第50話/表 地獄。
事故を起こした後で、僕が無気力になった理由。
それは、久野が死んだからだ。
互いにタイプは違ったけれど、どういうわけだか馬があった僕たちは、昔から一緒に行動していた。
例えば、公園には二人で行った。
久野はサッカーをしたし、僕は木に登って本を読んでいてと、全く違う行動をしていたけれど、帰るときには何を言うこともなく一緒に帰った。
やがて久野も本を読むようになり、僕はボールを蹴るようになった。
合わせようとしたわけではなく、ただ何となく、僕らは似ていった。
その最たるものが、映画だ。
どちらがどちらを誘ったのだったか、最早覚えていないけれど。
おとなのおとこのひとが良く行くようなネオンの輝きと煙草の臭いに飾られた店が立ち並ぶエリア。そこにあった古い映画館に、二人して向かったのだ。
回りには際どい服装の女の人や、鋭い眼差しで辺りを睨む少し怖い大人や、笑顔で「子供だけで来ると危ないよぅ?」と忠告してくれたとても怖いおじさんばかり居るような映画館で、久野はポップコーン、僕はコーラを買って分けあった。
初めての映画は、エクソシストだった。
本物のお化けが映っていると聞いていた僕たちは、それを見付けようと誓い合っていたのだが――無理だった。
子役の少女の笑顔に恐怖した。
立ち向かう老神父の頑なな態度にも、恐怖した。
映り込んだという本物を探すことなど、頭から吹き飛んでいた。実際には居ない、造られた幻、虚構の悪魔憑きの方が、何倍も何倍も恐ろしかったのだ。
僕らは子供ではあったが無邪気さとは縁遠かった。小賢しい感性で世の中には嘘が溢れていると嘆いてみせるような厭な子供だった。
だから、映画とはあくまでも演技であり作り物であり、見てくれを取り繕った張りぼてに過ぎないと理解していた。
そんな賢しさは、一息に吹き飛ばされた。
いや、『これは演技である』という前提があってこそ、その恐怖は本物に近付いたのか。
役者にはそれぞれ人生が、詰まりは日常がある。
トム・クルーズだって爆発しない飛行機に乗るだろうし、ジョデル・フェルナンドは悪魔の娘では無い筈だ。ジョニー・デップも海賊ではない――但しジム・キャリーについては例外とする。あいつはマスクだ。
まあとにかく、彼らは生活の一幕として、日常の何万分の一かをそうした演技に充てているにすぎない訳だ。
にもかかわらず、僕らは恐怖した。
彼らがこのあと家に帰り、笑いながら子供を抱き締め妻にキスをする、そんな光景が思い浮かばなかったからだ。
日常を持つ彼らが作り出す、偽物の恐怖。それは、本物よりも遥かに安っぽく、ご都合主義で、僕らを惹き付けた。
それ以来僕らは、同じ映画を楽しみ同じ映画を酷評した。同じシーンに感動し、違う俳優に憧れたのだ。
僕らは似ていた。
似ていることが、共に居ることが、不快ではなかったのだ。
久野の短所は、僕の長所で補った。
僕の短所は、久野の長所で補った。
相手を支え合えると、助け合えると、僕はそう信じていた。
あの時までは。
事故で、久野が死ぬまでは。
病院のベッドで久野の死を聞かされたとき、勿論僕は辛かった。
苦しかったし、痛かったし、悲しかった。もうあいつに会えないのかと思うと、胸が張り裂ける思いだった。
怒ったし、怒鳴り喚いて詰った。何を勝手に一人で死んでいるんだと、理不尽な怒りを関係無い医者たちにぶつけていた。
あの時の気持ちを言葉にすれば、あらゆる負の感情をノート一冊隙間なくびっしりと書き連ねる事になるだろう。そこまでしても足りなくて、二冊三冊と、哀れなノートは消費されていくのだ。
自分が不幸のどん底に居ると、僕は思っていた。
それが甘かったと解ったのは、警察に呼ばれた時だった。
彼方ちゃんとの短い
両者は同じくらいの期待をもって僕を待っていたようだった。そして当然のように、後ろ楯のある警察が最初の機会を勝ち取った。
連れられた取調室の雰囲気を、僕はけして忘れない。あのテレビで見たことのある空間、そこに漂う独特の気配。
僕を担当したのは、二人の刑事。僕に向かい合って座った若い男と、立ったままの中年。
壁を覆うマジックミラーの向こうにはもう何人か居たかもしれないが、少なくとも僕の前に居たのは二人だ。
二人とも、気遣うような表情を浮かべていた。そして勿論、それが偽りだろうと僕は予期していた。
未成年者とはいえ、事故で相手を死なせたのだ。生き残ったのが僕だけである以上、責任を問われるのは僕だ。
死刑になるだろうか、と期待した。
久野を先に行かせておいて、待ちぼうけを食わせたくはない。
ならなくとも問題はない。相手の御遺族はさぞかし僕を殺したがっているだろう、誰の目にも触れない所に出掛けていって、
僕は、殺されたかった。
自殺よりも酷い逃げだ、終わらせる責任を、誰かに求めるなんて。
けど、生きていたくはなかったのだ。
『話を聞かせてくれ、良いかな?』
構わない。死ぬ前に苦しめというのだろう。悲劇を、人生最悪の記憶を幾度となく思い返して口にしろというのなら、構わないとも。
それが償いになるのなら、一向に構わないとも。
僕は片割れを失なったのだ、これ以上の不幸なんか有り得ない。
しかし。
頷いた僕を、刑事はホッとした顔で地獄に突き落とした。『そうか、良かった。おっと、その前に』
『この度は災難だったね』
『…………え?』
何を、言っているんだ?
呆然とする僕に、刑事は微笑みながら語り掛けてくる。
『資料は見たよ、津雲日向くん。お友達の運転のせいで、酷い目に遭ったね』
何を言っている。
この人は、こいつは、いったい何を言っているんだ?
混乱のままに、鏡の前に立つもう一人に目を向ける。
そして、凍り付く。
彼もまた、僕を気の毒そうに見ていた。
『かなりその、破天荒な友達だったようだね。同級生の話を聞く限り、いつも引っ張り回されていたそうだね』
『今回のことも、彼の方が誘ったんだろう? 彼の携帯、あぁいや、今はスマホというのか。そこに残っていたよ』
『免許をとって一週間で夜の道を二人乗り。無茶をしたものだよ』
『若者は無茶をするものだ。全く……』
これは、何だ。
彼らは演技をして居るのか? 親切な刑事の振りをして、何かを聞き出そうとしているのか? でなければ、何故だ?
何故僕を、被害者を見るみたいな目で見てるんだ?
『ち、違う!』
堪らず叫んだ僕を、二人は驚いたように見た。
『僕は、いや、確かに誘ったのは久野だけど、けど僕だって反対しなかった! 止めさせもしなかった!』
『…………』
嗚呼、違うだろう。
そんな、優しい目付きは止めてくれ。そんな
『立派な考えだ、偉いよ君は』
『話に聞いていた通りだな、模範的な生徒だ』
違う!
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
『相手の方も、残念だったが。後部に乗っていただけの君は悪くないと言ってくださっているよ』
悪くない?
悪くないわけあるか!
人が、死んだんだぞ。
悲鳴が喉を突き破ろうとした瞬間。
刑事の手が、僕の肩を優しく押さえた。
そして、言った。
『君だけでも生きていて良かった。お友達は人を死なせたが、君を助けることでせめてもの償いをしたね』
『良かったよ』
そうか。
久野は、償ったのか。責任を果たしたのか。
では、僕は?
僕の責任は、償いはどうなるんだ?
『君は、悪くない』
そう言って刑事たちは、
「……マスコミも、悲劇からの奇跡の生還者として僕を扱ったよ。久野、君は一人を死なせた男ではなく、友人を救った英雄になった。僕は、英雄に助け出されたお姫様というわけさ」
そこは、地獄だった。誰も僕を責めないという、地獄。
既に死んだ久野の代わりに僕を持て囃す社会に、僕の居場所は無かった。
「誰も、相手の遺族でさえ僕を責めなかった。君の親でさえ、『すみませんでした』なんて謝ったんだよ。はは、そんな馬鹿な話があるか? 僕は何だ? 被害者だっていうのか? 僕らは――友達じゃなかったのか?」
補い合えると、助け合えると信じていた。
だが。
「僕は――赦される機会を失ったんだ」
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