郷に入って君に従ってその4

 劇場へと向かう最中さなか、揺れが少ないように配慮しながらな故か、ゆっくりと進んでいく馬車の内。その小窓から雨模様の景色を眺めているアイリーンは心中に、小さな不満を抱いていた。


 着替えの時に誓った通り、移動中はマテウスに甘えようとしていたのだが、その彼がこの場にいないからである。


 しかもマテウスの説明に続けて耳を傾けていると、叙任じょにんの儀式の建前上、公的な場で彼女の傍に張り付いて警護する機会は、この先もないと教えられて、不満は更につのっていた。


 その腹いせに、小窓の外、雨合羽で全身を覆いながら騎乗し、少し前方を並走しているマテウスの背中を恨みがましそうに見詰めるのだが、彼は真面目に周囲を警戒するだけで、馬車には必要以上に近づこうともしない。


 それでもアイリーンは、時折りマテウスが振り返る度に、弾んだ笑顔を作り直して小さく手を振ってみるのだが、雨で視界の悪い外からでは確認出来ないのか、彼からのリアクションは帰って来ずに、その度に彼女は気持ちが少し沈んでいく気がした。


(でも、本当にマテウスが隣に座っていた所で、今の私に素直に甘える事が出来たのかな……)


 出発前にフィオナに揶揄からかわれた時と同様、ドレスの感想すらまっすぐ尋ねる事が出来なくなっている今の自分では、難しいのではないだろうか? そんな想いに、静かな雨音が重なって、彼女の気持ちは、より深くへと沈んでいくのだった。


「辛気臭い顔してると、折角の可愛らしい顔も、素敵なドレスも台無しやんね」


 そんな雨模様の天気以上に、ジメジメとした様子のアイリーンを見かねたフィオナが声を掛ける。アイリーンの正面に腰掛けた彼女から、堪え切れなかった小さな笑い声が漏れ出す。


「ヴィヴィちゃんに言われた事、まだ気にしてん? 確かマテウスはんの事、好きじゃないって言われたんやっけ?」


「えぇっ? そんな事ないけど……」


「ふふっ、嘘が下手なん所も、可愛らしいなぁ~」


 フィオナの正面から伸ばした右手と左手が、落ち着かない様子で動いていたアイリーンの左手と右手をそれぞれ捕らえる。手を握られた瞬間、少しくすぐったかったのか、ギュッと身体を強張らせて、声が出てしまうのを耐えるアイリーン。


「安心しとき。確かにヴィヴィちゃんの言うてる事も間違いやないかもしれへん。ただ例えそうやったとしても、ウチからしたら、アイリちゃんは絶対マテウスはんの事、好きやから。もう大好きってのが丸見えで、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいやで?」


「そんなにっ? それはそれで困るよっ」


「アハハハッ、でも騎士とお姫様の恋って、まるで物語みたいやんっ。見てるウチからすると、キュンキュンしてえぇなぁってなるけどなぁ」


「そうだとしても……そんな私の我が儘や失敗で、私はマテウスの事を困らせてばかりで……本当なら私は、マテウスの味方になってあげたいのに」


 再び押し黙ってしまうアイリーンを前にして、繋いだ両手をプラプラと上下に動かしながら、成程なぁと、次にどう声を掛けるべきか考えるフィオナ。まるで幼い妹の恋の悩みを聞いてあげているかのようなシチュエーションに、少し楽しかったりするのは、胸の内に留めておいた。


「せやったらねぇ……例えば、今日のマテウスはんの格好を見て、アイリちゃんはどう思った?」


「えっ? 格好良くて、素敵だなって思ったけど」


「アカン。恋は盲目っちゅう事か……いや、これはウチの質問の仕方がアカンかったんかなぁ?」


 天を仰いでブツブツとうわ言のように反省を零すフィオナに対して、それがどうしたの? と、繋いだ手を揺らしながら話の先を催促するアイリーン。


「確かにアイリちゃんにとっては、格好良かったかもしれへんけど、ウチはあんまり似合ってへんなぁって思ったし、マテウスはんも絶対、あんな格好したくなかったと思うんよ」


「どうして? だってあんなに格好いいのに」


「考えてもみてみ? 普段はちょっと綺麗にした乞食みたいな格好しかせーへんぐらい、見た目の事さーっぱり気にせんマテウスはんが、好き好んで髭を剃ったり、カツラまで用意したり、する思う?」


「そう、ね。必要だと感じない事は、したがらないからね。マテウスって……」


 つまり、今、彼がああした格好をするという事は、必要と感じるなにかがあるという事だ。フィオナが次の言葉を口にする前に、アイリーンは彼女がなにを伝えたかったのかを理解する。


「私の為に、したくもない格好をさせてるって事……か」


 その答えに行き着いたアイリーンは、自分が傍にいるだけで、マテウスの色々な自由を奪っているような気がして、両肩と視線を落としてしまう。


「惜しいなぁ~。それやと半分正解、って感じやね」


 えっ? と、小さく声を上げながら、再び視線をフィオナへと戻すアイリーン。


「確かにアイリちゃんの所為で大変な事も多いって思ってるやろうけど、マテウスはんは、それも踏まえて、楽しんでるんやないかなって、ウチは思うよ?」


「本当に? 本当にそうなら……でも、フィオナにどうしてそれが分かるの?」


「そんなん、直接マテウスはんに、聞いたからやよ」


 その言葉を聞いて、アイリーンはどういう反応を返すべきか、迷った。ホッとするべきなのか、そんな言葉に甘えるべきではないと拒絶すべきなのか、自分が知らないマテウスを知る彼女に嫉妬してしまうべきなのか……そのどれもを選ぶ事の出来なかったアイリーンを前にして、フィオナは話を先へと進めていく。


「アイリちゃんがいなかった時の話やけどな……その日はウチも予定なくて暇やったから、マテウスはんを観察してたんよ。そしたら休日なのに、いつものようにエステルちゃんの訓練や決闘に付き合わされて、ヴィヴィちゃんにロザリア姐さんの事で文句言われてて、それでもずっとウチ等の為に、用具の整理や整備に時間を割いて、自分の事は殆ど出来んかったのに、夕食でも平然としてんねん。ウチ、気になって聞いたんよ。マテウスはん、教官やめたりせーへんよね? って」


 フィオナの話の続きが気になって、食い入るように彼女を見つめるアイリーン。未だに握り合ったままの両手に自然と力がもる。


「そしたらマテウスはん、そんなつもりはないって答えて、どうしてそう思ったのか? って聞いてくるやん? せやからウチ、1日観察してて、大変そうやなぁって思った事を伝えたんやけど、そしたらマテウスはん、笑ってこう答えてん」


『確かに1人の時と比べると面倒事ばかりだが、引き受けた時点でこれぐらいの事は想定内だ。君が気にする必要はない。ただ、1人では考えもつかなかった事も多くてな……そっちはまぁ、戸惑う事も多いし、放り出したくもなるが、見方を変えればこの歳で新鮮な日々を送っていると、言えなくもないだろう? 割と楽しませて貰ってるよ』


 マテウスがそう口にした時の顔がハッキリと映し出されるようで、アイリーンは胸が熱くなる。


「せやからね? アイリちゃんの所為で、似合わんって思うとる格好をする事になったのも確かやけど、アイリちゃんのお陰で、カツラを被るなんて機会が来た事の方を、マテウスはんは、楽しんでると思うよ?」


 相手のドレスを褒める行為も、相手がいなければ出来ない事だ。私が尋ねた時、彼はそれを言わされたと思うのではなく、楽しんでくれるのだろうか? そう胸の内で自問するアイリーン。


「ウチはね? ずっと傍にいて相手に迷惑掛けないなんて、絶対無理やと思う。友達でも、恋人でも、味方になろうとするにしても、ね。それこそ相手にとって、小間使いや奴隷みたいな立場にならんと、難しいんちゃうんかな? ……アイリちゃんは、マテウスはんの小間使いや奴隷になりたいん?」


「違うわっ」


 思いの外、早く、明確な返事が自身の口から零れて、それに驚くアイリーン。小間使いや奴隷という言葉に、褐色の彼女が思い浮かんだからだろうか? それを見ながら、大きく頷きを繰り返し、笑みを浮かべるフィオナが続ける。


「せやろ? せやから、ウチからのアドバイス。アイリちゃんはもっとグイグイ行ってええと思うんよ。それこそ、お姫様と騎士なんやから、我が儘言い放題で、相手を振り回してるぐらいが丁度ええんちゃうんかな? なんせ相手は、あのニブニブなマテウスはんやし……押しまくらんとねっ」


 それは恋バナが好きなフィオナの願望が混じったアドバイスではあったが、それを踏まえても、彼女の励ましがアイリーンには嬉しかったし、悩み、沈んでいた心が軽くなっていくのを感じる。


「ありがとう、フィオナ。私、頑張るねっ」


「うんうんっ。アイリちゃんの事、ウチは応援しとるからね。大丈夫やよっ」


 自身の感情をぶつけるだけの以前の自分ではなく、マテウスの事を考えながら傍に寄り添う……難しいなぁ。でも、それが出来たなら、マテウスも楽しんでくれるかも……そんな前向きな思考が、落ち込んでいる時に声を掛けてくれる友人の存在に気付く余裕をもたらし、アイリーンに小さな笑顔が戻っていくのだった。

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