彼氏と彼女⑦(完)

 喫茶店を後にした僕たちは映画館で新作の映画を鑑賞した。どこにでもある巷に溢れたラブストーリーだった。無味乾燥な展開はどうしても僕の心には響かなかった。元はといえば、この映画を見たいと言ったのは、清美の方だった。曲がりなりにも彼氏として清美の好みはある程度知っているつもりだったが、清美が純愛ものの映画を見たいだなんて聞いたことがなかった。原作の小説が面白かったからと当たり障りのない理由でお茶を濁されたが、僕も深くは聞くつもりもなかった。原作が有名な作品だということも知ってはいたし、女の子ならラブストーリーを見たくなるときもあるのだろう。そう思うことにしたのだ。何より久方ぶりに会うのだから、些末なことで言い争いは避けるべきだし、元々口数の多い方ではない僕にとって映画鑑賞はベストな選択であったとも言える。

 しかし、隣で鑑賞している彼女の横顔を見ても、どうにも楽しそうには思えない。視線はスクリーンを向いているが、見ているというより眺めているようにもみえる。退屈な授業中に漫然と空を眺めている感覚に近いかもしれない。見てはいるが見えてはいない。心ここにあらず、といった感じだ。

 映画を見終えた僕たちは、夕飯を食べるためモール内に併設されているレストランに入った。メニューを見ながら先程の映画の感想を語り合う――とは言ってもお互い上っ面の感想に留まり、それほど盛り上がることもなかった。

「なんで、あの映画を選んだんだ?」

 僕は思いきって尋ねてみることにした。

「元々ああいうの見ないだろう」

「まあねえ」

 あっさり認める清美に、少し拍子抜けの僕。

「ああいう映画みたいな恋愛って本当にあるのかしらね」

「え?」

「オーナーがさ、あの夏祭りの時に言っていたじゃない? どうか今のあなたたちの姿をウッドベルでも見せてくださいねって。結局見せれずじまいだったけど、オーナーが期待していたのはきっと今日見た映画のような二人なのよ。オーナーはそんな恋愛をしてきたのかしら。それとも出来なかったから私たちに求めていたのかしら」

「そんな話は辞めないか。辛気くさくなってしまうよ」

「でも、もうすぐよ。オーナーの――」

「辞めろっ!」

 テーブルを思いきり叩き、大声を張り上げた。

「ここでするような話でもないでしょ」

「……ごめん」

 理不尽な怒りであることはもちろん分かっていた。分かっていても、怒鳴らずにはいられなかった。

 オーナーは夏祭りが終わってから五日後にこの世を去った。

 殺されたのだ。あの切り裂きジャック殺人事件の犯人の手によって――。

 あの夏祭りの後、僕たちはオーナーの予想通りに恥ずかしがってしまい、約束を果たせないまま五日が過ぎてしまった。ようやくふりしぼった勇気を胸にウッドベルの門戸を叩いたが、鍵が掛かっており中に入れない。

 こんなことは初めてだった。そして僕たちは何に導かれるでもなく、店の裏手に足を進めた。一歩踏みしめるごとに胸の鼓動は加速し、血生臭い空気が鼻腔を刺激する。

 眼前に広がるのは、壁にもたれかかったオーナーの死体と血の海だった。顔の損傷はなく、左肩から斜めに日本刀で斬られたような傷口が遠目からでも認識できる。傷口の周辺は赤黒い色に近く、濃い。

 血に塗れた死体を見ても、僕たちは悲鳴をあげることはしなかった。緊張で身体が強張っていたせいかもしれない。

「オーナー……?」

 声を絞り出すのがやっとだった。先程までふりしぼった勇気はどこかへ影を潜めてしまった。

「まずは警察に連絡しよう」

 僕は公衆電話を探し、警察へ連絡した。

 警察はそれからしばらくしてサイレンを流しながら現場に駆けてきた。

 これが『切り裂きジャック連続殺人事件』の最初の事件となる。そして、奇しくも今年の花火大会がオーナーの命日に開催される。

 だからこそ、僕はこの日を彼女とのXデーににすると決めた。

 オーナーによって引き合わされた僕たちは、オーナーの死によって、冷たいあの血溜まりの現場からもがくだけで抜け出せていない。

 それに終止符を打つために僕は一石を投じることにしたのだ。

「もう一度、あの屋形船に乗らないか?」

 屋形船に乗るのは、あの年以来となる。夏祭りには時間があれば行っていたが、屋形船の場所にはどうしても近寄ることはできなくなってしまっていた。

 花火を祭りの外から眺め、オーナーの想い出に浸る。オーナーの死によって僕たちが悲しみに暮れてしまっていては、オーナーも浮かばれない。そう思い、祭りには顔を出すように努めた。だけどそれもまたそこから立ち止まりつづけていることと変わりなかった。オーナーの死を足枷にして、甘えていた自分たちがそこにいた。

 一歩踏み出すときが来たのだ。オーナーに見せるのは立ち止まった姿ではなく、前を向いた姿でありたい。タイミングは遅かったかもしれないし、今がベストなのかなんてわかりはしない。僕が今だ、と思ったときがおそらく今なのだろう――少なくとも、僕はそう思っていたい。

「屋形船か……あのとき以来だね」

 清美はうっすらと笑みを浮かべた。

「なおさら、中止にはなってほしくないね」

「しないよ、中止なんて。だってあれから三年も経っているのに、中止になったことは一度も無かったじゃないか。確かに年々報道の規模は大きくなっているけど、結局は対岸の火事だよ」

 僕はそう言って、彼女の手を握った。

 強く、そして長く。

 鈴原清美との思い出を何度も何度も噛み締めながら思い出す。


 翌週、花火大会の開催が正式決定した。

 これで僕の計画は無事に決行できる。

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