第9話 大乱闘

「なんだよお前、元気ねえなあ」


 楓を傷つけてしまったあの日から、庭野は仕事のシフトを増やしてもらい、朝から夜中まで働いた。楓の涙が頭をよぎるといたたまれなくて、仕事に没頭して忘れようとした。だが、どうしても自分のしたことが悔やまれてならなかった。

 しばらく休んでなかったので、久々の休みの日がくると、夕方まで寝てしまった。そして、家にいても楓のことが頭をよぎるので、ヤスの家に来たのだった。


「ねえヤス。女の子を、紹介してよ」


 突然の庭野の発言に、ヤスは驚いた。


「だってお前、ついこの間に、楓ちゃんとかいう子と、いい感じになってたんじゃ」


 ヤスはそこまで言うと、悟ったかのように、「フラれちまったのか」と言った。庭野はコクンと頷いた。


 「そうか、何があったか知らねえけど、まあ元気出せ。マサを呼んで、気晴らしに走りにでも行くか」


 ヤスが電話をかけると、マサはちょうど仕事が終わったところだった。そして、夕飯は食べずに、着替えだけ済ませてすぐヤスに家にやってきた。


 「おー、来たかマサ。早奈恵ちゃんは怒ってなかったか?」とヤスが言うと、


 「飯はカレー作ってたみたいだから、帰ってから温めてもらって、食うよ。庭野が失恋したってあいつに言ったら、すぐ行ってやれってさ」


と、マサは項垂れている庭野を見ながら言った。

 マサは、庭野の前にしゃがみこむと、優しい口調で言った。

 

 「前に話してた、楓ちゃんって子か?フラれたのか?」


 「らしいぜ」と、代わりにヤスが答えた。


 「庭野。今日は特別に、バイクをフル加速でかっ飛ばしてやるから、叫んじまえ。バカヤローでも何でもいいから、気が済むまで叫べ」


 庭野はやはり、コクンと頷くだけだった。

 

 ヤスは原付に、マサは自分の中型バイクの後ろに庭野を乗せると、急発進して加速を始めた。

 国道の直線道路に入ると、マサはバイクをさらに加速させた。庭野はマサの腰に手をまわし、恐怖で目をつぶっていた。叫ぶ余裕も、楓のことを思い出す余裕もなかった。ようやく赤信号で停車すると、少し遅れて走ってきたヤスが、マサの横に並んで言った。

 

 「後ろから、那羅延天のやつらが来てるぞ。10台近く、こっちに向かって来てる」


 「那羅延天(ならえんてん)」とは、総勢250名近くのメンバーからなる地元で有名な暴走族だ。週末になると、50台以上のバイクが国道を連なって大暴走するのが恒例となっていた。


 マサとヤスは、庭野を同乗させていたので、バイク乗りを見かけてはことごとく喧嘩を売ってくる那羅延天の連中を撒く為、細い路地に入って行った。ところが那羅延天の連中は、執拗にマサたちを追ってきた。やがてヤスの原付に並んだ連中が、走りながらヤスに蹴りを入れてきた。

 キレたヤスは急加速すると、少し先に広がっていた、車が数えるほどしか停まっていない閑散とした駐車場に原付を停めた。マサも続いてヤスの隣にバイクを停めた。そして、マサは庭野に言った。


 「ヘルメットはかぶったままで、できるだけ車の陰に隠れていろ。もし襲われそうになったら、何でもいいからその辺の物を投げつけて逃げろ」


 庭野は唇を小刻みに震わせながら、マサの言葉に頷いた。


 間もなくして、那羅延天のメンバーが、マフラーから爆音を轟かせて続々と駐車場に乗り込んできた。ヤスの言った通り、メンバーは8人。各々、鉄パイプ、金属バット、木刀を手にして、ニヤニヤしながらバイクから降りてきた。


「誰に断って、国道走ってんだ?」


 鉄パイプを持ったマスク姿の男が、ヤスの肩を鉄パイプで突いて威嚇しながら言った。

 その瞬間、ヤスは男の手から鉄パイプをとっさに引き抜くと、それで相手の右腕をフルスイングで叩き付けた。鈍い音と共に、殴られた男は腕を押さえ、「お、折れたぁぁ、折れたぁぁぁ」と喚いた。


 「この野郎!」


 武器を持ったメンバー全員が、ヤスとマサを囲んだ。ヤスは、倒れた男の鉄パイプを持ち、マサは拳を握ってファイティングポーズを取った。そして、人差し指を立て、下から上にクイクイっと動かし、「来いよ」と挑発した。そのとたん、メンバーが一斉に二人に襲い掛かった。


 庭野は、言われた通りヘルメットをかぶったまま、停車してあった車の陰から顔だけ覗かせて見ていた。

 鉄パイプで那羅延天のメンバーをめった打ちにするヤスと、マサは後ろから殴りかかられそうになると後ろ回し蹴りを華麗に決め、倒れたメンバーの髪を掴むと、相手が気を失うまで顔を拳で殴打した。

 ヤスが後ろから、金属バットで後頭部を殴られた。もともと、キレやすいヤスである。ゆっくり振り返ると、メンバーの一人が後ろにじりじり下がりながら金属バッドを構えていた。

「テメェ」とヤスは呟いた。ヤスを殴った男が、「うわぁー!」と雄たけびをあげて、ヤス目がけて金属バットを振りかぶると、力いっぱい振り下ろした。ヤスはそれを、片手で受け止めた。そして、相手がひるんだ隙に金属バッドを奪うと、マサに投げて渡した。マサは木刀で殴られそうになったところを身を低くしてかわし、間髪入れずに金属バッドで相手のすねを殴った。その男は、足を押さえて転げまわった。


 「こいつら、ヤバイぞ!」


那羅延天のメンバーが叫び、皆、たじろぎ始めた。


 「よう、これ以上やると、死人が出るぞ」


 マサが金属バットで自分の肩をポンポンと叩きながら言った。ヤスが、倒れている男を鉄パイプで突きながら、「死んだかー?生きてるかー?」と言った。

 那羅延天のメンバーは、もう自力では自分たちのバイクには乗れないほど、マサとヤスに半殺しにされていた。

 

 「よし、じゃあ帰るか」


 ヤスがそう言って、自分の原付にまたがった。そして、「あ、庭野を忘れてた」と笑って言った。マサが、車の陰で息をひそめている庭野を見つけると、「やつらの仲間が来る前に逃げるぞ。庭野も早く乗れ!」と立ち上がらせ、自分のバイクの後ろに乗せた。庭野は、自分の足が震えていることにようやく気がついた。

 庭野は、ヤスとマサが、喧嘩が強いことは知っていたが、こんな大乱闘を目の当たりにするのは初めてだった。自分も巻き込まれるのではないかという恐怖と同時に、圧倒的に喧嘩の強い二人が、敵をバッタバッタ倒していくのを見て、スカッとした気分にもなれた。


 三人は、マサの家に着いた。マサとヤスを見て、早奈恵が「また喧嘩してきたの」と呆れて言った。二人はほぼ無傷だったが、返り血を浴びて洋服が血だらけだった。

 帰り際にマサが早奈恵に電話をかけていたので、早奈恵はカレーを寸胴の鍋いっぱいに増量して作っていた。

 

 「労働の後の飯は、うめえなぁ」


と、ヤスがカレーライスをガツガツ食べながら言うと、早奈恵が言った。


「労働?あんたたちの仕事は喧嘩屋?庭野くんがいる時ぐらい、喧嘩は控えなさいよね」


「庭野より、早奈恵ちゃんのほうが戦力になるな」と、ヤスは笑った。


 庭野は、何も言わず黙々とカレーライスを食べていた。マサとヤスが戦っていた姿を見て、少し勇気が湧いた。明日になったら、勇気を出して楓に真摯に謝ろう、と思っていた。


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