第19話 鎌倉の悲しい初恋 大姫と木曾義高
源頼朝の長女・大姫は引っ込み思案で大人しい少女だった。その上頼朝の長女とあっては周囲はかしこまった態度ばかりで、貴重品を扱うような余所余所しい友しかできない暮らしぶりだったのに想像は難くない。そんな大姫に6歳の頃、運命の出会いが訪れる。頼朝と敵対していた木曾義仲の嫡男・義高が和睦の証として婚姻同盟を結ぶためやってきて、その相手が大姫であった。義高は当時11歳で、同盟といえば聞こえはいいが、実質は人質に等しく、政治の道具として父に送られたのだ。だが、義高はさすが武勇の父に育てられただけあって、凛々しく聡明で、境遇に屈折することなく清々しい少年だったという。義高は年下の許嫁にもその清々しい態度で接し、仲良く遊ぶようになっていった。大姫はおそらく生まれて初めて、自分を当たり前の少女として扱ってくれる少年と出会ったのだろう。彼女の心にようやく陽が差し、ふさぎがちだった大姫は義高に懐き笑顔が増えていったという。始めは木曾の血を引く優秀な少年を警戒した頼朝・政子夫妻も大姫の元気になっていく様を目にするにつれ、暖かい目で見守るようになり、祝言の日を楽しみに待つ(後年の二人の姿からは想像しがたい)微笑ましい親の姿がそこにあった。
しかし、歴史は源氏の棟梁を二人も必要とはしなかった。わずか一年後に頼朝と義仲の関係は悪化し、全面衝突となった。戦は頼朝軍の勝利に終わり、義仲は討死し、残されたのは義高だけであった。武門の悲しい掟であるが、こうなった以上は頼朝としては禍根を残さぬために義仲の血を引くものは消さなければならない。頼朝が義高を殺害しようとしているのを侍女が聞きつけ、大姫の下に走る。歳を考えるに大姫だけは義高と自分が複雑な許嫁であることをこれまで理解してなかったであろう。この瞬間に初めて大姫は真っ青になり混乱しながらも、自分にできることを健気にも考える(おそらく周りの侍女に知恵者がいたかもしれないし、おそらく母・政子も力を貸したのだろうが)。そして影武者をたてて時を稼ぎ、義高を逃がす算段を立てた。だが、追手は無情にもすり替えを看破し、義高の行先を嗅ぎ付けて馬を進める。その頃義高は女装し、侍女たちに紛れてお宮参りと称して脱出を図り、半ば上手くいきかけたのだが、遂に見つかりその場で首を落とされた。
義高が亡くなって六日後、大姫にもそのことが伝わってしまう。大姫は取り乱し、泣き崩れ、以後心を閉ざしてしまう。政子はこれに激怒し、夫に詰め寄る。そして(八つ当たりも甚だしいが)「追手の者の配慮が無いゆえにこうなった、その者たちを打ち首にせよ」と聞かなかった。こうして頼朝は追手の者にも死罪を命じ、政子の怒りを収めたが大姫の笑顔だけは二度と帰ってこなかった。その後もこの両親は熱心に他の縁談を持ちかけて大姫の心を慰めようとする。その相手は名門公家の一条家だったり、時の天皇・後鳥羽天皇だったりと、精一杯のことをしていたようである。だがどれだけの貴公子でも、それは義高ではないのだ。一切を拒んで、17の頃の縁談には「身投げする」とまで言い張って、一筋に義高を想い続けたが、そのまま病に伏せるようになり、わずか19で生涯を閉じた。
最後に少しだけ頼朝をかばう話も加えておこう。義高を討つと決めるのに、実は三ヶ月も猶予があったのだ。この間は頼朝なりに迷いがあったり、ひょっとしたら誰かがヘマをして義高を逃がしてしまうことを期待していたのではなかろうかとも思ってしまう。頼朝は武家の棟梁として、あるべき姿を周りに求められている以上、ただの父親ではいられなかったことは理解できる。冷たい逸話の多い頼朝にしては珍しいので記しておく。
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