それはやむを得ずにその4

 ―――同時刻。王都アンバルシア中央区、王宮内


「……もう、義兄さんったら……」


 マテウスとの通信を切った後、個室に佇むゼノヴィアは独り言を漏らす。どうにも彼の前だと、子供っぽくなってしまう自分を抑えられない……ゼノヴィアはそう自分を分析しながら、かぶりを振るう。マテウスがなんの理由もなく、アイリーンを放り投げてロザリアと2人きりになって、良からぬ事をするような人ではない事ぐらい、彼女自身がよく知っている。だが、それでも……


(あんなにイチャイチャしなくたっていいじゃなありませんかっ! もうっ!)


 胸中でありったけ叫んで、自らの頬をポンポンと叩く。そうして心の内をリセットさせて、冷静さを取り戻した頭で次になにをすべきかを整理し始める。時間はない。これからの自分の動き方次第で、マテウスとアイリーン。大切な2人の命を失ってしまうかもしれないのだから。


 まずは今、会談中のゾフ伯爵の使いには、日を改めてまた話をするという事で、お引き取りを願って……そうして考えている最中に、突然背後で扉が開かれる音がして、ゼノヴィアは慌てて振り返る。


 そこには壮年の男が立っていた。肥え太った体。綺麗に中央で分けられた髪は、少し後退していて広がった額が目立つ。頬の張り出した顔はお世辞にも、色男とは呼べない。鼻の下の丁寧に刈り揃えられたチョビ髭が、髪型同様に神経質さを伺わせた。


 彼の名前はヘルムート・オーウェン公爵。ゼノヴィアの母方の叔父で、メルトレイ領と実質ウィンタム領までもその勢力に収める、今やリンデルマン侯爵に並ぶ大貴族だ。


「ノックぐらいなさってください」


「これはしたり。しかし元を返せば、会談中に突然席を外して、いつまでも帰って来ないお前が悪いのだぞ。なにをしていた?」


 女王陛下であるゼノヴィアの言葉を意にかいさず、ズンズンとゼノヴィアへと歩み寄って彼女に詰め寄るようにして見下ろす、ヘルムート。圧力のある彼の視線に、負けじとゼノヴィアも気丈に返す。


「緊急の連絡がありました。会談は中断です。続きは明日にしましょう」


「なにを言うか。翌月に迫っている理力付与技術エンチャントテクノロジー交流会よりも大切な案件などあるものかっ」


「現在、理力付与技術研究所が襲撃されているとしてもですか?」


「……信じられんな。確かな情報か?」


「信用できる筋の情報です。その者が今も更なる情報を得る為に、内部で動いています」


「うぅぅむっ……」


 もたらされた情報が信じられないのか、言いくるめられた事実が気に入らないのか、唸り声を上げて押し黙ってしまうヘルムート。ここで彼に付き合う時間すら惜しいゼノヴィアは、その横を抜けようとするが、丁度通り過ぎようとした間際に、肩を掴まれて無理矢理引き止められる。


 その行為にゼノヴィアは過剰ともいえる反応を見せた。火の粉を振り払うかのような素早さで、その手を打ち払うと、振り返りながらヘルムートとの距離を1歩広げる。


「触らないでくださいっ」


「ふふふっ……どうした? 仮にも叔父に向かってその態度はなんだ? 私達の仲ではないか」


「……貴方、どの口でそのような……」


 歯を剥きながら嫌悪という感情の全てをぶつけるように、鋭く相手を睨みつけるゼノヴィア。だが、その反応こそがヘルムートを喜ばせるのか、彼は心地よさそうな微笑すら浮かべながら、臆病な子猫をなだめるように、甘い声で返した。それがますますにゼノヴィアの感情を逆撫でる。


「2度と私に触れないでください、オーウェン公。次はありません」


「これはこれは……女王陛下の御命令とあらば是非もない。だが、フィリップも今年で11歳になる。その女王気取りも後5年の猶予もない。そうなったら……分かっていような?」


 アーネスト王の残したたった1人の男児。正当な血筋の忘れ形見。産まれてすぐ、母という言葉を覚える前に、安全な地で王として正しい教育を成す為という建て前の下に、メルトレイ領に連れ去られた実の息子。


 そんな母としてなにも出来ないままに離別する事になった息子の名前を出されて、ゼノヴィアの内に更なる憎悪が宿る。


 ゼノヴィアは自身が取ったこの選択を、酷く後悔していた。だが、当時に戻ったとしても、やはり同じ選択を取るしか彼女には残されていなかっただろう。アーネスト王が亡くなったのを機に支配を強めたい議会や、女児しか宿せなかったが正当な血筋として玉座を狙っていた前王妃にとって、目の上の瘤のような存在であるフィリップを護る為には、彼が玉座に着けるようにする為には、ヘルムートのような後ろ盾を作って頼るしかなかったのだ。


 時期王の後見人。そんな男を前にすれば、多少の先見の明がある者ならば、自然と取り入ろうとするだろう。そして彼はその立場を十分に利用し、血統も財力も並みの領主であった当時から、現在のような大貴族にまで成長したのだ。


 力と財力、そしてゼノヴィアが口にしたくもない理由とを総合すれば、フィリップの命を預ける事ただ一点に置いて、ヘルムートは信頼のおける男だった。


「心得ています。私はフィリップが戴冠たいかんするまでの代理。しかし、代理であるからこそ、彼が座るべき玉座をおとしめるような真似は出来ません。控えなさい、オーウェン公。貴方の前に立っているのは誰なのか、もう1度よく考えなさい」


「ふんっ、まぁよい。ところで1つ質問があるのだが……内部で動いている者がいると言ったが、まさか下賤げせんなあの男の事ではなかろうな?」


「さて、下賤な男? 誰の事を仰っているのか分かりかねますが」


「とぼけるでない。あの男、マテウスの事だ」


「マテウス卿は立派な王家の騎士。下賤な者ではありません」


「どんなに着飾ろうと、所詮は馬丁ばてい生まれの下民にすぎん。そもそも、アーネスト王の命に背き、先代ゴードン・アマーリア侯を手に掛けた罪が消えたとでも?」


「貴方に領を奪われて、家名を1度失って、既に十分な贖罪しょくざいは済ませています。赤鳳へ白狼から援助の話があったと聞いて、少しは心変わりをしたのかと思っていましたが……この件に関しては、どんなに意見を交わそうとも、平行線でしょう。これ以上の意見は不要です」


「ふんっ。あれは白狼騎士団の物好きが勝手に始めた事だ。奴に渡した資金をどう使おうと口出しはせん。騎士団査定では大いに活躍してくれたからな……寛大かんだいな私からの褒美だ。奴への遺恨を越えて、人材の選出までしてやった私に随分な態度を取るな?」


 ここでヘルムートがいう人材とは勿論、ロザリア達と酒を酌み交わした後に、スパイクとマックスに捕らわれて殺されたドリスの事だ。騎士団査定から数週間経つにも関わらず、未だにこの男と白狼騎士団が、この地に滞在する理由の出来事ではあるが、ゼノヴィアはそんな事情までは詳しく知らない。


 そして今、そんな事を詮索する程の時間はなかった。話が逸れてしまったのもいい機会だし、これ以上無駄にヘルムートと顔を合わせていたくはない。ゼノヴィアはそう判断して、つかつかと足早に退室しようとする。


「待て、まだ話は終わってないぞっ」


「オースティンッ!」


 そんなゼノヴィアの背後から近づいて、再び肩に手を伸ばそうとするが、ゼノヴィアにその名を呼ばれると同時に突然姿を現した男が、ヘルムートの腕を掴んで遮る。オースティン・リネカー。玉座に座る者を守護する最強の武力を前にして、腕を掴まれただけで両膝を床に着いて崩れ落ちる。


「ああっ! ぐぅっ……」


「オースティン、殺してはなりません。彼には生きていてもらわないと困ります」


御意ぎょいに」


 立ち止まり、振り返りながらオースティンに向けてそう命じるゼノヴィア。彼は言葉では素直に、態度では不承不承といった様子でその命令に従って、腕を離す。腕を離してなお、残った痛みに立ち上がる事の出来ないヘルムートに対して耳元で一言、これ以上つまらん仕事をさせるな、と告げて、再び姿を消した。


「もう1度繰り返します、オーウェン公。2度と、私に、触れないでください。それでは急ぎますので、この場は失礼します」


 殊更ことさら強く、一際冷たく、そう言い捨てると、ヘルムートの返事も待たずにその場から離れるゼノヴィア。肩に残るヘルムートの感触……彼女にとって、虫が這いずり回ったかのようなそれから逃げるように、足早に歩き去るゼノヴィアの背中を、ヘルムートは刺すような視線で睨み続けていた。

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