第21話/表 映し出された怪物
周囲を警戒しながらも足早に、僕らは通信室に向かった。
ライトに浮かび上がる陰影が、冒涜的な怪物の姿にも見えてくる。カシャカシャと鳴る足元の金網が、自分たち以外の足で揺らされているような気さえする。
現実も、架空も同じだ。姿の見えない怪物は、いつ出てくるか解らないところが何より怖い。
「………落ち着けよ、津雲」
ちらちらと辺りを見回す僕に、久野がそっと声を掛けてくる。
「こんだけ物の無い廊下だ、変な奴が居たら直ぐに解る。いきなり襲い掛かられる、何て事はないさ」
「………上とか、下とか」
「下は金網だ、何か居たとしたって飛び出せねぇよ。上は、まあ解らないけど」
「解らないのか」
「解らないね。だから、さっさと行こうぜ」
僕はため息を吐いた。
強引なやり方だ。しかし、それしかないのだ。
来るな、来るな、と祈りながら、目的地まで急ぐしか。
「………………」
そいつは、廊下を移動していた。
光に照らされることもない。足音を響かせる事もない。
辺りを見回す者の視界に映らず、聞き耳を立てる者の警戒をすり抜けて、そいつは密やかに、獲物の元へと辿り着いた。
「………………」
何事か呟きながら、前後左右を見回す獲物。
その頭上に、そいつはぶら下がっていた。
そいつは、天井のパイプを伝っているのだ。但し乗るのではなく――ぶら下がるようにして移動していたのだ。
常識の埒外にある、奇妙な移動方法。
だからこそ、彼は最後までその襲来に気付かず。
そいつの爪が、彼へ振り下ろされた。
「ふう………」
無事、通信室に入り、僕らは安堵の息をこぼした。
早速ドアを閉め、ロックする。開けたら閉める。常識だし、こういう場合は命にも関わる事だ。
「電源は………良し、生きてるな」
スミス氏がキーボードを操作すると、暗い部屋に光が点る。
室内灯か、と見上げた僕の視界には、しかし蛍光灯の類いは見当たらない。見当たらないが、確かに部屋は明るくなっている。
というか、背中から照らされているような気がする。上からのでなく、側面からの光源だろう。僕は光の方に振り返り、
そこには、世界があった。
振り向いた、壁一面を覆い尽くすモニター、モニター、モニターの山。
上では窓の代わりとして使われていたそれらに一斉に火が点り、部屋を照らしていたのである。
全部で、二十枚はあるだろうか。
額縁に入った油絵のように薄い画面の中には、地下二階の風景だろう、パイプに囲まれた薄暗い廊下が映っている。
「………壮観だね」
一枚一枚はさして見応えのある映像ではないが、こうして並ぶと中々に圧倒される。
どの画面が何処の物なのか、似たような風景で全く判別がつかない。寧ろ、全て合わせて一枚のモザイク画のようにも見える。
「これを上に繋ぐ。そうすれば、上からも現在の状況がモニター出来る。上との通信も、可能になる」
「オペレーターと通信できる訳か。そりゃあ、探索が捗るな」
久野の言葉通り、通信室を確保出来た事はかなりの成果だ。
今から僕らは、七人もの人間を殺した犯人と命を賭けたかくれんぼをするわけだが、その際、この部屋の価値は計り知れないほど大きい。
監視カメラは、どうやら地下二階の全域を網羅するくらいの密度があるようだ。ということは詰まり、探す相手が何処に居るか、文字通り一目で解ると言う事だ。
「今のところ、変な奴は映ってないけど………」
「スミスさんの部下の方はどうです? 今のところ、死体は見付かってませんが」
「待て。今、上に繋ぐ。………良し。感度はどうだ、ノア」
スミス氏はキーボードを操作し、耳に嵌めた通信機に声を掛けた。
それから、ノアという名のオペレーターから返事が帰ってきたのだろう、一つ頷く。
「………良し、モニターはどうだ? ………待て、何だと?」
「スミスさん? どうかしましたか?」
「………見付けた、かもしれんそうだ。今モニターに映す」
通信機からの指示を受けて、スミス氏の指がキーボード上を踊る。
タン、と小気味の良い音と共にエンターキーが押し込まれ、モニターが暗転。一瞬の後に復旧した、その画面上には、共通の映像が映し出されていた。
「………これは………」
そこでは、見慣れない男性が歩いていた。
奇妙な歩き方だ。
表情が見えないほど深く俯き、両足は引き摺るように。だらりと下がった腕は、力が込められていないのか、動きに合わせてぶらぶらと揺れている。
何と言うか、生気の感じられない動き方だ。何処かで似たような動きを見たことがある気がするが、思い出せなかった。
暗い廊下を不自然な仕草で移動する人間。
ひどく不気味なその光景に、僕は思わずゴクリ、と唾を呑み込んだ。
「………こいつが、犯人か?」
「いや」
当然肯定されると思っていた久野の問いかけに、しかしスミス氏は首を振った。
「こいつは………俺の部下の一人だ」
「え?」
「当然だが、無罪と見て良い人物だ。………いや、人物だった、と言う方が正しいか」
「それは、どういう………」
「よく見ろ」
逞しい指の先を追った僕は、あっと声を上げた。
「吊られている………?」
スミス氏の部下というその人影、その足元は、地面から僅かに浮かんでいた。
例えるなら、子どもが縫いぐるみを持ち歩いて、しかし持ち上げきれず引き摺っているようなものだ。
爪先だけを引き摺って、歩いているように見せ掛けているのだろう――随分と稚拙なやり方ではあるが。
所長がピアノを弾くように、キーボードを叩く。カメラがズームし、歩かされている人物の背中が大写しになった。
その首を、細く長い腕が掴んでいる。
「………………この腕は………」
「こいつが、犯人だな」
スミス氏が、無感情な瞳をその腕に向ける。「天井の、隙間を動いているのか?」
幾つかのモニターを見ても、或いは所長がカメラをジグ・ダンスさせても、腕の主は画面に映り込まない。
腕は天井の方から伸びているから、犯人の移動経路として考えられるのはスミス氏の言葉通り、天井とパイプの隙間だろう。
かなり狭い隙間だったが、もしかして腕が細いということは、身体も細いのだろうか。
「………………脳が人間をベースにしてるなら、多分ある程度以上に頭を縮める事は出来なそうですけど」
「その、人間をベースにしてない可能性がありそうな発言は止めてくれませんか………」
「可能性は無限大ですよ、津雲さん。白沼博士は、私に進捗を誤魔化していたようですし」
「進捗を?」
「先程、私の処置室をご覧になったでしょう? 私の実験は失敗でした。白沼博士が正しく成果を渡してくれていれば、あんな無惨な結末にはならないと思いませんか?」
確かに。
そしてそれは同時に、博士のファインプレイを意味する。もしも博士が正直者であったなら、あの水槽の中身が全て、闇の中から腕を伸ばしてくる可能性さえあったのだから。
どんな薬にしろ、黒木所長に渡して良いものは無いと思う。多分、風邪薬でさえも彼女なら劇薬に変えてしまうのではないだろうか。
「私は別に、マッドサイエンティストな訳ではありませんよ? あくまでも私は、人の役に立つために研究をしてるのですからね」
「良かれと思ってする悪行って、何より恐ろしいですよね」
「酷いですねえ、津雲さん。私は、本気で医学の発展を願っていますよ………父さんのためにも………」
「え?」
「いえいえ、何でもありませんよ津雲さん。それよりこれ、どうしますか?」
所長が真剣な顔で何か、小声で言っていたような気もしたのだが。
瞬きの後に見た所長の顔は、いつもと同じ、
悪魔のように、楽しそうにモニターを指し示す彼女に、スミス氏が眉を寄せた。
「どう、とは?」
「彼のことですよ、スミスさん。貴方の部下なのでしょう?」
それは、悪趣味な指摘ではないか。
犯人はモニターに映っていない。ということは、犯人はモニターに映らない方法を知っているということだ。
だが今、犯人は腕を見せている。ゆらゆらとお気に入りの玩具を見せながら、ゆっくりと移動している。
詰まり――これは罠だ。
ここにいる、そうちらつかせながら、僕らが来るのを待っている。
だから、正解は無視することだ。人の死体を弄ぶのは許せないし、ましてや己の部下であるスミス氏は、腸の煮えくり返る思いだろうが、手を出すわけには行かない。
それが解っているから、スミス氏は拳を握りしめて耐えているのに。
それが解っているから、所長は悪趣味な質問をしているのだ。
いくらなんでも、酷すぎる。
「いやいや、先程から私のことを悪者にし過ぎではないですか? 真面目な話ですよ、この人、未だ生きてますよ? ほら、泡吹いてる」
所長が拡大した画面には、確かに、口元で膨らむ泡が見える。
血を吐いたときに、偶然口についたのだろうが、これは確かに呼吸の証だ。
「助けられれば、情報の面からもかなり前進します。さて、どうしますか?」
ニヤリと唇を歪める所長を見ながら、僕は、この手の主は、もしかして所長なんじゃないか、そんな風にさえ思った。
この怪物も、嗤う所長も、きっと同じ種族なのだ。
悪魔。きっと、そう呼ばれるものたちだ。
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