第31話/表 所長。

 近未来的な内装に相応しく、研究所の設備はどれをとってもSF的だった。認証機能によるドアやエレベーターの使用、窓を模した有機モニター、作業スペースなど、幼い頃に想像した近未来そのものである。


 対して、所長室のドアは実に原始的だ。


 優美な彫刻の施されたドアには認証設備もモニターもなく、ドアノブの下に小さな鍵穴が着いていた。

 呼び鈴さえない。スミス氏は眉をひそめつつ、月の形のドアノッカーをやや強めに鳴らした。


「所長、いらっしゃるか? お話がある」

『どうぞ、スミスさん。鍵は開いています』

「インターホンか。ある意味で現代的なんだが、ここの設備だと何故か骨董的に見えてしまうな」


 スミス氏の発言には、全く同意だった。

 ここの設備は、細やかな部分でよりも進んでいる。『いつかはこうなるだろう』と人類が想像するような設備を、想像した通りに嵌め込んでいるようだ。

 技術の試用モデルとしての意味合いも、恐らくはあるのだろう。開放部としての窓が無くとも、景色さえ見えれば人間は狂わない、とかそういうの。


「いよいよ、所長と直談判だね久野。気分はどうだ?」

「別に?」


 意外にも、久野は軽く答えた。

 僕としては驚いた。どうも所長がタイプみたいだったから、てっきり駄々を捏ねるかと思ったのに。


 久野は、呆れた様子でため息を吐いた。


「あのな、俺だって状況は解ってるよ。所長の共同研究者が死んでて、怪物の中身としては研究内容に酷似してる。そりゃあ怪しいだろ」

「案外理性的だね。恋は盲目、とは間違いかな?」

「目を瞑るのも限度があるだろ。それに、俺としては、

「………………?」


 いったいなんの話だろうか。

 尋ねようとした僕の口より早く、ドアが開いた。僕は言葉を呑み込んで、踏み込んでいくスミス氏の後に続いた。











 ドアがドアなら、中も中だった。

 所長の部屋は機能的ではあるが、それより何より、その印象は骨董的アンティークの一言だ。


 壁には本棚があった。電子書籍ではない、紙媒体の分厚い本だ。様々な言語で書かれた、見るからに難しそうな学術書である。

 希にある日本語の題名を見ると、どうやら移植に関する物が主らしい。研究熱心なことである。


 視線を天井に向ける。

 廊下とは比べ物にならない明るさの光源は、なんとシャンデリアである。

 勿論ロウソクが点いている訳ではない。その形を模した電灯だ。円周上に十個、等間隔で並んでいるため、部屋は隅々まで照らされている。


 そして床を見ると、この研究所最大の異色さが拡がっている。

 何と、床には絨毯が引かれていたのである。ふかふかで、毛の長い絨毯。踏み込んだ足が柔らかく飲み込まれる高級そうな感触は、最新設備に囲まれた研究所とは思えない。


 それらの異様に囲まれて、まるで女王のように堂々と、所長は自らのデスクに鎮座していた。

 整理の行き届いたデスクに肘をつき、組み合わせた指で顎の下を支えるようにしながら、くつろいだ様子で微笑む。


「そろそろ来る頃だと思っていました、とでも言うべきでしょうか? ねぇ、津雲さん」


 なぜそんな悪役じみた笑い方で、しかもよりにもよって僕を名指しするのか。

 ノックしたのはスミス氏なのだから、スミス氏に向かい合ってほしい。


「いえいえ。スミスさんの用件は、まあ大体想像がつくんですけど、けれど津雲さんの方はそうはいかないんですよね。だから、私が悪役だとしたら、気にするのは津雲さんの方なんですよ」

「悪役だとしたら、か」

 間接的に馬鹿にされたスミス氏が、それでも流石の冷静さで言う。「寧ろ、そうでない証拠を見せて欲しいものだな、所長」

「前から思ってましたけど」

 所長は、僕から視線を外さないままに肩を竦める。「スミスさんは、私への忠義が足りないと思います」

「貴女を拘束して、無理矢理通報しても良いのだがな。そうしないことを感謝してもらいたい程だ」

「どちらかと言えば、私の命令に従うべきではありませんか? 貴方の立場を考慮すれば、内々に処理しようという私の方針に従うべきでは?」

「俺の立場は、秩序の維持だ。そして、貴女はここの指揮官ではあるが、俺の雇い主ボスではない。必要があれば、相手が貴女であったとしても、争う」

「あら、そう」

 愉しそうに嗤いながら、所長は尚も僕の事を見詰めている。「それは残念ですね」


 視線を向けられないままに。

 知ったことかと言わんばかりに、スミス氏は所長を睨み付ける。その巨躯にみなぎる怒気は、側にいる僕らを焼き尽くすほどの熱気だ。

 熱に促されるように、スミス氏が前に進み出る。柔らかい筈の絨毯をドスドスと踏み荒らすその足取りは、肉食獣のそれに近しい。


 スミス氏はデスクに両手を勢い良く叩き付ける。置いてあったマグカップが僅かに浮いて、カチャリと音を立てて着地した。


「…………怪物の正体は、何人もの人間を繋ぎ合わせたものだ。筋繊維や骨、そして――血液。その根幹にあるのは!」


 鼻息も荒く、スミス氏は詰め寄った。

 その様は普段の冷静な彼らしからぬ態度であり、同時に、どことなくスミス氏らしい純粋な怒りの発露でもあった。

 恐らく、これまで相当我慢をしていたのだろう。所長の独善が今回の事だけとは思えないし、仮に今回の事だけであったとしても、彼にとっては許容できない領域の悪行であったことだろう。


 そんな、それまでの全ての感情を込めて叩き付けられた、手。

 その手を迷惑そうに眺めてから、所長は悠然とカップを持ち上げ、口に運んだ。


「何か言い分は無いのか、所長」

「………………さて。スミスさんの求めるような答えは、何も?」

「っ!」


 嘲るような所長の言葉に、スミス氏が沸騰した。

 僕らが止めるよりも早く、スミス氏の腕がデスクを乗り越える。その丸太は見た目に似合わぬ俊敏さで所長の喉元に絡み付いた。


「スミスさんっ!?」

「おいおいおっさん!」

「………………答えろ、所長。?」


 その問い掛けに、所長は初めてスミス氏の方を見て、それからニヤリと笑った。


 その笑み。

 その、目付き。



 気が付くと、僕の舌は身勝手に踊り始めていた。

 後悔しても、驚いても、始まったダンスは止まらない。躍り続けるしかないのだ、最後まで。


「所長。………

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