第2話/表 現実、友人と、昼の食堂にて。

「夢を見たんだ」


 僕の言葉に、友人であり同僚である久野悟くのさとるは実に怪訝そうな顔を向けてきた。

 同じ言葉を言われたとき、僕もこんな顔をしたのだろうか。だとしたら、少女が笑うのも宜なるかなというところだ。


 昼食に出された味噌汁を持ち上げたまま、久野は目と口を開いたまま機能停止フリーズした。

 僕は、彼の顔を見るのも失礼な気がして、手に持った味噌汁を覗いていた。具の葱とじゃが芋、その伝統的な組み合わせに思いを馳せながら、久野の復旧を待つ。


 とは言えその後の久野は、僕なんかよりは余程上等な反応をした。

 見開いた眼を瞬かせて、開いた口を笑みの形に吊り上げると、「はぁ」よりもう少し長い言葉を返してくれたのだ。


「そうかい、どんな夢だ?」


 どんな夢だ。

 どんな夢だ、だ。

 大して興味もないだろうに、内容を尋ねてくれるだなんて、全く何とも篤い友情じゃあないか。

 僕もそう答えれば良かった。そうすれば、人間離れした美しい少女に、僅かなりとも友情を感じてもらえたかもしれない。


「いや、別に、そこまで考えてたわけじゃあないけどな? お前がそんなこと言うなんて、珍しいからさ」

「そうかな」

「お前は昔から、大体が一言しか喋らないだろう。こっちが何か話しても、あぁとかうんとか、はぁ、としか答えないし」

「………」

「話振られたのは、中学から十五年の付き合いで、多分初めてだ」


 そんな面白味の無い奴と十五年も付き合ってくれた友人には、本当に感謝しかない。………出来ればもっと早く、その人間的欠点を是正するよう促してほしかったが。


「それで、どんな夢なんだよ」


 問われた僕は、失意のまま夢について語った。


「ふうん、夕暮れの学校に、教師のお前、そんでもって、はは、夢みたいな美少女か」


 僕は答えず、自分の椀を覗き込んだ。

 心なしか、具の量が少ない気がする。気が付かなかったが、もしかして食べたのだろうか。


「けどそうか。お前、そっかぁ、そういう趣味か?」

「何が?」

「だから、美少女だろ? 十二、三歳の子。浮いた話あまり聞かないと思ったけど、少女趣味ロリコンとはなぁ」

「………そんなんじゃない」


 不意に、卓上に沈黙が降りた。

 どちらかと言えば良く喋るタイプの久野との食事で、こんな時間が生じることはあまり無い。


 不思議に思って、僕は椀から視線を上げた。

 そして、驚いた。

 二組の白飯と鯖の塩焼き、味噌汁日替りBランチの向こうに、久野のひどく驚いた顔を見たからである。


 僕の驚きに、久野はゆっくりと表情を戻していく。

 頻繁に表情が変わる男ではあるが、その分変化は瞬発力に満ちているのが常である。こんな風に時間をかけるのは、実に珍しい事と言えた。


「いやあ………驚いたぜ」

「そうらしいね」

「そりゃあ驚くだろ。今日はどうした、別人みたいに新発見の連続じゃあないか」

「何を言ってるんだ、君は」

「もしかして、気付いてないのか?」


 僕は首を傾げた。

 良くも悪くも、直接的なのが久野悟という男である。探るような口振りは、僕の方こそ新発見だ。


「いや。お前がそんなに怒ったところは見た事無いからな」

「え………?」


 怒った?

 僕は今、怒ったのか?


「怒っただろ。空気というか、気配というか、そんなのがひしひしと伝わってきたぜ」

「そう、なのか」

「んだよ、少女趣味ロリコンってのがそんなに嫌だったのか?」

「いや、そんなことは………」


 勿論性的倒錯に対して否定したい気持ちはあったが、怒るという程ではない。

 では、何に怒ったのか。


 少し考えて、あ、と僕は声を上げた。


 思ったよりも声量ボリュームが出て、僕と久野は慌てて辺りの様子を窺う。

 数人が怪訝そうに僕らを見ていたが、直ぐに興味を失った様子で、自分達の会話に戻っていく。

 有り難いような寂しいような、だ。まぁ若干は、有り難い方に天秤は傾くだろうか。


「………なんだよ、いきなり」

「いや、うん。単に解っただけだよ」

「解ったって?」


 そう、解ったのだ。

 僕は少女趣味ロリコンと呼ばれたことが嫌だったのではなく。

 あの子を、対象と見ることが許せなかったのだ。


「夢の中でも、同じような事考えてた。目の前の少女は、何て言うか、凄く貴重な芸術作品みたいなものだって」


 例えるなら、結晶。

 ミョウバンを溶かした水を冷やしつつ蒸発させ、釣糸の先にあの、宝石のような無色透明の多角形を作り出すように、彼女は凝縮された存在だ。

 およそ人間社会に溶け込んだ、【美しさ】をひたすらに集めた、美の結晶。紛い物ではない、本物の宝石である。


 実際に手を触れるのは論外だし、邪な視線で眺めるだけでも、少女は穢れてしまう。


「まるで信仰だな」

「そうだね」


 僕も、そう思った。

 夢の中の僕は、少女をまるで神のように扱っていた気がする。社会的な地位の差とか、経済力なんていう、人間の創り出した幻想ではなく、もっと根源的な部分で、【僕】は少女に平伏していた。


 それは、僕には解らない感情だ。

 神とか、信仰とか。

 見返りの無い想いって、何なのだろうか。


「そりゃあ、あれだろ。人間は弱いから。大きいものにすがりたくなるんだろ?」

「僕はそんなこと、無かったけど」

「マジかよ。俺はしたぜ、神頼み。受験の時とかさ、試験会場着くまでずっと祈ってたぜ?」

「その時間に単語でも覚えてた方が、良くないか?」

「そんなの焼け石に水だろ? ヤマが当たりますように、って祈る方が建設的だろ」


 祈りで物は建たない。

 例え僅かな積み立てでも、煉瓦を積まなければ未来は出来上がらないのだが。


 ………話している内に、僕はすっかり、久野に伝えるのを忘れてしまっていた。


 僕が見た、夢の

 彼女の語った夢の話、その内容を。

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