失われた軌跡その3

「言っただろう? 世の中が物騒になればの話だと。ドレクアンと休戦中とはいえ、戦後10年だぞ? まだ色々と傷跡を残してはいるが、どうにか復興してひと時の平和を取り戻したんだ。以前のようにポロポロと戦争で命が奪われていた頃なら、君のような考えは甘いと指摘する奴もいただろうが……そういう時代じゃないのさ。命の価値が違ってきてるんだよ」


「その割にオジサンは迷いがないよね。騎士鎧ナイトオブハートの男の時も、後ろから問答無用だったし」


「あれは、無駄に戦闘を長引かせたくなかったからな。それにれる隙がある時に殺っておかないと、後が怖い。俺が言いたいのは、こんな俺みたいな考え方は、時代に取り残されてるっていう事だ。君みたいに人の命を奪う事に疑問を持てる若い奴が出て来る時代になったのなら……それは、この国が随分マシな方向に進んでいる証拠だと思うんだよ。だからこの国の為にも、君は俺みたいにはならない方がいい。もし同じ足跡を辿るしかないというならば、それはこの国が戦争を続けていたあの時代から、抜け出せていないって事だからな」


 法が改められて騎士と騎士が命を掛け合う決闘裁判が珍しくなっていったように、インフラの整備がなされて異形アウターに襲われて命を失う者が少なくなったように、時代に応じて命の価値は移り変わっていく。それは、女王ゼノヴィアの国民を想う統治が反映されている証明でもあった。


 戦いの中でしか自らを示せない男が価値を失い、時代に取り残される事になろうとも、それを守ってやりたい。そういう想いもあっての、マテウスの言葉だった。


「……騎士として半人前の私に国の為にっていわれてもピンと来ないけど、オジサンの足跡を辿るってのは確かにゴメンだね。沢山の人を殺して、沢山の恨みを買って……大切な人の傍で胸を張っていられなくなるのは嫌だし」


 マテウスはヴィヴィアナの言葉に、声を出さずに頷いて応じた。彼女の言葉に自らがゼノヴィアから逃げるような事をした理由を、言い当てられたような気がしたからだ。ヴィヴィアナの、迷いながらも自身に胸を張って生きている姿に、そうなれていればゼノヴィアを悲しませるような事はなかったかもしれないと、ありもしない可能性に少しだけ想いをせる。


「でも、このままって訳にもいかないよ。騎士団査定の時だって、私の弓があんなだったからレスリーに怪我をさせたし。もしかしたら、これから先は怪我だけじゃすまない事だって起こるかも……そうなったら私」


「それについてだが、少しだけ心当たりがある。と言っても、君に対して本当に効果があるかどうか定かではないし、効果があったとしてもたちまち元通りにとまではいかないだろうが」


「……なにそれ? 全然期待出来ないんだけど」


 ヴィヴィアナのジト目がマテウスをとらえる。マテウスはそれに対して肩を小さく竦めて応えた。ヴィヴィアナは彼の表情が至って真剣である事に気付くと、迷いながら視線を弓に落とし、弦をなぞりながら口を開く。


「分かったよ。私1人でどうにかなるものでもなさそうだし、今よりも少しでもマシになれるんならね。藁にもすがるって奴かな」


「君にとって、藁よりマシだと良いんだが」


「……オジサンなんかに相談しない方が良かったかな。とりあえず、ここを片付けるから手伝ってよ」


 訓練所での片付けを済ませて、馬を繋いで置いていくと、2人はその場を後にする。ヴィヴィアナがどこに向かうつもりなのかと口に出そうとした時、先んじてマテウスの方から話しかけた。


「最初に渡したい物があると言ったが……」


「あぁ、そういえばそんな事言ってたね。私になにをくれるっていうの?」


「本だよ。俺の……友人が、今の君の事を話したら、相応しい本を探してくれたんだ。その本自体は友人に借りただけだから、返さないといけないんだがな」


「本……本か。本は余り読まないんだよね、私。目が悪くなりそうだし」


 ヴィヴィアナが眉間に皺を寄せながら返答する。正直にありがた迷惑といった表情だ。まぁそうだろうな、とマテウスも声に出して返した。エウレシア王国では、文化として余り読書が浸透していない。そもそもの識字率が50%程度だ。


 印刷技術や写真技術は整ってはいるが、理力を応用して形を成したものなので、発行部数は限られているし、内容も上流階級をターゲットにした物が多く、庶民が慣れ親しむような環境が整っていなかった。


「だがそうだとしても、ロザリアの授業を受けているのなら、字が読めない訳ではないんだろう? 俺の友人のお勧めにはセンスがあるというか……いい物が多い。俺も本が特別好きではないんだが、彼女の選ぶ本だけは楽しめたからな。時間がある時になら読む価値はある」


「ふーん。まぁそうまで言うなら、目を通してもいいけど……それよりも、アンタに友人なんていたんだね。しかも女の」


「ありがたい事にな」


「本当に友人? 恋人とかじゃなく?」


「……なんでそんな事を聞くんだ?」


「分かるでしょ? レスリーの事だよ」


 ヴィヴィアナの言葉に、今度はマテウスが眉間に皺を寄せた。あぁ、先程のヴィヴィアナもこんな気分だったのかと思うと、内心で納得した。


「騎士団査定の時もそんな事を言っていたが、俺とレスリーはそういう関係じゃないぞ? 時々レスリーが口にしているのも、彼女の妄言だ」


「そうやって鈍感なフリをして、レスリーの気持ちを弄ぶなんて……これだから男って」


「男への言い掛かりが酷いな。それに、レスリーのアレは君が思うような綺麗なモノじゃないと、俺は思っているんだが」


「だったらなんだって言うの?」


「あれは……そうだな。今、言葉で言い表すのは……少し難しいな」


 ヴィヴィアナはマテウスが話を誤魔化そうとしているのだと思ったが、マテウスの表情が想像以上に険しくてそれ以上の追及を止めた。彼は彼なりに真剣に考えての答えだと分かったからだ。それに彼女の根幹こんかんに、男は信用ならないというのがあったので、レスリーとマテウスが近づかないのなら、それの方がいいという結論に達したのだった。


「まぁ、その話はまた機会があればという事にして……今は、君の件の方が重要だろう」


「そういう事にしといてあげる。それで? オジサンのいう心当たりってのが、その本の事なの?」


「それも1つではあるが、それとは別にもう1つ。君があの夜に人を殺した場所へ、思い出せる限り行きたいんだが……分かるか?」


「えぇ? なんでそんな……」


 マテウスの提案に、当然ヴィヴィアナはいい顔をしなかった。誰が好き好んであの嫌悪感を思い出すような場所へと行くのだろうか? しかし、そうして逃げるような行為の方が好きになれず、1つ大きく頷いてからマテウスを先導するように歩き始める。


 2人が向かった先は武器庫だった。その入り口を見張っていた男を、物陰から心臓へと一矢……今も忘れない、最初の殺しだ。ヴィヴィアナはここだよ、と足を止めてマテウスを振り返る。


「君は信仰が厚い方か?」


「信仰って……クレシオン教の? 子供の時に少しだけだから、そんな事もないけど……それがどうしたの?」


「なら、簡単なモノでいいか。俺はこれしか知らないからな」


 の者の魂に安らぎを与えたまえ。そして、理力の光の救済を。瞳を閉じてそう静かに呟いてクレシオン十字を切るマテウスを、ヴィヴィアナは呆気に取られたように見守っていた。祈りが終わるとマテウスは彼女へと顔を向ける。


「どうした? 君も一緒にやるといい」


「え? どうしたって……まさか、これがオジサンのいう心当たり?」


「そうだ。死者に祈りを。基本だろ? 戦争中にも君みたいな奴がいなかった訳じゃない。彼等を参考にしてみた。まぁ、異教徒にクレシオン教の祈りはどうかとは思うが……そこはそれ。俺はこれしか知らないからな」


「祈りの内容よりもさ、奴等を殺した本人が祈ったって浮かばれないだろうし、そもそもアイリを誘拐して、エステルや私を殺しかけた奴等だよ? どうしてそんな奴等の為に祈りなんて……」


「その理屈が通るなら、君がそうやって思い悩む理由もないだろう?」


「それは……そうなんだけど」


「こういうのは理屈じゃなくてな……皆が抱える悩みで、皆その解消に祈るんだ。死者への祈りってのは、死者の為でもなんでもない。言ってしまえば、祈る側の都合だよ」


 そう口にしながら空を見上げるマテウスの視線をヴィヴィアナも目で追う。そこに魂でも浮かんでいるかのように。


「どんな殺され方をしようとも、死後にどんな扱いを受けようとも、死者は迷ったり、呪ったり、恨んだり出来ない。死人に口なし。これだけは教会の奴らよりも俺の方が詳しい確かな事実だ。それなのに世界中で死者へ祈りを捧げ、慰霊碑を立て、墓標を用意する……皆、許されたいんだよ」


「なにから?」


「なにに対してだろうな? 死者に対してか、全知全能の神に対してか、自分自身に対してか……とにかく、罪悪感を抱えたまま生きていける人間なんて、なかなかいない。だから祈って許しをう。それは、弱いからという訳ではない。皆がやっている、普通の行為だ」


(……皆、一緒か……)


 そこまで聞いてもヴィヴィアナは半信半疑だった。疑わしい詐欺師を見るような目でマテウスを見上げている。ただ、皆やっている普通の行為だと聞いて、少しだけ安心を覚えたのは確かな事実で……マテウスがもう1度、瞳を閉じて両手で握り拳を作って祈りを捧げる姿をすると、ヴィヴィアナもそれに従って、クレシオン十字を切って祈りの言葉を捧げた。


 の者の魂に安らぎを与えたまえ。そして、理力の光による救済があらん事を。祈りの言葉に反応して、マテウスがまぶたを上げる。ヴィヴィアナはマテウスを見上げて勝ち誇ったような顔をしている。


「偉そうにいうなら、簡単な祈りの言葉ぐらいしっかり覚えときなよ」


「神のお怒りを買いそうだな」


「次に間違えなければ、大丈夫じゃない?」


 歩きながら、顔だけをマテウスへと振り返ってヴィヴィアナはそう告げた。彼女の顔を見る限り、マテウスは最後まで付き合う事が確定事項らしい。元よりそのつもりだったマテウスは、すぐにその後ろ背を追いかける。


「あのさ、これが終わったらさ……包帯の巻き方、教えてくれない?」


「少し用事があるから、それを済ませてからなら大丈夫だ。しかし、一体どうして?」


「察しが悪いね、本当。レスリーの包帯を私が変えてあげたいんだよ。前にも言ったけど、レスリーはきっとオジサンに傷口を見られたくないだろうしさ」


 ヴィヴィアナが口にする前というのは、騎士団査定の時の事か……と、マテウスは記憶を辿った。


「そうは言うが、もう既に俺が2度の確認をしているし、傷の経過の確認と抜糸の際にはどうせ俺が見る訳なんだから、今更じゃないか?」


「やっぱり分かってないよね、オジサンって。こういうのもね……理屈じゃないんだよ」


 マテウスを一瞥いちべつするヴィヴィアナの長髪が、なびいて赤く輝く。陽光の光に照らされた横顔は、瞳を少しだけ細めた自然な笑顔を浮かべているようだった。

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