灰色の入道雲

天地

第1話 電話と記憶

また耳を突く黒電話音のアラームが朝7:30を伝える。意識の8割は夢の向こうにあるが、条件反射ともとれる手捌きで、15分おきにセットされたアラームを全て消していく。


スマートフォンの動画サイトを開き、再生リストにある曲目から目に付いたものを適当に再生しようとする。

曲は流れることなく、画面の中心で不完全な円が読み込み中を謳いながら無限の弧を描く。

「また制限オーバーか」

月が始まってまだ2日目の通信制限に、もはや苛立ちを覚えることも無くなっていた。


鳥の囀りはなく、聞こえるのはどこか懐かしくも感じる通学中の小学生たちがはしゃぐ声だけだ。

「おはようございます!!」

無邪気さの中にどこかしたたかさを感じる屈託無い子どもたちの挨拶はどんなエスプレッソよりも目覚めに有効なのではないかと思っていた。



ちょうど4ヶ月前の4月で入社8年目を迎えた。すでに会社では中堅に位置している。



「僕が新入社員の時の8年目って凄い上って感じがしてました」と女性の先輩に話すと

「分かる!私だってまだ気持ちは20代のままだもん!」と同意の相槌以外では会社人生すら左右しかねない、1ヶ月に数回は繰り広げられる緊張感ある会話がだ。まさに、サラリーマンでありながら嫌な心地もしなくなっていた。



まだ火曜日かと深い溜め息をつきながらおもむろに一週間スケジュールを確認する。会議の数を意味もなく数えながら、朝コンビニで買ってきたガムを口の中で遊ばせていた。


「お待たせしましたー、桐島くんの番ですよ。」

振り返ると同じ課の先輩女性がちょうど面談を終えて帰ってきたところだった。

ペンと報告資料を手に取り、教えられた会議室へと足を向けた。

年に2回の定期面談は特に今後のキャリアプランや半期ごとの業務報告、上司からの評価が言い渡される。入社してから3年目までは緊張感を持って臨んでいたが、最近ではそれもすっかりなくなっていた。


指定されていた会議室のドアをノックして、どうぞの返答に合わせてドアノブを回した。


席につきさっそく報告資料を使って半期の報告はじめた。目を見張るほどの功績があるわけでもなかったが他の社員と横並びで見ると頭一つ抜けていることは自分でも認識していた。評価もそこそこに話は私生活を含む雑談へと移っていった。浅くも深くもない程よい会話を重ねていると、壁に掛かった時計をみて少し時間を気にしたのか、今後の会社生活についてどういうイメージを持っているか聞きたいと尋ねてきた。


「正直昇進していくといったモチベーションが最近は持てていません。」

半分は本音、半分は嘘であった。


おそらく上司も気づいてはいながら特に深く突っ込むことはせず

「周りと比べるとまだまだ若手だが、焦らずともしっかりと明確なビジョンを持って仕事に取り組めると視点も変わってくるだろう、いずれにせよ期待してるぞ!」

「ありがとうございます」

予定通り20分程の時間で面談は終わった。特に話をしたいことがあったわけではないが、あっけなさに少し不意を突かれたような気分であった。

そのまま席へ戻り次の面談者に声をかけ、カバンの中のタバコを手に取り足早に屋上へと向かった。


世間の流れを後押しするかのように、社内の喫煙場所も四方八方を塞がれた城取合戦のように面積を失っていた。

屋上の扉を開くと、代わり映えのしないメンバーが仕事のストレスを煙に乗せるかのようにタバコをふかしている。


定位置に人がいないことを確認して、タバコに火をつけてふと顔を上げると、これはまた立派な入道雲が目に飛び込んできた。



また、昔の会話が蘇る。

「私、やっぱり夏は暑いから嫌いだなー」

「そう?俺は夏が1番好きだな。特に入道雲が出た時の風景が好きかも」

「本当に昭二とは色々合わないよね」

「季節の好き嫌いくらいでさ、」


その後何を喋ったかは覚えていないが、当時の彼女と別れてから10年という月日が流れても、このシーンだけは入道雲が連れてくる記憶なのか、フラッシュバックする。


少し昔を懐かしんでいると、おもむろに携帯が鳴った。取り出して着信画面を見ると、すでに見飽きたフリーダイヤルの番号が並んでいた。

「もう1日くらい大丈夫だろう」

そう自分に言い聞かせ、携帯を閉じた。


全ての歯車が狂い始めてから時計の針だけは無情にも時を刻み続け、気付けば崖っぷちに立ちながらも、どこか冷静さだけは失っていなかった。

「もしかしたら、これが鬱ってやつなのか。」

そう自分を正当化すべく自問診療をしても結局は虚しいだけであった。


また携帯が鳴る。(メッセージか)

『体調良くなった? みく』

彼女からだ。

『ありがとう、だいぶ良くなったよ。熱も下がったし 昭二』

返信しながら、なぜ体調が悪いという嘘をついてまで、昨晩の予定をドタキャンしたのか分からない。

「やっぱり鬱なのか。」

どうしても自身の精神状態が正常でないと納得したいのだが、納得させる材料以上に気持ちが穏やかであることを、自分で認識出来ていることが妨げなのだろう。


時計に目をやると11:30を過ぎていた。

「あ、会議11:30からだったな」

吸い終えた吸い殻を空き缶に落とし、縦横無尽に広がる入道雲を背に屋上を後にする。

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