第18話/表 実験の成果、一歩一歩の足跡。
入った瞬間に、部屋に仄かな明かりが点いた。
太陽光と比べると遥かに頼り無い明かりだが、廊下の暗さが標準となりつつあった僕らにとっては眩しいくらいである。
「動作感知式にしてあるんですよ、凄いでしょう? 一定の間動くものがないと、電気が消えるのです」
「ということは、一先ず安心できそうですね」
僕らが入ってきたとき明かりが消えていたということは、その一定期間は中には誰もいなかった、ということなのだから。
もしかしたら、ジッと息を潜めて身動ぎせず獲物を待っているという可能性もあるが、そこは流石に考えないことにする。
それよりも、考えるべきことは――考えたくないこと、とも言えるが――色々ある。
例えば、室内の様子とか。
「………ここは、何を処置する部屋なんですか?」
見回す部屋には、病院などでよく見かける長テーブルが三つ。上の研究室よりも、ずいぶん広い部屋だ。
テーブルの片端には、洗面台がそれぞれ付随している。全体的に清潔な雰囲気の部屋なのだが、その蛇口などにはわずかに錆が見える。
「見たところ、手術室にも似ているな」
「うふふ、似たような場所ではありますけれど」
「うわあ、聞きたくないなぁ」
何しろ、移植の実験を行っていた研究者の実験室だ。グロテスクなシーンには、事欠かないだろう。
「とはいえ、見通しは良いっすね」
久野の言う通り、部屋にはテーブルくらいしか家具が無い。それこそパイプの隙間なんかより、犯人が隠れられるような空間が無いのである。
一応天井にライトを向けるが、真っ白いタイルからはスプリンクラーが数台突き出しているだけ。
床もタイル張りだし、犯人が液体金属の人造人間でない限りは、安心して良さそうだ。
入ってきたのと反対側には、ドアがある。入り口と同じく、その脇には認証装置。
「なんだ、こんな感じなら、全然外よりも安心じゃん。スミスのおっさんも、ちょっとびびらせ過ぎじゃないか?」
「止せよ、久野。何もないならその方が良いんだから。
………まぁ、肩透かしのような感覚はあるけどね………」
「お前たち………。まぁいい。よく考えるのだな、ここがどんなところか」
え? と首を傾げる僕ら。
その横を所長が軽やかに追い抜いて、ドアに身分証を翳す。
そうだ、ここは、あの所長の私的な実験室なのだ。
あの、小悪魔どころか悪魔めいていて、意味もなく
これで、終わり? そんな馬鹿な。
「………俺は地図を見たことがある。それによるとここは、下処理室と言われている。そして次の部屋は、本処理室だ」
「………」
「調理は、これからが本番だぞ?」
肩を落とす僕らの視界の端で、ドアが開いた。
次の部屋、スミス氏曰く【本処理室】は、大雑把に表現するのなら、さながらガラスの林だった。
下処理室とは比べ物にならないほどの広さに、数十からなるガラスの筒が設置されているのだ。
自動で点灯した仄かな明かりに照らし出されているそれらは、どうやら水槽のようである。何かの液体で満たされていて――そこには動物の死骸が浮いている。
いや、死骸ではない。
彼らの口にはチューブが繋がれていて、水槽近くの機械に心電図が表示されている。
僕は、吐き気を堪えるのに必死だった。動物たちが生きているという事実が、僕の正気を打ちのめしていた。
何せ、彼らは――。
「身体が………!」
「えぇ、組み換え途中です」
動物であることは、確かだ。
但し、各々何処かが違う。
腕が違う、足が違う、眼が違う耳が違う毛皮が違う違う違う違う違う………自然の姿とは、一部が完全に違うのだ。
それでも、彼らは生きている。
生かされている。
「………………」
淡い青光に照らされて、水槽は洞窟で見るような、水晶群にも見えてくる。
薄暗い室内に浮かび上がる、幾何学的に並んだ発光する水槽の列は、実に幻想的な風景だ。その中身は、世にもおぞましい代物だが。
「動物同士の、移植手術………!」
「失敗例ですけどね。小さな一歩ですが、科学とはその繰り返しですから」
「………………」
成る程、ここは危険だ。
もしも白沼博士を殺したのが実験体だとしたら、その出所は恐らくここだろう。
一匹が逃げ出したとしたら、もう一匹逃げ出すことはないと誰が言い切れるだろうか。
麻酔か何かだろう。水槽の中の動物たちは、静かに眼を閉じている。
彼らが目を覚まし、自分の姿を見たら。
人を恨まないと、誰が言い切れるだろうか。
「どうだ、外とどちらが良かった?」
「どう考えても内側でしょう? 彼らは寝ているのですから。夢の中ですよ、現実には何の力もありません。さ、通りましょうか」
どう考えても恨まれる最有力候補者が、あっけらかんと答えて水槽の林を抜けていく。
浮かぶ動物たちの顔を覗き込み、何事かを囁きかける所長。慣れを感じさせるその背中を見送りながら、僕は遅まきながらも理解した。
ここは彼女の世界。
ここが地獄だとしたら、それを率いる彼女こそ、地獄なのだ。
………それは、ジッと闇に潜んでいた。
光の届かない闇の中で、瞳だけが赤く光っている。
ゆっくりと、それが手を伸ばした。闇から細く長い腕が、淡い明かりの下に這い出てくる。
かつての面影は最早無い。
太さも長さもまちまちに歪んだ指を、その合間に広がる、傷だらけの手の平を、深紅の瞳が見詰める。
そこに、何の感情が浮かんでいるのか。
喜怒哀楽、或いはそれらが混じり合った何かか。いずれにしろ、表現しようとする気は、それには無いらしい。
やがて、何処か感傷的に見えるその仕草を止め、手は更に伸びていった。
ゆっくりと、ひっそりと。
その先に転がる、倒れたままピクリとも動かない警備員の身体を掴むために。
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