第7話 シー・ラブズ・ユー?(第七回)


 天井近くに括り付けたスピーカーから、重苦しいギターの音色が流れていた。グランドファンクレイルロードの曲だ。店内BGMにふさわしいとは思えない選曲だが、どうせ来る客などたかが知れている。ここは俺の城なのだ。


 俺は作業机に脚を乗せ、雑誌を読んでいた。三十年近くも前の音楽雑誌で、古書店で一年分をまとめて購入した。こうした時間が俺の至福のひとときなのだ。客さえ来なければ、の話だが。


 俺が経営するリサイクルショップ『トゥームス』は午後六時から十一時までの間しか営業していない。陳列している商品は主に楽器とOA機器などだ。

 廃物寸前のガラクタから、好事家が見れば涎を流しそうなレアな楽器まで、品ぞろえは深く狭い。


 何せ趣味同然の店だ。売り上げに血道を上げるなんて生き急ぐような真似は、およそ俺には似つかわしくない。今夜も数人、訪れるかどうかという濃い客を待ちながら、俺は呑気に店番をしていた。


 俺がその客の存在に気づいたのは、演奏と雑誌の記事に身も心も入り込んで、流れているギターソロを思わず口でなぞっていた時だった。

 気が付くと、俺から棚一つ隔てた距離のところに、一人の少女が立っていたのだ。どうやら音楽に夢中で、出入り口の引き戸が開け閉てされたことに気づかなかったらしい。


 少女は俺にとって面識のある人物―――彩音の友人のパンク少女だった。


 俺は慌てて作業机から脚を下ろすと、雑誌を床に置いて店主の顔になった。少女はゆっくりと店内を移動した。見ているのは主に、楽器だった。それも変わった形のギターや、趣味で購入したメロトロンなどマニアックなものばかりだった。


 バンド少女って柄じゃなさそうだな。


 俺は胸のうちで首をかしげた。今日のいでたちは、電車の中で見かけたお嬢さん学校の制服の雰囲気に近い。白いブラウスと、膝丈までの紺色のスカート。髪は染めていない。夜分、リサイクルショップを訪れる雰囲気ではない。


 もしかすると、あの夜のパンク・ファッションは彩音に合わせるための物だったのかもしれない。どこか不思議そうな表情で中古の楽器に見入っている少女を見て、俺は思った。


 無意識に見つめてしまったのか、商品から顔を上げた少女と、だしぬけに目が合った。


「あ……いらっしゃいませ」


 少し吊り気味の双眸は黒目が大きく、改めて近くで見ると、なかなかの美少女といえなくもなかった。


「ギター、あるかしら?」

 少女はぶっきらぼうに言った。俺はほう、と感心した。一応、楽器をやるらしい。


「そこらへんに、たくさんありますよ」


 俺はカウンターの内側から、楽器コーナーを目で示した。少女は大小の中古楽器が並ぶ一角で足を止め、商品を眺め始めた。しばらくすると、いくつかのギターをおそるおそる触り始めた。


 その目を見て俺は直感した。この子は楽器の知識がない。少なくともバンドで使用する電気楽器に関しては、手にしたこともないに違いない。


「どんな奴がいいの?ストラトタイプ?」

 俺はあえてかまをかけた。少女は一瞬、きょとんとし、それから「え、ええ」と言った。


「アンプは持ってるの?エフェクターは?」

 矢継ぎ早に問いを放つと、少女は口を開けてぽかんとした表情を作った。


「とりあえず気に入ったものがあったら、声をかけて」


 少女は答える代りに腕組みをした。視線はまるっきり定まっていない。この店を訪れた本当の目的は楽器の購入ではなさそうだ。それにしても、どこでここを知ったのだろう。


「これ……」

 顔を上げると、少女がひとつの商品を指で示していた。俺はおや、と思った。


「それがお気に入りですか」

 俺は立ち上がると、カウンターの外へ出た。心なしか少女の表情がこわばった。


「綺麗な形だと思ったけど、少し大きいわね」


「ギターをお探しなんですよね」

 俺は少女の隣に立った。少女が俺を見上げ、そうだけど、と怪訝そうな表情を浮かべた。


「……これ、六弦ベースですよ」

 えっ、と少女が小さく声を上げるのが聞こえた。俺はやはり、と思った。


「まずは楽器の形から覚えましょうか。学校で習ってる物とは違うでしょうから」

 少女がきっと俺を見据えた。口元がわなわなと震えていた。


「やっぱり気づいてたのね。私がどこに通ってるか」


 俺はまあね、と言った。お嬢さん学校の生徒でもバンドくらいはやるだろう。だが、ギターとベースの区別もつかないとなると、初心者以前の問題だ。


「ライブハウスに入る度胸をつけるために、ああいう格好をしてたんだな」

 少女は赤い顔で俺を睨み付けた。背伸びをしたことを指摘されたのが屈辱なのだろう。


「ちょっと古めだが、センスは悪くなかったぜ。少なくとも俺は嫌いじゃない」

 笑いかけると少女はほんの一瞬、はにかんだような表情になった。


「彩音が選んでくれたの。こういうのが似合うと思うって」

 なるほど、親友の趣味に付き合ったというわけか。そういうデビューもいいだろう。


「この店をどうやって知った?大っぴらに宣伝できるほど繁盛してないはずなんだが」


「……キエフ君が、あなたのバンドの人と知り合いだっていうから、聞いてもらったの」


 なるほど、これで謎が解けた。それにしても探偵顔負けの行動力だ。俺は舌を巻いた。


「……で?俺に何か用かな。ギターを買いに来ただけじゃあ、ないんだろう?」


 俺はずばり核心に切り込んだ。少女は大きく一つため息をつくと、昂然と俺を見上げた。


「警察から助けてくれたのは感謝してる。……でももう、彩音の事を監視するのはやめて」

 少女は毅然として言い放った。それを言うためにわざわざやって来たのか。


「つきまとうつもりはないさ。依頼には十分、答えたつもりだ。彩音さんが夜のライブハウス通いを続けたとしても、俺にはそれを止める権利がない」


「そう……それを聞いて安心したわ。でも、あなたは彩音の叔父さんなんかじゃない。どうしてわざわざあんな所までやってきたの?」

 少女は鋭い問いを繰り出してきた。なかなか肚の座った子だ。


「彼女の本当の叔父さんが、えらく心配していたんでね。それに、お母さんも叔父さんも、ライブハウスのつくりには詳しくない。まあ、ちょっとした人助けかな」


「ふうん。人助けね。それほどのお人よしには見えないけど」


 少女の追及は容赦がなかった。俺はいささか憤然とした。確かにいい人相とはいえないが、もうちょっと言葉を選ぶべきだろう。


「まあ、確かに他にも理由があるが、それを君に言う筋合いはない」

 俺がぴしゃりと言い放つと、さすがにまずいと思ったのか少女は沈黙した。


「これだけ楽器を揃えてるってことは、あなたも音楽をやっているのね」

 ふいに少女が話題を変えた。俺は頷いた。


「ああ。『リバイバルブート』っていうロックバンドをやってる。中年バンドだがね」


「ふうん。……ねえ、今度、聞きに行っていい?」

 少女がそれまでの生硬な態度とはうって変わった砕けた口調で言った。


「あ……ああ、もちろん。ロックは好きなのか?」


「……正直、わかんない。あんまり聞いたことないから。でもこの間、聞きに行った『ロストフューチャー』は悪くなかったと思う」


 つまり主体的に聞きに行ったのではなく、彩音の付き合いで行ったということなのだろう。悪くなかったという事は、パンクにはさして抵抗を感じなかったという事か。


「俺のバンドはユキヤ君たちのとはちょっと微妙に違うぜ。暗いといってもいいかな」

 俺は自嘲気味に言った。脅かすつもりはないが、少なくとも若向きではないだろう。


「こんな感じの奴?」

 少女が天井のスピーカーを指さして言った。曲はレッド・ツェッペリンに変わっていた。


「まあ、似たり寄ったりかな。保証できるのはこれよりはるかに下手だってことだ」

 少女は初めて表情を和ませた。俺はいくつかのライブハウスの名を挙げた。


「この辺の店で、いつも演っている。ライブは夜が多い。みんな仕事を持っているからな」


「わかった。もしかしたら私、こっちの方が好きかもしれない。……彩音には悪いけど」


「……言っておくが、中年バンドだ。君たちが夢中になるようなメンバーはまず、期待できないと思って間違いない」


「どうかしら。女の子が夢中になるのは若くて格好いい人ばかりじゃないと思うけど」

 少女は意味ありげな笑みを浮かべた。俺が最も苦手とするタイプの表情だった。


「私、生原涼歌いくはらすずか。あなたは?」


「泉下巡。しがないリサイクル屋だ」


「しがない、なんて言葉、久しぶりに聞いたわ」涼歌はけらけらと笑った。


「それに泉下なんて随分、変わった苗字ね。……失礼だけど、亡くなった人みたい」


「ああ、その通りだ。俺はいわば生きている死人……ゾンビみたいなもんだ」


 俺が言うと、涼歌は「そういう自虐的なジョーク、いやだな」と顔をしかめた。決して冗談ではないのだが、まあ仕方ない。


「ま、いいか。私も中学時代、イキリョーっていうあだ名だったし。……それじゃ連絡先、教えてくれる?私も教えるから」


 涼歌は携帯電話を取り出した。俺は一瞬、躊躇した。ゾンビは生者の知人が増えることにひどく敏感なのだ。


「どうしたの。まさか、ケータイ持ってないとか?」


「いや、持っているよ。ただ友達が少ないんでね。連絡先の交換になれてないんだ」


「駄目だなあ。商売やってるんでしょ?もっと社交的にならなくちゃ」

 涼歌の口調が一転して、上から目線になった。俺は「そうだな」と苦笑した。


「……で、どうするんだ。ギターは買っていくのか?」

 俺が仕返しのつもりで言うと、涼歌は一瞬、虚を突かれたような顔になった。


「意外と意地も悪いんだ」


 頬を膨らませた表情を見て、俺は少し安堵した。生意気かと思いきや、意外と年相応なところもあるようだ。


「商売熱心と言ってもらいたいな。音楽は嫌いじゃないんだろう?」



「……ピアノだったら、三歳の時からやってるけど」

 俺はほう、と声を上げた。確かに彼女の学校は、音楽科が充実していることで有名だ。


「ピアニストを目指してるのかい」

俺の問いに、涼歌はかぶりを振った。


「専攻はピアノ科だけど、進学は迷ってる。S音大に行くことは決めてるけど、声楽にも興味があるから」


「どちらにしても、プロの音楽家をめざしてるわけか」

 俺は感嘆した。ロックには詳しくなくても、音楽に関しては俺よりはるかに専門家だ。


「でも、彩音にライブに連れていかれて、バンドも格好いいなって思い始めたとこ。両方やれるのは、学生時代くらいでしょ?」


「たしかにな。ようし、それじゃあ、見繕うとするか。予算はどれくらいだ?」

 俺が尋ねると、涼歌はある金額を口にした。俺が想像していた額の数倍だった。


「どうしたの?……これじゃあ、買えない?」


「クラシックのチケットが何で高いかわかった気がするよ。出すのはその三分の一にしておけ。その範囲で全部見繕ってやる」


「本当?そんな出費でバンドができるの?」


「ああ。バンドで大事なものは金を積んでも買えない。楽器を選ぶ何倍も難しい作業だ」


「なにそれ?先生?練習場所?」


「……人間関係だ。こればっかりは失敗を重ねないと培えない」

 涼歌はああ、と頷いた。


「楽器を揃えて練習したら、次はいい友達を見つけるんだな。フィーリングの合う奴を」

 俺が女性でも扱いやすいギターを探していると、ふいに涼歌が「あっ」と声をあげた。


「どうした?」


「この曲……知ってる」


 流れていたのは、エマーソン・レイク&パーマーの曲だった。


「『展覧会の絵』だな。プログレッシブ・ロックの名盤だ」


「ムソルグスキーでしょ。これもロックなの?」


「ああ。クラシック音楽をロック風にアレンジしたアルバムで、当時はこう言う毛色の変わった物が流行していたんだ」


 俺が説明すると、涼歌は興味深げにスピーカーを見つめた。意外なところで接点が見つかるものだな、と俺は愉快になった。


「キエフ君が、この曲の『キエフの大門』っていう部分が好きだって言ってた」


「なるほど、それで『キエフ君』なのか。どうりで変わったあだ名だと思った」

 俺の脳裏に、ファミレスでのユキヤとキエフのやり取りが甦った。


「そう言えば……彩音さんがストーカーに狙われてるって話は、本当なのか」

 いきなり話の風向きが変わり、涼歌は目を瞬いた。


「……ええ、そうだけど。どこで聞いたの?」


「キエフ君からだ。かなり心配しているようだった」


「……そうね。彩音はユキヤ君に心配して欲しいようだけど、巻き込みたくないっていう気持ちもあって、なかなか言い出せないみたい」


「ユキヤ君はもう知ってるよ。驚いてるようだった」


 涼歌は目を瞠った。なぜそんなことまで、といった表情だった。

 俺はユキヤと個人的に話をしたこと、そこへキエフが現れてストーカーの話をしたことなどをかいつまんで話した。もちろん、俺とユキヤとの会話の内容に関しては、あえて伏せたままにしておいた。


「……そうだったの。でも、一応は心配してくれたんだ、ユキヤ君」


 涼歌がほっとしたように言った。彩音はユキヤに好意を抱いているが、ユキヤの態度がいまいちはっきりしないのでやきもきしている、といったところか。俺がそう口にすると、涼歌は「うーん」と言って小首を傾げた。


「その通りだけど、私はユキヤ君も彩音の事、嫌いじゃないと思うんだ。……ただ、ユキヤ君のお兄さんが昔、色々あったみたいで彼女を作るのにも慎重になってるらしいの」


 それはそうだろう、と俺は思った。ユキヤの兄の事件を考えれば、人付き合いにも慎重になろうという物だ。特に女性に対しては。


「でもね、彩音はユキヤ君のお兄さんの事も知ってるみたいだし、何があっても気持ちは変わらないって言ってる。あとはユキヤ君次第なんだけど……」


「肝心のユキヤ君の態度が煮えきらないので、あきらめきれないんだな」


 涼歌がこくんと頷いた。俺はキエフからストーカーの事を聞かされた時のユキヤの表情を思い返した。ユキヤは明らかに動揺を見せていた。女の子が事件に巻き込まれるかもしれないという話が、ユキヤの暗い記憶の何かを刺激したと考えて間違いなさそうだった。


「それにね、キエフ君も彩音に好意を持ってるっぽいんだよね。だから……」


「くっつくなら早くくっつけ、でないとあきらめきれない……ってわけか」


「たぶんね。キエフ君にとっては彩音もユキヤ君も同じように大事なはずだから」

 俺は腕組みをし、うーんと唸った。だからバンド内のすったもんだは困るのだ。


「ストーカーの目星はついてるのか?それとも、全く知らない人間?」


「よくわからないけど、知らない男だって。ネットで彩音の写真を見て気に入ったみたい。……それと、怪しい男に付け回されたことがあるって言ってた。なんでも顔を完全に隠していて、逆に目立ってたって」


「警察には言ったのか?」

俺が尋ねると、涼歌は黙ってかぶりを振った。


「今のところ、言ってないみたい。でも電話やメールがこれ以上、頻繁に来るようだったら、届けを出すって」


「そうか。そうなるとあんまりユキヤ君と親しくするのも考え物だな。ストーカーが彩音さんに執着するあまり、彼氏に嫉妬の矛先を向けてくることも考えられる」


「そうなの。だからユキヤくんはもちろん、キエフ君だって安全じゃないと思う」


 俺はため息をついた。女の子が身の危険にさらされるという話は俺にとっても他人ごとではない。だからと言って無闇に深入りするのは、剣呑だとも思った。


「まあ、様子を見ることだな。危ないと思ったらすぐ警察に行ったほうがいい」


「相談に乗ってくれる?」

 涼歌が身を乗り出してきた。俺は不承不承、頷いた。


「相談しなくちゃいけないような事態にならないことを祈ってるよ」


「もちろん、そうだけど。……ギター、良さそうなのあった?」


「ああ。これなんかどうだろう。ちょっと古いが、女の子にも弾きやすいはずだ」


 俺は赤いストラトキャスターを手渡した。涼歌は「重ーい」とふざけた口調で言い、ストラップを肩にかけた。俺はネックを握った姿を見て、思わず唸った。


「意外なくらい、様になってるな。エアギターなら十分、デビューできるぜ」

 涼歌は「本当?」と嬉しそうに言い、弦をかき鳴らす真似をした。


「ギュイ~ン……なんちゃって」


             〈第八回に続く〉

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