第5話 シー・ラブズ・ユー?(第五回)
携帯電話の小さな画面の中で、銀髪のヴォーカルが激しくシャウトしていた。
うーん、若いなあ。いいなあと俺は電車に揺られながら笑みを漏らした。動画のタイトルは「ライブPV風に撮ってみました」。アマチュアのくせにカメラを三台くらい使ってPV風に撮影している。ヴォーカルのアップから、ドラムのソロへ。
またヴォーカルに戻って、今度はギターソロ。やれ忙しやだ。編集の腕がいいのだろうな。いっぱしのプロの演奏に見えなくもない。
車窓を流れる風景が、住宅地から河川敷へと変わった。橋を渡り、土手を横切って再び住宅の立ち並ぶ風景が流れてゆく。普段乗らない路線に乗るとまるで見知らぬ街を訪れているようだ。
俺が向かっているのは次のC駅。目的地は梅ヶ丘公園だ。『ロストフューチャー』の演奏を聴くため、正確に言うとヴォーカルのユキヤに会うために、土曜の午後という普段なら部屋で寝ている時間帯にこうして電車に乗っている。
車内アナウンスが、俺の降りる駅の停車を告げた。俺はブラウザを閉じ、携帯電話をポケットにしまった。やれやれ、本物を見る前に演奏を堪能しちまった。
電車が速度を緩め始めた。何気なくドアの周辺に目をやった瞬間、俺は斜め前に座っている人物に目を奪われた。それは制服姿の女子高生だった。
制服は音楽科で名をはせている私立高校のものだ。そしてまっすぐな黒髪を後ろで結い上げているのはまぎれもなく、彩音と一緒にいたパンク・ファッションの女の子だった。
俺は気配を殺して女子高生に近づいた。俺に気づいたのか、女子高生が読んでいた本から顔を上げた。俺の視線と女子高生のそれとが一瞬、空中で交差した。次の瞬間、女子高生の表情が険しくなった。
やばい。気づかれたか。女子高生のいでたちはあの晩とは似ても似つかない清楚なものだったが、俺はと言えば夜も昼もほとんど同じ格好だ。
「次はC駅ー、C駅です」
アナウンスが流れるのと同時に、女子高生が立ち上がった。俺は慌てて、女子高生の前に移動し、結果として正面に立ちはだかる形となった。
「なにか御用ですか」
女子高生は昂然と顔を上げ、俺を見据えた。ここで気おされてはいけない。
「また会ったね。学校じゃパンクの授業はないってことがわかった」
俺はしれっとして言い放った。女子高生の顔が軽蔑と憎悪に染まった。
「何をおっしゃってるのか、わかりません。降りるので、よけてもらえますか」
まともに取り合わず、俺の傍らを強引にすり抜けようとする横顔に、俺は囁いた。
「レーザーポインタはやめた方がいい。下手をすると傷害の現行犯で捕まるぞ」
女子高生の動きがぴたりと止まり、次の瞬間、殺意すら感じさせる鋭い視線を俺に投げかけてきた。
「…………」
女子高生の視線と俺のそれとがしばし、空中で絡み合った。やがて、女子高生はあきらめたように視線を外すと苦々しげな表情のまま、無言でドアの前に移動した。
なかなかいい度胸だな。俺は愉快になった。電車が駅に到着すると、女子高生は足早にホームに降りた。俺はあえて後を追うことはせず、ゆっくりと電車を降りた。
駅舎の入り口あたりで、女子高生が立ち止まるのが見えた。ガラス戸の向こう側で彼女に向かって手を振っているのは、稲本彩音だった。
俺は、ははあと思った。あの子たちもライブを見に来たのだ。
俺はのんびりと歩き出した。少女たちの姿はたちまち見失ったが、どうということはない。どうせ会場で会うのだ。彩音と話してみたい気持ちもあったが、今日は目的が違う。
十五分ほどかけて梅が丘公園に到着した。河川敷を整備して作った、割と大きな公園だった。ライブスペースはコンクリートの広場だった。席らしいものはなく、一部が高くなっているだけの何もない空間だ。
俺が到着すると、すでにギターとベースが練習を始めていた。ユキヤの姿はまだ見受けられなかった。
あの子たちはどこかな。
ぱらぱらと集まり始めたファンの中に、彩音たちの姿はなかった。ライブとはいっても練習を兼ねたセッションのような物らしい。好きな時に出入りするということなのだろう。
俺は本番が始まる前にと、ステージに歩み寄った。ギターの青年が俺に気づき、チューニングをする手を止めた。
「こんにちは」
「ああ、どうも。……ええと、どちら様?」
音楽関係者とでも思ったらしい。慇懃な態度の裏に警戒心が覗いていた。
「稲本彩音の身内なんだけど……ユキヤ君はまだ、来ていないのかな」
「彩音ちゃんの?」
俺の堂々たる嘘に、ギターの青年は目を瞬いた。父親にしては若すぎると思ったのだろう。どうせばれるのだ。俺は身内になりきることにした。
「叔父です。最近、彩音から『ロストフューチャー』っていうバンドが格好いいと聞かされてて、僕もちょっとベースをやるもんで、一度見てみたいと思って」
「ベース、やってるんですか?」
話を聞きつけて、ベースの青年も近寄ってきた。よし、まずまず期待通りの展開だ。
「今日は一種のストリートですから、そんな本格的にはやらないっすよ。たぶん」
ギターの青年はそういうとサングラスを外した。両端の下がった細い目が現れ、急に顔立ちが柔和なものになった。
「しかもドラムが間に合わないと来てる。ドラム無しのパンクってどうなのよって感じ」
ベースの青年がおどけたように言った。どうやら気さくな連中のようだ。
「ヴォーカルのユキヤ君は?」
俺は再度、ユキヤの名を出した。彼に会えないのではわざわざ来た意味がない。
「もうそろそろ来るんじゃないのかあ。……でもあいつはあんまりファンと話、したがらないからな。ユキヤと話したいなら、終わって移動するときに声をかけてもらえませんか」
「まあとりあえず、演奏を楽しんでってくださいよ。あんまし激しい奴はやれないけど」
二人の助言を、俺は受け入れることにした。ステージからやや離れた一角にじかに腰を下ろすと、俺は音合わせの様子をぼんやりと眺めた。背後のざわめきに気づいたのは、それから間もなくだった。
「ユキヤ」という黄色い声がそこかしこから聞こえ出した。振り返ると、銀髪の青年が階段を降りてくるところだった。
「じゃ、そろそろやりまーす」
ギターの青年がマイクに向かって言った。あちこちに散らばっていた二十人程度の観客が、ステージ前に集まりだした。気が付くと、彩音たちもステージ前の一群に紛れていた。
「どうも。ドラム無しだけど、今日もボチボチ行くので、気楽に聞いてください」
マイクの前に立ったユキヤが言った。この公園は電源があり、多少の音量は許されているらしかった。ベースがリズムを刻み始め、演奏が始まった。俺はいったん目的を棚上げにし、演奏に聞き入った。
「どうもありがとう!今日はまあ、この辺で。ドラムにはおしおきしときます」
笑いと拍手が起こり、メンバーは黙々と撤収に取り掛かった。ギターとベースはファンと言葉を交わしていたが、ユキヤだけは無言で後片付けに集中していた。
ファンとの交流は苦手だという話が浸透しているのか、ユキヤ目当てと思われる少女たちがなんとか声をかけてくれないかと遠巻きに見ている様子がいじらしかった。
さて、先回りして駐車場の方で待つかな。
そう思い、広場を離れかけた時だった。「どうしてもダメ?ユキヤ」という声が背後で聞こえた。振り返ると、ステージ袖でまるでとおせんぼをするようにユキヤの前にたちはだかる少女の姿があった。彩音だった。
「今日は暇がない。そのうち連絡するよ」
ユキヤはぶっきらぼうに言い、彩音を押し退けるようにしてその場を離れた。
消沈する彩音に、俺は近づいた。はっとして顔を上げた彩音は一瞬、誰だろうというように小首を傾げた。やがて、俺の正体に思い当たったのか厳しい顔つきになった。
「こんにちは。どうやら無事に帰宅したみたいだね」
彩音は戸惑ったように目線を泳がせると、無言でうなずいた。どうやらユキヤの事で頭がいっぱいで、俺に噛みつく気力が失せてしまったらしい。パンクファッションの子とは正反対の反応だった。
「だましてごめんなさい。怖かったし、正直、うっとうしかったの」
思いのほか、素直な子のようだ。俺は「いいさ。だまされるのは慣れてる」と返した。
「もういいかな。あんまり話したくない気分なんだけど」
「ああ、もちろん。別に君を見張ってたわけじゃない」
俺は彩音のそばを離れた。ある程度、距離を置いた後で振り返ると、パンクファッションの少女が彩音を慰めているのが見えた。
駐車場に足を踏み入れると、俺は『ロストフューチャー』のメンバーを探した。スペースを埋めている台数はわずかで、ほどなくリアハッチの開け放たれた青いバンが目に入った。近づいてゆくと、後部席とトランクの間を行き来していた人影が足を止め、振り返った。ユキヤだった。
「あんたが、俺に会いたいっていう人か」
ユキヤは俺の姿を認めると、怪訝そうに眉を寄せた。
「こんにちは。俺は泉下巡。稲本彩音の叔父と名乗ったが、本当は叔父さんの友人だ。君のお兄さんの事で少し話をしたくて、来たんだ」
「兄貴の事?」
ユキヤの双眸がにわかに剣を帯びた。警戒すべき人物と映ったのだろう。
「ああ。思い出したくないことかもしれないが、君のお兄さんが関わったとされる、十年前のある事件に、実は俺も関っているんだ」
「なんだって?いきなり何を言い出すんだ」
ユキヤはいきり立った。無理もない。俺の用事はどう考えても歓迎すべき内容ではない。
「俺には、ある理由で事件の記憶がない。少しでも事件から近い所にいた人の話を聞きたいんだ。お兄さんに会わせてくれとは言わない。君の知っていることでいいから、話を聞かせてもらえないだろうか?」
ユキヤが沈黙した。二人の間に、緊張を伴った時間が流れた。
「……Rっていうファミレス、知ってます?ここから十分くらいの所にある」
俺は頷いた。バンドの連中と、何度か打ち合わせに使ったことのある店だった。
「じゃあ、そこで四時に待ち合わせましょう。いいですか?」
「わかった。いきなり図々しい頼みごとをして、すまなかった」
「じゃあ四時に」
ユキヤは軽く会釈をするとリアハッチを閉じ、後部席に乗り込んだ。青いバンが去ってゆくのを見送りながら、俺は過去への細い糸を見つけたような高揚感を覚えていた。
〈第六話に続く〉
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