上げながら、俺の首のあたりにしがみ付いてきた。耳孔に「本当か?本当か?」という確認の声と、くすぐったい吐息が何度も当たるので、咀嚼に集中できない。

「ああ、美味い。それよりお前、男に抱き付いていいのか?」

 ヨンジーを引き離すための言葉だったが、普段はギターを弾く腕が俺の身体から離れることはない。俺はモゴモゴと口を動かしながら首を回してヨンジーの方を見る。

「うん。サブだったら別にいいんだ」

 鼻先数ミリのところで花が咲いたような笑顔の少女を見ながら、俺はじゃがいもを飲み込み、言った。

「―――そうか。だが、行儀が悪い。離れるんだ」

 渋々ヨンジーが俺から離れると同時に、動作を停止してしまっている同居人二人―――シーナは何事もないかのようにレノンを呼びつけ「美味しいよ~?」と言いながらおかずのおすそ分けをしている―――が再起動した。

「ヨ、ヨンジーさん!何してるの!?」

 イブがオーバーヒート寸前といった様相で詰問する。これは早いところ肉じゃがを片付けなくてはならない。

「何って、嬉しかったから」

「だからってそんな簡単に男の人に抱き付いちゃダメ!」

「あ、そうだ、サブ。ついでに話しておきたいことがあるんだけど」

「聞いてーーー!!」

「ネクサスがハートオーシャンで演るとき、サブにオープニングアクトをやってほしいんだ。いいだろう?」

「オープニングアクト?」

「そう。それを頼みにこの国まで来たんだ。もちろん、一番は遊びにくるためだけどな」

 そういうことだったか。それなら、俺の答えは決まっている。

「すまないヨンジー、出演はできない」

 意外な返答だったのか、ヨンジーが呆気にとられたように目を見開いた。

「そういえば言ってなかったな。俺はもう、音楽活動を辞めたんだ。今は趣味で音楽を続けている」

 また、食事の手が止まった。今度はシーナもだ。

「メジャーアーティストのオープニングアクトとなると、契約や金銭の話が出てくるだろう。無料フリーの路上ライブやオープンマイクならいいが、金のやり取りが発生するライブハウスの出演は、もう引退したんだ」

 目も見ずにそう言うと、再び皿のじゃがいもに箸を伸ばした俺の手を、ヨンジーが叩き落とした。箸が畳の上に落ちて、胡坐を掻く素足のところまで転がった。それを目で追うと、いつも以上にキッと結ばれた眼差しに出会う。

「しばらく見ない間に、タマを無くしたのか」

「久しぶりに会う間に、新しい暴言を覚えたな」

 その目に射抜かれた俺は、再び顔を背ける。

「ふざけるんじゃない。怒るぞ」

 いっそ怒らせた方がいいと思った。

「ふざけているわけじゃない。すべて本音だ」

「そうか。じゃあ、怒らないから、せめてこっちを向け」

 言われた通りにした瞬間、左の頬に熱い痛みが走った。ヨンジーから放たれた、渾身の平手打ち。イブの拳骨より痛い気がした。

「なんで辞めるんだ」

 確かに粗暴なところはあるが、実際に手を出してしまう自分を責めるタイプの少女に、「やめるんじゃなくて、辞めたんだ」などと言うと会話がエンドレスになりそうなので、ただ理由について答える。

「才能が無いことに気付いたんだ。プロになる夢はもう諦めた」

 その言葉が終わらないうちに、大きなストラトキャスターを弾くには少し苦労をする小さな両手が胸倉を掴んだ。

「そんなの、まだ分かんないだろ。あたしたちは、サブがいたからデビューできたんだぞ。ネクサスには、サブが必要なんだ。だからまた歌え」

「そんなことは無い。俺なんかいなくてもお前たちは大丈夫だ」

「なんでそんなこと言うんだ。あたしだってマナミだって、サブの歌が好きなのに―――」

「もう決めたことだ」

 顔と同じくらい真っ赤になった瞳に涙を浮かべているヨンジーに、というより、自分自身に言い聞かせるように言った。

 すると、首元が解放された。ヨンジーはすっと立ち上がると、グッと握った両の拳を震わせながら、大きく息を吸い込んだ。

「バカ!!」

 ぶっ殺す、でも、死ね、でもない言葉を残して、ヨンジーは居間を出て行った。床を踏み鳴らす音を聞く限り、二階に上がっていったようだ。

「あ、待ってヨンジーさん!サブ、酷いじゃない!」

 イブが上げた非難の声を、俺は受け入れる。

「ああ、そうだな。前髪の一本でも千切っていってくれよ」

「バカ!意地っ張り!カッコつけ!!一生自分だけ可愛がってろ!バカ!!」

 数を倍にした“バカ”を置き土産に、イブも二階に向かった。残ったのは所在なさげに猫を抱くシーナと、切れ長の目を糸の様に細めて冷ややかにこちらを見つめるユウだ。

「なぁ、ユウ。あいつらに言われるほど、俺はバカか?」

「バカだね」

 しょぼんとしているシーナの栗毛を撫でてやっているユウにまで言われては、立つ瀬がない。

「そうか。ならバカらしく高いところに行くとするか。片付けておいてくれ。餃子は、また今度自分で処理するから」

「分かった。これで借りはチャラだよ、兄弟」

「ああ」

 俺は少し腫れてきた頬を押さえながら立ち上がると、二階に向かった。ヨンジーとイブがいるのであろう部屋の前まで来たが、嗚咽が聞こえてくる室内には入れず、自分の部屋へと足を進めてしまう。バカの上にヘタレとは救いようがない。

 とりあえず、ヨンジーが泣き止んだら部屋に行こう。言い訳をするように考えて、俺はとりあえず、暇潰しにパソコンの電源を入れる。フリーメールの受信ボックスに三十件ほど未読メールが溜まっているのは、どうやらプライベートエデンに渡したメールアドレスがどこかの業者に流れたためのようだ。こういう管理の杜撰さはいただけないと思いながら、全件削除をしようとマウスを動かす。

「え?」

 だが、あるものを見つけてしまい、手が止まった。それは昼間、一度会ってみたいと思った人物からだった。


≪To: 霧島三郎

 Title: Re:Re:Re:

 From: プライベートエデン代表 ハヂメ≫



第五話[Re:Re:Re: リ・リ・リ]終

続く

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