惑星転属後の彼
――シュウ、どうしても譲れない想いがあるのなら希望は捨てちゃいけねえ。足掻いて、もがいて、散々遠回りしても諦めきれなければ、手に掴めることもある。でも覚悟しとけよ。掴んでも自分が幸福になれるとは限らねえ。寧ろ不幸になるかもしんねえ。他のたくさんを犠牲にしちまうかもしんねえ。それが嫌なら、そんな想いさっさと捨てちまえ。だけどそれでも成し遂げたいことがあるなら、信じろ。ただ信じろ。それが一番の重要だ。
覚えていることがひとつ。
解らないことは幾つも。
曖昧な記憶の海にひとつだけ浮かんでいるのは、「朱鷺子」という名前だ。それが俺の名前でないことは確かで、何故その字面を覚えているかはわからない。
生まれて幾らも経たないうちに故郷から離れてしまった俺――便宜上シュウと名乗ることが多い――を拾ったのは久米修二郎と名乗る男だった。修二郎が名前の一部を俺にくれたのだ。修二郎は当時無免許の船乗りで、クレシダを離れる船を提供した数少ない船乗りだった。乗り込むときに親と逸れたらしい俺はそこで修二郎に拾われたのだ。
船は一旦オベロンに立ち寄り、天王星を目指した。親と逸れた俺を、修二郎はその間ずっと側に置いてくれた。捜していた親は結局見つかることはなかった。
「じゃあ、一緒に行くか?」
頼る人のいない俺を修二郎は短い言葉で掬い上げた。
それから十年以上修二郎と星を巡った。彼の職業を実のところ、俺はよく知らない。貨物輸送の仕事をしているかと思えば陸で山林保護を訴えたり、空間調査を始めたと思えば水星で極限我慢大会を主催した。俺の知る真実は、彼が久米修二郎だということだけだった。
けれど三年前、俺は突然独りになった。ガニメデで、修二郎が船ごと俺を置き去りにして消えたのだ。半日前まで二人で馬鹿をしていたのに、急に。おかげで独りの淋しさに耐えなければならなくなった。
船の扱いは理解していたし、食糧の備蓄もあった。けれど先立つものがなかった。俺の持つ金銭は数えるほどしかなかった。仕方なしに簡単な星間貨物会社に登録して金銭を得る傍ら、修二郎を捜した。貨物輸送の仕事は船を扱う人間が集まる。その中に修二郎や、修二郎を知る者がいないかと思ったのだ。でも、修二郎はいなかった。
星を巡る度に修二郎を想った。俺には彼との思い出だけしかないんだ。それが誇らしくて、嬉しくて、哀しかった。
ある程度の余裕が出来て、考えた。修二郎は何処の出身だったんだろうって。調べたら修二郎に付けられたあの字は地球か月の一部でしか使われていなかった。
初めに月に行った。けれどそこは船乗りすら滅多に寄り付かない不毛の地。地球のゴミで埋もれた衛生は星間管理局の人間と、僅かな住人しかいなかった。だが一応修二郎について尋ねると、初めて有益な情報を得た。
「何だか見たことある顔だねぇ。ああ、トキコといた男に似てるよ」
写真を見せると老婆が修二郎を指差して頷く。
「トキコ?」
「そうさ。こういう字を書いてね。黒髪の、えらく綺麗な女さ」
老女が地面に朱鷺子と字を書いた。あれはトキコと読むらしい。
「非情な女でさ。あたしらと同じ船で来て、気付いたら一人で帰っちまった。おかげであたしらは地球に帰れないままさ」
「修……この男も朱鷺子と地球へ?」
「そいつなら殺されたよ。朱鷺子が月を出る前に。もう十数年も昔の話さね」
「十数年?」
それは修二郎ではありえない。
「なんだったかねぇ。ああ、そうだ。朱鷺子は追われていたんだった。その男が殺された後に似た風貌の男が月に来てさ。朱鷺子が何処に行ったかを訊きに来たよ」
では、それが修二郎なのだろう。
「意気消沈としててさ。朱鷺子の話を聞いてきたときだけは妙に怖い顔してたね。土星に行ったんじゃないかと答えたらすっ飛んで行ったよ」
「その朱鷺子という人はどんな人なんですか」
老婆は大きな溜息を吐いて、顔を顰めた。
「朱鷺子は綺麗な女だったよ。忘れたくても忘れられないくらいな美人さ。腹立たしいほどにねえ。詳しくはあたしも知らないけど、同じ船に乗って月に来たんだ。調査に来た管理局の人たちは、凶悪犯だって騒いでたよ」
「きょ、凶悪犯?」
「そ。なんだかねー、あたしらと会う前にも地球で事件を起こしてるんだとさ」
簡単に老婆は言ったが、俺は急激な不安に襲われる。
どういうことだ。俺が覚えていた朱鷺子の名前はきっと修二郎の船で見たんだと思う。それなら修二郎は朱鷺子という女を追っているというのが自然な流れだろう。だけど俺は修二郎からその名前を一度も聞いたことがない。
「朱鷺子は地球の出身らしいから行ってみれば誰か憶えのあるやつがおるかもしれんよ」
家族が待っているからと、話を打ち切った老婆に俺は謝辞を述べて船に戻った。
地球は修二郎の故郷だ。そして朱鷺子という女もそこの出身だという。だったら俺は地球へ行くしかない。月を離れ、船で地球に行くと、ステーションで呼び止められた。名前を訊ねられて咄嗟に久米修二郎と名乗った。もしかしたら修二郎の親戚や友人がいるかもしれないと思ったからだ。でもそうではなくて、呼び止められたのは別の理由だった。
俺がまだ若かったから、転星生だと思われたらしい。しかし親もいない、学校に通ったこともない俺が入れるはずはないと思っていた。けれど地球の学校には数ヶ月だけ体験学習といって、学費は無料で衣食住の世話もしてくれる制度があるらしい。思えば地球は宇宙の中では廃れていくだけの星だ。星環境改善作業をしているとはいえ、人の住めない星として定着している。少しでも地球の定住者を集めるなら、こういう制度は有効なのだろう。
学校に通うのは本当に初めてだった。学び舎を間近で見るのも、同年代の子と共に行動することも、初めての連続だった。最初に仲良くなったのはミンという女の子だ。大きな目が可愛い、背の小さな子。俺の話をいつでも楽しそうに聞いてくれて、嬉しかった。好意を向けてくれるのも戸惑ったが、心から嬉しく思った。
「シュウ」
ミンが俺をそう呼ぶ声は、心地良かった。
「シュウ……」
けれどリヨンが俺を呼ぶ声は、いつも苦さがあった。見ていれば気付く。リヨンはミンを視線で追っていた。リヨンは多分俺より年上で、でも感情がストレートに出る人物だった。俺は彼を気にっていたけど、どうやらリヨンには嫌われてたみたいだ。でも、彼の話はとても役に立った。
「朱鷺子?」
「そう、朱鷺子。知ってるかな」
「知ってるも何も、地球では有名な犯罪者だよ。水戸朱鷺子、だろう?」
図書館に行けばすぐに調べられると教えてもらった。リヨンは父親がそういう関係にあることもあって、地球で起こった事件に詳しかったみたいだ。だから水戸朱鷺子が犯した三件の事件と、その時に殺害された男の名が久米修一郎だと教えてくれた時はとても感謝した。修二郎はやはりここに居たのだとわかったから。
調べるだけ調べて、やがて体験学習の期間が終わりに近付いた。俺は少しだけ迷っていた。
皆とあまりにも仲良くなりすぎた。特にミンには親しくなりすぎた。妹がいればミンのような子だったかもしれないと思っていた。そんな風に考えていたから、正面から好意をぶつけられて複雑な気持ちを抱いた。
「返事は明日でも、明後日でもいいの。待ってるから」
嬉しかった。誰かに好きだと言って貰ったのは初めてだったから。
哀しかった。別れなければいけないと解っていたのに踏ん切りがつけられなかったから。
「ミンをどうするつもりだ」
ステーションに繋がる橋の上で、リヨンに会った。本当は待っていたのだ。
「もし今日会えたら、連れて行こうかと思う」
「今日! 何処に行くんだ!」
「リヨンには言ったじゃないか。俺は久米修二郎を捜している。だったら彼を捜すために宇宙に行くのさ。ミンにもしも会えたらいいんだけどね」
でもきっとミンには会えない。会えたらそれこそ修二郎が見付かるくらいの確率だ。皆には旅行に行くと言って色々な場所を告げた。
「コーディリアに行くつもりだ。もう一度修二郎を捜す」
今、俺の未来の一端を知っているのは、目の前にいるリヨンだけだ。
「ミンは?」
「会えたらね」
背の低い、目の大きな女の子。無条件に俺を慕ってくれて、自信をくれた大切な女の子。
「会えなかったら……」
リヨンが願っているのはそちらのはずだ。
「幸せにしてあげてよ。ミンが幸せなら嬉しいから」
リヨンは何も言わなかった。彼がミンへ連絡すればすぐに俺の許へ来てくれると思う。でもリヨンはきっとしない。彼の方がミンを想う気持ちが大きいから。
「シュウ。地球に寄ることがあったら、殴らせろ」
「はは、了解」
結果的にやはりミンに会うことはなかった。夜明けまでリヨンとの秘密の場所にいたけれど、リヨンは言わなかったみたいだ。俺がいないとミンが騒ぎ出す前に、俺はステーションへ向かった。
コーディリアへ向かうには少しばかり時間がかかる。修二郎と共にしてきた船に乗り込むのは久々で懐かしかった。機体の隅々をチェックして異常がないことを確認すると、一気に星の海へ舞い込んだ。
地球が宇宙から見えた。海も陸も赤茶色に変色している中に青や緑の部分が少しだけ見える。あそこがきっとコロニーだ。同年代の集団と過ごすなんて、修二郎がいなければなかったことだ。この事だけは修二郎が居ないことに感謝した。
やがて火星、木星、土星と小休憩を取りながら天王星まで辿りついた。途中にまた貨物輸送の仕事をしながらなので、多少もたついたが予想の範囲内だ。輸送の荷物を待ちながら、コーディリアまでどれくらいで着くかを計算していた。ついでに船の表面が汚れていたので綺麗にしていた。この船は俺よりもずっと修二郎といた。よくあるタイプの機体だが、型は古い。でも乗れば乗るほど、修二郎がどれだけ大切にしていたかがわかる。乱暴に見えた修二郎の扱いは実はそうではなかった。とても丁寧に扱われていたのだと自分も手にしてわかる。それなのに俺に残してくれたのは、せめてもの手向けだったのかもしれない。
「シュウ?」
背後から誰かが俺の名を呼んだような気がした。顔を向けると、何度か仕事で会った事のある同僚が立っていた。何だろう。
「何?」
「お前、クレシダの出身とかいったよな。違ったか?」
「合ってるよ。クレシダでなんかあったの? まずいことでもあった?」
俺が修二郎と脱出した後、クレシダは放置されていた。つい二年前に漸く管理局が重い腰を上げて、改善プログラムが執行されたけどまだ人の住める星には戻っていない。
「違うって。そうじゃなくって、俺も最近知ったんだけど、お前を捜してる奴がいるらしいよ」
「俺を?」
「ん。クレシダ出身のシュウって少年を知らないか、てさ。多分シュウだろうと思うんだ」
誰が、俺を捜しているんだ。期待しすぎてはいけないと思うのに、勝手に心臓の音が早くなる。
「だ、誰に聞いたの?」
「親方が先月オベロンに仕事に行ったんだけど、そこのステーションで写真見せられたんだって。親方とは二、三回しか会った事ないだろう。自信がなかったからわからないって答えたらしいんだけど、もしかしてシュウの事かもしれないって思って教えてくれたみたいなんだ」
俺の写真を持っている奴なんて、そう多くない。声を出そうとして喉の奥が緊張で張り付く。
「そ、その人の風体は、聞いた?」
「ん、確か男だって言ってたかな。親方が年下っぽいって言ってたから三十代なんじゃないか? シュウ、なんか心当たりある?」
同僚がどんぐりのような眼を向けてくる。
「……あ、あるよ。ある! すっごくある」
胸の奥が熱くなるのがわかった。目頭が熱くなるのがわかった。全身の力が急激に抜けるのがわかった。
「お、おい?」
へたりこんだ俺に驚いて、同僚が手を貸そうとしてくれた。でも彼は俺の顔を見て、静かに俺から離れてくれた。俺が手を着いた床には、いくつもの雫が落ちる。
本当はもう死んでいるんじゃないかと思っていた。朱鷺子のことを聞いた時に、彼女に殺されたんじゃないかって怖くなった。何処に行ったかもわからない。調べても出てくるのは過去のデータだけで、現在の彼の情報は何も得られなかったんだ。ただ俺が信じたいだけで、もう死んでいるんじゃないかって、心の底では思ってた。
でも、生きてた。俺を捜してくれてる。それなら俺のすることは一つだけだ。
俺は手の甲で顔を拭った。立ち上がるためにこの足はある。目的を達するためにこの手はある。生きているなら未来がある。希望がある。信じられる。
久米修二郎に会える。
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