彼氏と彼女③
「話、聞いてる?」
どこか上の空になっていた僕に清美は頬を膨らませる。
「せっかく久しぶりに会えたのに、こんなんじゃ楽しめないよ」
彼女の言い分は尤もだった。明らかに僕だけが一人浮き足立っており、端的に言えば狼狽している。僕は飲みかけのコーヒーをストローから啜る。氷が溶けて少し薄くなったコーヒーが渇ききった喉元を通り、水分を運ぶ。
「ごめん、久しぶりで少し緊張しているみたいだ」
僕は胸のあたりに手をおいてみせた。鼓動は幾分か速い。やはり緊張はしているようだ。零した言葉の整合性に安堵する自分がいることに、違和感を覚える。
清美は膨らませた頬をそのままに、ふーんと呟くだけに留めたが、すぐに「ところでさ」と話題を変えた。
「もうすぐ夏だけど、どこか行かない?」
「え? ああ、うん。そう……だね」
夏、という僕の中での重要ワードが彼女の口から飛び出したので、動揺を隠しきれず、平静を装うことはかなわなかった。今は梅雨真っ盛りの六月の半ば。あと一ヶ月もすれば本格的な夏に入る。そこで僕は大きな決断をする。Xデーは七月末の花火大会の日だ。僕はその日、清美と最後の思い出を創る。煮えきらない自分にケリをつける意味合いが大きい。
「今年も花火大会は行きたいね」
僕は意を決して自分から誘ってみる。清美は少しだけ逡巡しながらそうだね、と笑った。
「でもその前に仕事が片付けばいいんだけど。それに例の事件もあるし」
ああ、と僕も嘆息をついた。清美が口にした『例の事件』が、今全国的に話題になっている連続殺人事件のことだということはすぐにわかった。
最初の事件の報道は誰も覚えていない。それほどに小さな事件だった。地元で起きた殺人事件、というほどにしか感じていなかった。それがいつの間にかこれほどまでに大きな事件になるとは、岐阜市民の誰一人として思っていなかったのではなかろうか。岐阜県という全国から見ればマイナーな県の事件に全国の誰が振り向いてくれるのだろう。そんな自虐的な声すらも挙がっていたのかもしれない。
「中止……になるのかなあ」
僕は最悪の事態について想像してみた。花火大会が中止になれば、彼女に想いを告げるチャンスが一つ潰れることとなる。それはできれば避けたい案件だ。しかし、とここで一旦立ち止まる。
「中止になるかなあ。別に今までは暗い人気の無い場所で殺されてたわけでしょ。うちの花火大会は結構有名だから他県の人も加わって人気しか無くなるんじゃない?」
「まあ、そうとも考えられるけど」
「それにそんなところで事件なんか起こしたら、すぐ捕まっちゃうと思うよ。俺が犯人ならこんなことはしないね」
「でも世間体を考えたら止めるっていう選択肢は多かれ少なかれあると思うんだよね」
確かに、と僕も同意する。こればかりはたかが会社員の僕の一存で決められるものではないし、そもそも決める権限がない。よりによってこんな大事なときに、こんな事件を起こしてくれたもんだと、犯人に恨みの一言を申したいくらいだ。
コーヒーのなくなったコップに残された氷が溶け、からん、と音を立てた。僕は腕時計を覗くと、そろそろ僕らの観る映画の上映時間となる。そろそろ、と僕が促すと、彼女も無言で頷き、身支度を整える。
「まあ、でもさ」
清美は立ち上がりながら、思い出したように呟いた。
「やっぱり思い出のイベントだし、出来るなら毎年行きたいよね」
僕の耳にはその言葉がしっかりと届いていたのだけれども、聴こえなかったふりをして、レジへと足を向けた。
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