5th inning

第27話 ストーブリーグ開幕

 豪奢なホテルの広間だ。

 十二の円卓にスーツ姿が数人ずつ座っている。彼らが見せるさまざまな顔模様を、中継のカメラ、大勢の取材陣、そして幸運な招待客らが見守っている。

 正面に掲げられたホログラムの幕には、「アイドルリーグドラフト会議」の文字があった。


「第一巡選択指名、福岡チェリーブロッサムズ――」

 アナウンサーの声に、誰しもがぎゅっと息を詰める。

「――朝倉優姫」

 その瞬間、崖が崩れるようなどよめきが会場を揺らしたのだった。



         ◇



「おっおお~、あっさくらおっおっお~!」

 朝っぱらから、珍妙な男声合唱が教室に響いている。

 女子たちがくすくす笑うのも、男子にとっては燃料だ。通りすがりのほかのクラスの生徒も面白がって加わり、歌詞もメロディもあやふやなまま歌声をあわせる。

 その集会の中では、歌っていない雄吾と栗田のほうが変に見えた。

 歌が終わると爆笑が起こった。

「何なん、これ」と自分たちで言っているのだから世話はない。


「朝倉、いつ試合出るんやか」と彼らは言い合った。

「そんなんすぐやろ」

「なんたってドライチよ」

「いや、いやいや」と杉野が言う。「プロの世界はそんなに甘くない。いくら朝倉でも、最初は下部組織でびしびし鍛えられるはず」

「あ~、そうかもしらん!」

「でもそっちのがええやん。二軍の試合ならタダで観れそうやし」

「それな!」

「でも、二軍っちどこやか?」

「ふっふっふ」と杉野。「福岡チェリーブロサッムズの提携育成チーム、つまり実質的な二軍、それは!」だんっ、と椅子に上った。「北九州サンフラワーズだ!」

 うおああと男子たちは歓声を上げた。


 その北九州サンフラワーズでは、来季に向けた準備が着々と進んでいた。

 特に、球場の改修はこのオフの大きなトピックで、レフト側に高々と張られた防塵シートの中身については、地元のメディアやファンも注目しているようだった。


 首脳陣が球場の改修を決めた背景には、今季好調だった観客動員数――福岡にファーム組織ができてからの三年間で最も多かった――をさらに増やそうという狙いがある。

 そこへ、奇しくも親元のチェリーブロッサムズにゴールデンルーキーが入団し、その受け入れ態勢を万端整えるための一石二鳥の施策にもなりそうだった。

 杉野が言うように、いくら朝倉でも即一軍とは考えにくい。実質的な二軍である、育成チームのサンフラワーズに預けられるのが妥当な線ではないか、と雄吾も思っていた。


 ところが、そんな学生たちの期待が砕かれるような事態が持ち上がっているらしい。

「朝倉くんが、サンズうちに来るかって?」

 放課後、サニーグラウンズに出勤した雄吾は、顔を合わせた大下に訊ねてみたのだ。

「うーん、どうだろう。おそらく、ないんじゃないかな」

「じゃあすぐ一軍?」雄吾は驚いた。「そんなことありえるんですか?」

「大いにね」と大下は目尻にしわを寄せた。「ただ、彼女がうちに来そうもないのは、また別の事情があるんだよ」

 そこでマーケティング部の西村知美が大下を呼んだ。会議があるらしい。

「すいません。お時間とらせてしまって」

「なに、構わないよ。――お、ちょうどいいところに」

「?」

「鍋島くん! ちょっといいかい?」

 大下が声をかけるまで、人が横を通ったことに雄吾は気づかなかった。


 その男性スタッフは鍋島と言った。

 リサーチ担当と記録員を兼務しており、元運動部ばかりのほかのスタッフとは少し毛色が違っている。もっさりと生い茂った髪、青い血管の浮き出た細い腕。声が急に大きくなったり小さくなったり、また早口になったり遅く喋ったりするので聞き取りにくい。が、質問には丁寧に答えてくれる。

 事情通のこの人になら、朝倉がサンズに来ない理由を教えてもらえそうだ。

「ふたりでプロティンの大袋をクラブハウスに運んでおいてくれ」そう申しつけた大下の気遣いに、雄吾は感謝した。


「きみはILPの育成組織の仕組みをどれくらい知ってるの」と鍋島は最初に質問した。

「ええと……ILP1の十二球団は、ILP2のチームと育成契約を結んで、選手を貸し出して育ててもらってるんですよね?」

「そう。だから、福岡チェリーブロッサムズと北九州サンフラワーズは、オーナーも経営陣も違う、べっこの球団なんだけど、実質的に一軍二軍という関係なのさ。

 ほかのチームでも、たとえばILP1の愛知ティアラズは、ILP2の静岡の球団と提携したり、基本的に自分の本拠地周辺のマイナーチームと提携して選手育成を任せている。

 でも、来シーズンからはこの仕組みが大きく変わって、新しく3部リーグをつくることになったんだよね。実質的な三軍というわけだね」


 北九州サンフラワーズは、どうもこの三軍に格下げになるらしいと鍋島は言った。

「えっ! そんな……今年のサンフラワーズはけっこうがんばったのに」

 六位というのが最終順位だが、ILP2は十五球団(ILP1の十二球団のいずれの傘下にも入っていない独立球団が三チーム)あるので半分より上だ。それに夏のはじめには一時首位に立っていた。


 そこまでチームを押し上げた四人の主力――センターの玉城ティナとエースの橋本環奈、守備の要の吉本美優と四番の衛藤実彩がまとめて一軍に昇格してしまったため、ずるずると順位を下げたのだ。

 しかし、昇格した選手が一軍でもレギュラーを勝ち取るなど、サンフラワーズは育成チームとして賞賛されるべき結果を残したはずだった。

「まぁね」と鍋島は小さくうなずいた。「けど、これは親球団に決定権があるからしょうがないんだよ」


 球場の顔ともいえるファサードの上に、チェリーズとサンズのチームフラッグが並んでいる。

 二本の球団旗を見上げて、鍋島はため息をついた。

「朝倉優姫みたいな金の卵が、三軍になる北九州まで来ることはないだろうね」

「何か基準でもあるんですか? サンフラワーズが三軍に落ちる理由が?」と雄吾は訊いた。


「さっき言った静岡の球団は、今年ILP2で最下位だったけど、そのままティアラズの二軍として残るらしい……。

 でも、サンズうちはそうじゃない。

 なにせ、三軍をつくろうとコミッショナーに提案したのが、チェリーズを仕切ってる指宿さんだからね」

「あ、その人知ってます。ドラフト終わったあとに会見してましたよね」


 指宿は、福岡チェリーブロッサムズのジェネラルマネージャー(GM)だ。

 ドラフトの日、彼女は大勢の報道陣を前にして、狙っていた選手全員を獲得できたと喜びを語っていた。

 二十代前半という年齢もさることながら、自信に満ちたその美貌が特に印象的だった。

「ものすごい美人だよ」鍋島もその点をまず言った。

「あの歳でGMやるってすごいですよね」

「指宿さんは芸能部も見てるからね。総合プロデューサーなんだ」

「へぇー」

「あと監督もやってるね」

「えっ」

「試合にも出てるよ」

「ええ?!」


「四番としてリーグで二番目に多くホームランを打ったし、リリーフとしてプレートに立つこともあった。恐ろしい人だよ」

 鍋島はため息するように言った。

「まぁ、一番結果を出したのはGMとしてだけどね。弱点だったバッテリィを整備して、去年順位も観客動員も最下位だったチェリーズを、今シーズンは四位に引き上げたんだ。営業面でも上々の成果を収めた。その人が言うんだよ」

 北九州は遠すぎる――と。

 あの氷像の女神のような美しい微笑をたたえ、わずかに首を振りながらのたまう姿が、雄吾にもすぐイメージできた。

「それで、本拠地博多の近くに新しく二軍をつくるため、リーグ全体を巻き込んで構造改革を進めてるわけ。やることがでっかいよね」


「誰がでっかいって?」球団トレーナーの高梨マリンが、壁のような背中を振り向かせて笑った。

 鍋島は猫のような悲鳴を上げて飛びすさり、雄吾を先に立たせて部屋に入った。

 そこは普段、クラブハウスマネージャーという選手の身のまわりの世話をするスタッフが使っている部屋で、クラブハウスの一塁側の奥にある。広くはないが、小さいキッチンや冷蔵庫や作業台が所狭しと並び、細々としたものがいくつも棚に収められている。

「はい、ありがとね」

 元柔道家の高梨は、雄吾と鍋島が一袋ずつやっと抱えていた大袋をいっぺんに受け取り、作業台に持っていった。

「鍋っち、また痩せたねえ。あんたもこれ飲んだら?」

「じゃじゃ、ぼくはこれで……」

 鍋島は雄吾に小声で告げると、高梨が話しかけているにも関わらず、そそくさと部屋を出て行ってしまった。




 サニーグラウンズのほんの目と鼻の先に公営の体育館がある。そこを貸し切って歌とダンスのレッスンをしている選手たちがそろそろ球場に戻ってくる時刻になった。

 高梨は、マッサージを受けに来る選手のためにトレーナー室の空調を入れたあと、軽めの食事を用意し始めた。それは本来ならクラブハウスマネージャーの仕事だが、ひと月前に退団してしまっている。

 サンフラワーズ喫緊の問題である人手不足が、ここにもあらわれているのだ。

 雄吾は高梨を手伝い、ロッカールームのドアのそばに長机を運んだ。


 プロティンパウダーを入れたいくつものシェイカーと常温の水を並べていると、高梨がクーラーボックスを小脇に抱え、もう片方の手にバスケットを持ってやってきた。

 クーラーボックスには冷水やフルーツジュース、オートミールが、バスケットにはおにぎりやクラブサンドが入っている。

「ゆう坊も食べていいよ」と高梨は言った。

「本当ですか? じゃあ……」

 雄吾はバスケットの中からおにぎりを取った。アイドルサイズといえばいいのか、どれもこじんまりと握られている。

「かわいいだろ? でもこのサイズも食べきれないって子がいるんだよ」と高梨は苦笑した。「できるなら完食をノルマにしたいんだけどね。アイドルって人種は放っとくとすぐ断食ラマダンをはじめるから」

 そうなのかとうなずいていると、雄吾の頭に誰かがチョップをくらわせた。


「んぐっ!?」

 米粒を吐き出さないように口を抑えて振り向くと、悪い予感どおり、眉をつりあげたジヒョンがそこにいた。

「ぶちくらされたい?」とジヒョンは雄吾にしか聞こえないような低い声で言った。

 首を振って拒否を示すと、ジヒョンはふんとそっぽを向いた。

 シェイカーと水をひっつかんだ彼女は、唖然としている選手たちのあいだを割ってロッカールームに入っていった。

「あんたって、あったまわるそー」真中がシェイカーにバナナジュースを入れながら言った。「あと何回あの子怒らしたら気が済むわけ?」

 雄吾はごくんと全部飲み込んだ。

「頭じゃなくて、間が悪いんだよ」

「そっちのほうが致命的だわ」

 真中はシェイカーをひとしきり振ると、のどをくいと仰向けて飲んだ。上気した頬から首筋にかけてとろりと汗が流れた。

 ほかの選手も、髪が乱れていたり、スウェットパンツのお尻が濡れていたりする。体育館からここまで、肌寒い外の道を歩いてきてもなお火照っているのか、その場でパーカを脱ぎ、へその出たレッスン着を見せる子もいた。


 みんな、雄吾より年上だった。そして雄吾以外みんな女だった。

 急にそのことが、背筋を撫でる指のようにきまり悪く思えてきた。

「どうした?」と高梨が首を傾げた。

「お、俺……事務所に戻りますっ」

 返事が来る前に小走りでそこを離れた。なぜだか知らないが、背後で楽しそうなくすくす笑いが起こった。


「ん?」

 一階ホールの脇に、ひょろりと背の高い女の子が立っている。

 美波だ、とすぐわかった。しかし、その空気のいつにも増して辛気くさいこと。

 近づくと、壁に向かってぶつぶつと何か言っているのが聞こえた。

「――うせあたしは才能ないんだやっても無駄なんだあたしなんかどんなにがんばったって上がり目ないんだ先生だってそう言っ――ちくしょうあの鬼めあたしばっかり目の敵にしてほかの子はひいきしてあたしだけいつもいつもいつもいつもいつもい」

「おい」


 美波は踏まれたコウモリのような悲鳴を上げ、壁にべたりと張りついた。

「ごめんなさいごめんなさい嘘ですぅうう」

「おまえ何言ってるんだ?」

 うしろにいるのが雄吾だと気づいたのか、美波はぴたりと静かになった。

「ったく……。何があったか知らないけどさ、あっちに食べるもんあるから――」

「カサカサ、カサカサ……」

「――それ食って元気出せ……よ……?」

 美波は壁に腹をつけたまま虫のような動きで離れていき、そのまま角の向こうにすっと姿を消した。

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