逃走への経路その4

 ―――約2時間後、理力付与技術エンチャントテクノロジー研究所アンバルシア支部、玄関口付近


「こっちに包帯が足りないぞっ。なにをしているっ」「しっかりしろ。絶対に助けてやるからなっ」「その患者はこっちに上げてくれ。1、2、3で行くぞ。1っ……」


 夕日が差し掛かり始めた空の下、理力付与技術研究所の周囲は、まるで野戦病院のような様相をていしていた。救助の為に走り回る治安局員や、治安局の指示で派遣された医者達の、怒号にも似た声が飛び交い、この事件で被害にあった負傷者達の救助が進められている最中であった。


 研究所は時計塔を始め、全ての棟がその形を失い、瓦礫がれきの山に姿を変えている。その下にはまだ、暁の血盟団の残党や、人質になっていた研究所職員達。そして逃げ遅れた白狼騎士団の女騎士達が生き埋めになって残っているのだ。その全てを確認できるまで、彼等は奮闘する羽目になるだろう。


 そんな慌ただしい場所を、玄関口から険しい表情で眺める男。異端審問局、第1級神威執行官シドニーは、腰に下げた大槌おおづち型装具の頭に手を置きながら、舌打ちをする。


 理力付与技術研究所は教会が大きく関与し、その警護も管轄している場所だ。そんな神のお膝元で行われた、天に唾吐くような蛮行。クレシオン教の敬虔けいけんな信徒であるシドニーにとって、この光景は見るに腹立たしい景色であった。


 もし自身がこの場の警護を直接任せられていたのならば、もし自身がもっと早くこの場に駆けつける事が出来たのならば、このような蛮行を許す前に、神の怒りを代弁してやれたというのに……そう考えれば考える程に、沸々と込み上げる怒りを抑えられないでいた。


「こちらアレックス。シドニー執行官、どうぞ」


 突然、自身の名前を呼ばれて、顔を上げるシドニー。その声は彼が袖口に着けた、カフスボタンから発せられていた。負傷者搬送の邪魔にならないように壁際まで移動して、心をなるべく落ち着かせながらカフスボタンに触れて理力解放する。


「アレックス執行官。こちらシドニー、どうぞ」


「マテウス卿の行方が分かりました。くだんの指定異教団体、暁の血盟団との戦闘で負傷した為に、先に赤鳳騎士団員と共にノリッジ病院に搬送されているそうです、どうぞ」


「了解。では、貴方が先行して彼の身柄を抑えておいてください。彼には聞かなければならない事が山ほどある。私も後で向かいます、どうぞ」


「了解。以上です」


 生存者達の証言から、マテウスが首謀者と思わしき騎士鎧ナイトオブハートと戦闘していたという情報を得て以来、シドニーは彼の動向を探らせていたのだが、ようやくその行方が知れたらしい。


 彼とはマリルボーン孤児院での戦闘以来、もう話をする機会もないと思っていた相手ではあったが、今は一刻も早く顔を合わせて問い詰めたいと思っているのだが、不思議な因縁である。


 だがシドニーには、まだこの場でも得るべき情報は山ほどある。異端者は必ず根絶やしにする……表面上は粛然しゅくぜんと、心の内では異端に対して憎しみの業火を燃え上がらせながら、彼は歩き出した。


 一方で、シドニーの通信相手であるアレックスは、その通信後に活力の感じられない溜め息を落とす。彼もシドニーと同じく、神威執行官。水準より高い信仰心と異端討伐への使命感を内に抱いている1人であったが、流石に今日は意欲的になれずにいた。


 休日に突然呼び出されて、長時間の待機の後に出動、ようやくそのフラストレーションを異端との戦闘で発散出来るかと思えば、既に後の祭り。更に年下のエリート上司の指示で、事後処理の為に奔走ほんそうさせられては、モチベーションも下がろうというものである。


「そこの馬車、止まれっ」


 アレックスは目の前を横切って走る馬車に、声を掛けて静止させる。機嫌がいいとはいえないアレックスの声が、緊迫したものに聞こえたのかもしれない。馬車を止めて御者台から彼を見返す、しょぼくれた雰囲気の中年男は、怯えた愛想笑いを浮かべている。


「へいっ、神父? 様。なんの御用でしょうかね?」


「質問に答えろ。この馬車は何処に向かっているんだ?」


「御覧の通り、負傷者を病院に運んでいる最中でして……」


「どこの病院だ?」


「ノリッジ病院でさぁ」


「そうか……丁度良い。私もその場所に用があってな。同行させて貰うぞ?」


「ちょっ、それは困りますっ」


 中年男は御者から降りて慌ててアレックスに近づいていくが、彼はそれを無視して馬車の後ろへと回り込み、荷台後部を覆うほろを開く。荷台には、まるで遺体のように顔までシーツまで覆われた負傷者が3人横に並べられており、その周りにも医療道具であろうか? 木箱が所狭しと敷き詰められていて、とてもアレックスが座れるような状態ではなかった。


「これは……座れそうにないな」


「だから言ったじゃないですか。すいませんが、急いでるんでアタシはもう行っていいですか?」


「そうだな。では、御者台に座らせて貰おう。お前が少し横に移れば、私が座る場所ぐらいあるだろう」


「えっ……そりゃあ、まぁそうですけど……」


「なんだ? なにか不満があるのか?」


「いやぁ、あんまりお勧めはしませんが……いえっ、そのっ、わっ、分かりやした。どうぞ、乗ってくだせぇ」


 アレックスの高圧的な態度に、否定の言葉を口に仕掛けていた御者の男は、すぐに手の平を返して平身低頭しながら、御者台へと案内する。教会の機嫌を損ねれば、この世で最も残酷な死を体験する事になる。国の役人よりも性質たちが悪い。それが一般的な人達の感覚であった。


 御者台の奥にアレックスが大きくスペースを取りながら座り、御者の男がその横に身体を小さくしながら腰掛けて、馬車が再び進み始める。なんとも手綱が扱い辛そうだったが、当然それに対しての文句が、御者の男から漏れる事はなかった。


 馬の蹄の音と、重そうな荷台のが揺れる音だけが奏でられて、刻々と夕日が沈んでいく。そんな中で先に口を開いたのは、アレックスの方だった。


「どうしてこんな道を使う? 大通りを通って行けばいいではないか」


 彼が疑問を口にしたのは、馬車がアレックスが知るノリッジ病院に向かう筈の通路から外れ、人通りの少ない裏路地へと入っていったからだ。


「へいっ。この時間帯、あそこの通りは込み合うんですよ。こっちから回り込んだ方が早いんでさぁ」


「そうか……んっ? なんだこれは?」


 御者の男の淀みのない返答に、そんなものかと座り直そうとした時、ズルリとなにかによってアレックスの尻が滑る。路地裏に入って更に薄暗くなった為に、一瞬それがなにか分からなかったアレックスであったが、手を使って拭い取り、それを顔を近づける事でようやくそれがなにかを理解した。


「これは……血?」


「あぁ~……だから、お勧めしないって言ったじゃないですか。怪我人を運ぶ時に、ちょっとやらかしちゃいましてね? 制服汚しちゃいまして、えろうすんません」


「ったく……そういう事は先に……」


 そこまで口に仕掛けて、アレックスは違和感を覚える。怪我人を運ぶ時の血痕が、どうして御者台に残るのかと……御者の男の服を改めて見るが、彼の全身は綺麗なものだった。とても彼の身体から添付てんぷしたようには思えなかったのだ。


 そうして改めて考え始めると、他にもこの馬車には違和感がある事に気付く。まるで遺体のように全身をシーツで覆われた負傷者……あんな寝かせ方、見た事も聞いた事もない。それに、御者の男の言葉が本当なら、負傷者は出血したまま馬車へと担ぎ込まれたそうだが、なぜ止血してから移動させなかった? 


 そして、荷台に所狭しと敷き詰められた木箱達。最初は医療道具だろうと適当に流していたアレックスであったが、医療道具がノリッジ病院に向かう馬車の荷台に残されたままの筈がないではないか。何故なら、今も現場では包帯すら不足している状態なのだから。


 では、あの木箱には一体なにが入っている? そう考えたアレックスだったが、負傷者の搬送以上に優先させる物など、早々には思いつかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る