上司と部下⑦

 終業後、俺は田宮さんと飲んだ居酒屋の前に立っていた。なぜかここに行かなければならぬ深層心理が働いたのかもしれない。

 当の居酒屋は、田宮さんの失踪のことなど露知らず、活気に満ち溢れた声が店内から漏れ出ている。むしろ田宮さんの失踪に対する祝賀会でも開いているようにさえ思えた。

 周囲を見回してみても、田宮さんの姿は案の定見当たらない。しかし、思ったほどの落胆は無かった。そう簡単に見つかるなんて思ってはいなかった。むしろ見つからない、とさえ思っているのは俺が薄情だからだろうか。周囲は昨日と同じように生暖かい風が身に纏わりつく。じっとりと汗が衣類に滲み、俺の気分を徐々に、しかし確実に落としていく。

 俺は昨日と同じ店の暖簾をくぐった。入ると店員たちそれぞれの「いらっしゃいませ」の短縮形が飛び交い店中に響き渡る。連れが後から来ると嘘を言い、奥の個室へ案内されると、生ビールを注文した。個室に一人ぽつんと取り残された俺は、外から漏れる店員の掛け声もシャットアウトし、物思いに耽る。何故こんなことになってしまったのだろうか。同期の工藤に、上司の田宮さん。俺の周りの人々が姿を消していく事態に、どうにも他人事とは思えなかった。俺に何か関係しているのか。それとも二人に共通する何かがあるのか。

 そんなことを考えてながらビールを飲んでいると、スマホが鳴った。画面を覗くと小幡さんからだった。

 ――あ、と俺は個室で一人声を上げた。

 もう一人いたのだ。工藤と田宮さん――失踪した二人に共通する人物が。思い出した時、自分があたかも物語の主人公であるかのような、自分が世界の中心であるかのような錯覚、妄想をしていたことに恥ずかしさを覚えた。

 通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。電話口の奥からは声色が掠れ、男女の区別がつかない老人の声に聴こえ、初めは小幡さんとは思えなかった。むしろアルコールが回って、そう聴こえてしまっているのかとさえ見当違いをしてしまうほどの変わりようだった。

「……山伏か」

 そういうあなたこそ、小幡さんですか。そう尋ねたいことをぐっと堪え、そうです、と短く答える。

「なんでこんなことになっちまったんだろうな」

 俺はどのように答えていいのかわからず、逡巡する。

「……とりあえず、一緒に呑みませんか?」

 やはり俺は見当違いの答えを導き出してしまった。言った後に気づいたが、もう遅いのは火を見るよりも明らかだ。

 しかし、小幡さんは、俺のフォローをしてくれているつもりなのか、「いいねえ」と意外と乗ってきた。大丈夫ですか、と誘っておいて心配になる。

「今俺も飲んでいるから、そっちに行くよ」

 冗談ですよね、と今度は素直に声が出た。あれだけ泣きつかれた子供のようなかすれ声を出していたのに、今飲んでいるだなんて、と。

「ああ、やけ酒だよ、やけ酒。ひたすら飲んでるんだ」

 なるほど、酒で喉がやけてしまったのか。俺は納得しがたい内容に安堵すべきなのか迷ったが、やけ酒ということはつまりそういうことなのだろう。

「俺がそちらに向かいますよ」

「いや、ここには長居しているし、そろそろ二件目、と思っていたところなんだ。どこにいるんだ」

 俺は、店の名前と周囲の情報を伝える。それを聞いた小幡さんは、「お前、なんでそこにいるんだ?」と意味の分からない質問を投げてきた。なんでも何も、俺がどこで飲もうと勝手じゃないですか、と笑いながら電話を切った。

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