第30話/表 怪物のレシピ。

さっそく着替えてみると、制服は誂えたように僕の身体にぴったりだった。

久野の方は、少し窮屈そうだ。日本人にしては身長がある分、標準体型を想定して作られた既製品では少々小さいようだ。


それでも、やはりこうしたは気分が上がる。


「良いね、悪くない」

「漸くモブから卒業かな。これならエンドロールに名前くらい載るだろ」

「それは、今後の活躍次第だろうな。さて………」


スミス氏は冷静に頷くと、テーブルの上にノートパソコンを置いた。


「今後についてだが、報告がある。ノア」

『はい』

「お、地下で話してたオペレーターか」


僕らはパソコンの画面を覗き込んだ。

ビデオ通話らしい。鮮やかな金髪を短く揃えた、少年と思うほどの若い男性が映っている。


「ノア、話していたツグモとクノだ。ツグモ、クノ、オペレーターのノアだ」

『宜しくお願いします、ノアと申します』


よろしく、と僕らも頭を下げた。

画面の中でも、ノアが頭を下げている。外国人だと思うが、流暢な日本語だ。


「ノアは、館内全域の通信を担当している。お前たちも、声を聞いたことくらいはあるだろう?」

「んー、俺ら、単純作業員だからなぁ」

「そうだね。例の地下での通信も、若い女の人だったし」

『ちか?』

「あー、いや、こっちの話こっちの話」


僕と久野は、苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。

地下に閉じ込められたとき、緊急ダイヤルで話した女性の声を思い出す。

誤魔化すわけではないが、閉じ込められた上に助けを求めたなんてエピソードは、自己紹介で披露するには、あまり魅力的なエピソードではない。


ノアの方も、あまり興味はなかったのだろう。そうですか、と短く応じ、本題に入ることにしたようである。

画面が、切り替わる。


『犯人、詰まりあの怪物ですが、調査の結果を報告します』


怪物の姿が大きく映し出され、僕は思わず半歩後ろに下がった。

精神衛生上、あまり見たい絵ではない。


僕以外のメンバーは、ひどく冷静だった。

怪物の全体図をじっくりと眺めながら、スミス氏は淡々とした口調で尋ねる。


「………どうだった」

『皆さんの感想は、概ね正解でした。


部屋に、沈鬱な空気が満ちた。

あぁ、やっぱり。文字にするとこの程度だが、実際僕らの中に渦巻いた感情は、もっと重く泥々としたものだった。


人を使って、人を殺すものを造ったのか。

人を生かす薬で、人を殺すものを造ったのか。


それは――なんておぞましい。

善なるものを素材にした悪逆なんて、言い訳も出来ないほどの邪悪だ。


ノアの報告は、続く。


『複数の人間の組織サンプルが発見されました。指紋などは、七人分もの指紋が混ざっていた程です。腕が長いのも、筋肉が多いのも、恐らく複数人のそれを繋ぎ合わせたためでしょう』

「………七人分、だと?」


嫌な、実に嫌な符合である。

研究所で殺された人間が丁度七人。怪物の肉体も、七人分。

じゃがいもとニンジンと玉ねぎ、ホウレン草、トマト缶に鳥肉、それとルーが無くなって、鍋にはカレーがあったなら。


「ノア、指紋の照合は?」

『現在進行中です。それと、何分断片的ですので、確実なことは言えませんが………………悪いニュースがひとつ』

「言ってみろ」

「何?」スミス氏は眉を寄せた。「どういうことだ、死体だった筈だぞそいつは」

『はい、これは完全に死体でした。生命活動は完全に停止しています。しかし、それとは別に、この死体には

「中身? 内臓とか、そういうのがかよ?」

『いいえ、クノ。内臓はありました、しかしもっと根本的なもの、生命の元が欠けていました。………………


脳裏に思い起こされる、最後の場面。

まさか――

母国語で口汚い単語を吐いてから一呼吸置いて、スミス氏はモニターを睨む。


「………とにかく、照合を急げ。それと、組織サンプルの方もな。一刻も早く被害者を特定するんだ」

『了解』

「それと、現時点で解っている情報を俺の端末に転送してくれ。クノ、ツグモ。準備を」

「準備、何のですか? 怪物探し?」

「いや、


スミス氏はごつごつとした大きめの携帯端末を手に取ると、その眼に激しい怒りの炎をたぎらせながら短く答えた。












地下二階は、相変わらず薄暗い。

昼間であっても窓はないから陽射しは入らず、蛍光灯だって増設された訳でもないから、当たり前だ。


それでも僕は、昨日よりも明るい印象を受けた。

制服の安心感によるものか。それとも、前を行くスミス氏の存在がそうさせるのか。或いは、恐ろしいことだが、のか。


慣れは、怖い。


喉元過ぎれば熱さを忘れる、ともいう。

恐怖は生物だ。過ぎ去った恐怖の記憶は時間と共に薄らいでいき、過小評価が更に下方修正されて、そしてやがてこう言う事になる――結局あの事件も大したことなかったな、と。

そして同じことが起きたとき、僕の基準はその低くなった脅威度に由来してしまう。大したこと無いと思い、そのように振る舞い、そして死ぬ。


恐怖の麻痺は、死への近道だ。


犯人を捕まえたわけでもない、事態を収拾したわけでもないのだ。

脅威は変わらず、いや、ここに在る。その所在が掴めなくなった怪物は、眼に見えたときより恐ろしくなった。

脅威があるのだ、恐怖を手離しては、ならない。


「………………着いたぞ」


スミス氏の言葉に、僕は顔を上げた。

目の前には、地下二階で最も立派なドアがある。磨かれた金属のドアに、花の彫刻が施されている、芸術作品のような美しさ。


地下世界の主の私室。

黒木所長の部屋に、僕らは到着した。

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