第22話/表 犯人捕獲作戦、開始。

「標的は現在、第4区画を南方向へと移動中だ」


 とはまた随分と、狙い済ましたように縁起の悪いところを移動している。

 スミス氏の言葉にため息を吐きつつ、僕はモニターを見つめる。再び通常の分割表示に戻ったモニター群は、簡易的な地図のようなものだ。


「その先には、何が?」

「廃水処理施設ですね。研究所中から廃水を集め、化学的に分解する為の設備です」

「相当危険そうな水ですね………」

「酸とかは中和してから流すようにはしていますが、まぁ、飲み水としては適さないでしょうね」


 何しろ、完全に違法としか思えない動物実験を行っているような研究所だ。

 所長の研究は最も極端ではあるだろうが、頂点がそれを良しとする以上、部下たちの研究が穏当だとは思えない。

 薬物の処理はともかく、例えば実験体の血液など、汚染の可能性があるものは幾らでも流されているのではないだろうか。


「もちろんそれを見越して、区画は封鎖することが出来るように設計されていますよ」

「………封鎖?」

「えぇ。通路と、あとは部屋自体にシャッターを下ろせます。その上で、中和するための薬剤を散布するんですよ。どうです、安全対策はばっちりですよ」

「その危険性を、そもそも生じさせないで欲しいのだが………………。ん、どうかしたか、ツグモ?」

「封鎖して、薬剤を散布………僕らを捕らえたときのように、ですか?」

「あぁ、あの睡眠ガスですか? えぇもちろん、可能ですよ」

「………ははーん、成る程。そいつは面白いかもな、津雲」


 流石は久野、我が悪友。

 いまいち話が読めない様子の所長たちとは対照的に、嬉しそうに笑った。


「必要なのは地図か、あとは、?」

「おい、いったい何の話だ?」


 堪り兼ねたように、スミス氏が割り込んでくる。

 困惑気味のその顔を面白そうに眺めてから、僕と久野は目配せをし合うと、声を揃えて答えた。


「「」」











『………………上手く行くとは、思えない』


 耳に嵌めた通信機の声に、僕はくすりと笑みを溢した。

 聞こえてくるスミス氏の声からは、呆れと焦燥と、怒りと、それから諦めが匂う。僕らの無謀さへの呆れ、任せることへの焦りと自己嫌悪といったところか。

 あとは――


「悪くない、と思いますけどね。寧ろ、これしかない」

『やり方はな。問題は、。お前たちに、そんな真似をさせるとは………』

「これしかないでしょう」


 僕は廊下を慎重に歩きながら、短く答えた。

 隣では久野が、ライトを構えながら辺りを警戒している。案外様になっているのが、何とも腹立たしい。

 通信機は一つしかなかったが、聞いていない久野も話の流れは予想出来るらしい。肩を竦めながら、唇だけで「しつこいおっさん」と僕に囁いてくる。


 止めてくれ、笑いそうになる。

 何とか表情を保ちつつ、僕は答える。


「適材適所ですよ。………犯人の動きを見ながら僕に指示を出し、


 要するに、作戦はこうだ。

 僕らが騒ぎ、スミス氏が塞ぐ。

 獲物を追わせるか、或いは、追い込むか。とにかく向こうの動きをコントロールして、隔離できる廃水処理施設へと誘導するのだ。あとは、僕らの時と同じ。睡眠ガスで終わりである。


「犯人は、あの腕を見る限り実験を受けたようですけど、囮を使うくらいの知恵はあるようです。何をしでかすか解らない獣や何かより、それなら余程行動を予測できる」

『まあ、言いたいことは解るが………』

「それに、今のところ犯人は、勝手に目的の施設に向かっているんでしょう? だったら、囮になる必要もないですよ。ドアを閉めて、眠ったら僕らが入り、部下の人を救出する。ほら、危なげ無いでしょう?」


 そう。

 犯人は、地理的感覚がないのか、自ら罠の方へと向かっている。他の通路は塞げるから、僕らの役目は罠の口を閉じるだけで済むのだ。

 今のところは、だが。


 頼り無い明かりに照らされて、余計に暗く見える廊下は、まるで海の底のようだ――周囲の壁が徐々に狭まり、僕らを押し潰そうとしているのではないか、そんな妄想がじわりじわりと忍び寄ってくる。

 脳裏には、嫌な予感しか浮かんでこない。僕は努めて明るい声を出して、それを追い出そうとする。


「問題ないですよ。もしもそちらのモニターで異常があれば、直ぐに引き返します」

『あぁ、そうしろ』

「所長の方は、どうですか?」

『今、薬品を準備しているようだ。………何? 冗談だろう所長?』

「………どうかしましたか?」暗雲の気配だ。

『………………すまんが、少し問題が起きた。少しだ、少しだけな』


 僕は久野に合図し、脚を止めた。

 僕の表情で事態に気付いたのか、久野が近寄ってくる。その物問いたげな視線を制しつつ、僕は冷静さを装って口を開く。


「何ですか、何か問題が?」

『あぁ。睡眠ガス用の薬品が、少し足りないそうだ。このままでは、上手く行かないかも知れないと』

「何ですって? 冗談でしょう?」

『本当にな、だがあいにくと現実だ。………薬品は、例の処置室にあるらしい。運ぶのを手伝えと来た』


 くそっ、と僕は小声で毒づいた。

 散布する薬品を、北の端にある空調室にセットしなくては、作戦が成り立たない。だから所長にはそちらに向かってもらったのだが………まさか薬品自体が無いとは。


『そこから処置室には、二分ほどで行ける。所長は既に向かっているから、落ち合うことは簡単だろう。問題は、その間奴を放置するわけには行かない事だ』


 犯人が不測の動きをしてきたら、何もかもが台無しだ。いざというときのリカバリーのため、誰か一人は犯人を追う必要がある。

 しかし、薬品がなければそもそも作戦は台無しである。足りないというのなら、補充しなければならないのも事実だ。


 僕は、久野と顔を見合わせる。

 ここにいるのは二人。ということは、考えるべきはどちらがどちらか、ということだけだ。

 そして、それは悩むまでもないことだった。


「………久野に、そちらに行ってもらいましょう」

「何?」久野が声を上げた。

 僕は無視する。「僕がこちらを見ます」


 スミス氏は、理解が早い。

 それでも一秒返事に間があったのは、彼の優しさだろう。

 いずれにしろ、結論は一つだ。


『………そうだな、そうするしかない』

「はい。僕は腕力が無いですから、荷物運びにおいては所長と同じ程度の働きしかできないでしょう。久野はその点、鍛えてますからね。それに、脚も早い」


 荷物運びという単純な仕事において、僕と久野とでは性能が遥かに違う。久野なら一度で済む作業が、僕だと二倍以上掛かる。

 そしてこの場合、急ぐのは薬品の準備だ。


『頼む』

「はい。こちらこそ、犯人の監視をお願いしますね」


 スミス氏は、これで三方向の作業を監視しなければならなくなった。

 かなりの負担だろうが、同情はできない。何せ、僕には更なる重労働が待っているのだ。


「………………」


 不本意そうに僕を睨む、久野の説得である。











「どういう事だよ、津雲。お前が一人で、こっちをやるってか?」

「そうなるね」

「解ってると思うが、嫌だぞ俺は」

「それは駄目だよ、解ってると思うけど」


 久野は不機嫌そうに舌打ちをした。


 直情的な行動が多い分誤解されるのだが、久野は別に馬鹿ではない。

 僕らは中学で中退したが、それまで学業は疎かにはしていないし、それからも独自で勉強をしていた。

 天才とまでは言わないけれど、一般的なレベルの頭脳は持ち合わせている。学歴が無いため無理だったが、それなりの就職先に就けるくらいの能力はあるのだ。

 僕と二人で居ると、何故だか考えなしの行動が目立ってしまうのだが、真面目でマトモな奴なのだ、本来は。


 だから、解っている筈だ。久野の理性は、僕の選択が正しいと。

 駄目を押すべく、僕は思考を言葉にした。


「この作戦で大事なことは二つ。犯人を閉じ込めることと、睡眠ガスを散布することだ。そしてそれらは、なるべく同時に行われないとならない」


 シャッターがどの程度の防御力を持っているかは解らないが、犯人の膂力はかなりのものだ。

 人を半分に裂いたり、男一人を片手で軽々と持ち運んでいる。全力で、例えば鋼鉄のシャッターが破れないかどうか、分の悪い賭けと言わざるを得ない。

 タイミングが全てだ。閉じ込める、そして直ぐに眠らせる。間を置かずに出来れば、それに越したことは無い。


「薬品の準備を完璧にすることは、何よりも大事だ。そして、論理的な二つの理由から、そちらには君が行くべきだ」

「………理由ってのは?」

「君の方が身体が強い」


 自慢じゃないが、僕はひ弱だ。そして自慢になるが、久野は筋肉質だ。

 足だって、僕の何倍も早い。


「君の方が、素早く作業を終えられる。それについては、議論の余地はない筈だ。僕が君に、スポーツで勝ったことが一度でもあるか?」

「………そりゃあ、無いけどよ」

「一度くらいはあるよ失礼だな」

「嘘つけ、あるわけないだろそんなこと」

「あるね、間違いない」

「………一応言っとくが、頭脳スポーツなんてのは含まないからな、この場合」

「………………」


 中々鋭いじゃないか。

 とはいえ、会話の目的は達成した。

 理性の方は僕の話を理解しているのだから、説得相手は久野の感情だ。気持ちの部分での納得を狙わなければならないのである。


 久野の表情は、かなり柔らかくなった。あと一歩、というところか。


「ま、話は解った。お前の考えに従うしかないってこともな」

「それは良かった。それじゃあ、さっさと行って肉体労働をして早く帰ってきてくれ」

「言い方を考えろよ。お前こそ、無茶するなよ? お前、結構危ないことを平気でやるんだからな」

「そんなこと」

「良いから、約束しろ」


 久野は、真剣な顔で僕を見る。

 その性格と同じくらい、真っ直ぐで、誤魔化しの効かない眼だ。


「約束しろ。無茶はしない、必ず無事で戻るってな」

「………解ったよ」


 僕は頷いた。

 僕も、久野だって解っている筈。相手は人殺しで、常識が通じるような相手ではない。無事でいようと決めて無事でいられるほど、甘い事態ではないのだ。

 それでも約束を求めたのは、何故だろうか。僕には、良く解らない。


 死にたくないし、死のうとも思わない。

 だが――命を捨てなければならない事態も、世の中にはある。











「そう言えば、津雲。理由のもう一つは?」

「ん、あぁ。いや、君もたまには、所長さんに良いところ見せた方が良いんじゃないかなってね。何しろ今のところ、愉快な馬鹿二号だろ君?」

「うるせえよ」

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