第16話

 親友の友恵に会ってなかったここ数日で起きたことが多すぎた。テーブルに着くと話したいことが多すぎて、パピ子の口は一つでは足りそうもない。もちろん友恵も、パピ子と会わない数日間、草原で太陽を見て過ごしていた訳じゃない。彼女にだって親友に話したいことは山ほどあった。だから二人の話は脱線を繰り返し、まるで要領を得ない。「それでね、それでね」

 どちらが言ったのかわからないくらいに、話題から話題へと継ぎ接ぎだらけの橋を掛けて彼女たちは行き来をする。「それでね、それでね」

 パピ子は唐揚げ定食、友恵はビーフシチューを頼んでいた。飲み物はそれぞれ、健康を考えてウーロン茶である。

「え? じゃ野村君と別れちゃったの?」

「うん」

 そういう訳で、健太との別れを初めに知った他人が友恵となった。向こうも向こうで、好きだった大学の同級生に振られたという話をした後だった。

「好きじゃなかったの?」

 逮捕されてしまったという事情は既に話している。

「うん。けど、何だか、あの光景見たら冷めちゃって」

 目の前で刑事二人に挟まれて、そのまま連れていかれた光景がパピ子の目に甦る。狭い階段の壁に、パピ子がぴったり背中をつけて彼らが通るスペースを空けた。そして刑事二人に逃げられないようにと監視されながら、階段を降りて行った健太の寂しい背中と、あの日の蝉の鳴き声。

「そっか。けどそうだよね」

「力になれなくて、何だか罪悪感みたいなのは正直、あるんだよね」

 友恵になら少し内面的だな、ということでも話せた。そういう仲だった。

「うちもさ――」と、そこで友恵はさらに新しい話題のカードを切る。

「え? なに?」

「そのさっき話した人なんだけど――」

「大迫(おおさこ)君だっけ?」

「うん」

 友恵を振ったという同級生のことだった。「彼、ひき逃げ事件起こしちゃったんだよね、あの後」

「え? あの後って告白した後ってこと?」

「そう。あたしが呼び出して、それで振られて、家まで送ってくれた後なんだけど。詳細まではまだ良く知らないんだけど、塾帰りの小学生を轢いちゃったんだって」

 パピ子は絶句する。そして思う。これでは姉が家出した話も出来やしないし、自分が大学を辞めてきたことも言えない。

「あたしがあの日、映画観たいなんて言わなければ良かったのかなって。そうすれば彼はその事故を起こした道を通らなかったわけだし」

 自責の念からなのだろう。神妙な面持ちで友恵はパピ子に想いを打ち明けていく。高校のときは黒かった髪を茶色く染めているのは、その彼に好かれようとした結果だった。それまで恋らしい恋なんてしたことがなく、漫画ばかり読んでいるこの親友が初めて好きな人が出来たんだ、とパピ子に打ち明けてから半年が経つ。丁度半年前に好きなったとは考えにくい。パピ子に打ち明けるまでに数ヶ月、もしかしたら一年以上の月日があっただろう。

 化粧もそれまでとは見違えるほど上達した。メガネも辞めて、眼科に行ってコンタクトを作った。着ている服も垢抜け、少し痩せた。そうしてついこの間、満を持して告白をして玉砕した。結果は敗北だが、彼女にとっては大きな一歩になるはずだった。だがそれにおまけしてついてきた、後味の悪い後日談。

「友恵のせいじゃないとは思う」

 パピ子は言う。その通りだった。友恵のせいでは決してない。轢いたのはその大迫という男であり、轢いて逃げたのもまたその臆病な男のせいなのだ。それを友恵が抱え込むことは決してないのだ。

 だが友恵が右手に持っているスプーンは進まない。じっとビーフシチューの中に埋まったままだった。もちろんお互いの冷たいウーロン茶も進まない。ストローを支えている氷が溶けてて不細工な正方形となり、傾くと、グラスの淵をなぞるように、そのプラスチックの管が揺れる。

「だって逃げたっていうのは、その大迫君の判断でしょ? もちろん轢いてしまったのだって彼の注意力の問題だし」

「うん。それはわかってるんだけどね」

 健太への罪悪感は一旦棚上げだった。

 どうして自分の周りでこんなことばかり起こるのか全くわからないが、落ち込む親友を前にして、自分の不幸をベラベラと語る訳にはいかない。

閑散とした店内にいた貴重な客のうち一組が帰り支度を始めている。スーツを着たサラリーマンと彼女らしき女性の二人組だった。

「これであたしたち終わりなの?」

 女の台詞が聞こえる。

 男は何も答えない。

 どうしてこんな奴らばっかりなんだろう、世の中。

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