15センチの距離
白鳥リリィ
15センチとの帰り道
夕日に照らされた海を眺めながら、私達は家に向かって歩いていた。
私は、両腕を広げてバランスを取り、落ちないように気を付けながら細い堤防を渡っている。
左目には舗装された道が、右目にはサラサラした砂浜が。堤防渡りは、一粒で二度美味しい。
バランスが取れ始め、心にも余裕ができてきた。なので私は、道路を歩く幼馴染みの圭に話し掛けることにした。
「今日も大変だったねー。先生、話長すぎ」
圭は私の前を歩いているため、その表情は窺えない。でも、昔からお喋りだった大きな背中を見ていれば、何を考えているのかは理解できる。
「コンビニでも寄って帰ろっか。この前みたいに、唐揚げシリーズ全部買っちゃう? ふふっ……」
圭は、とても低い声を震わせながら言った。
「何で笑ってるんだよ、お前──?」
やっぱり、圭は怒っていたんだ。笑ったのは失敗だったかも。
でも、今更過去はやり直せない。私は笑って、その理由を問われてしまったのだから、これ以上圭の沸点を上げないためにも思いを正直に話すしかない。
「楽しいからだよ」
ようやく、圭がこちらを振り向いてくれた。整った顔立ちをしているんだから、もっと私に見せてくれてもいいのになあ。
「何が楽しいんだよ! お前の右腕を奪った張本人の前で、ヘラヘラと笑顔を浮かべてんじゃねーよ!!」
圭が責任を負う必要はないって何度も言っているのに、まだ自分のせいだって言い張るんだ。
そっちがその気なら、私だって引き下がるわけにはいかない。
「圭は悪くないよ」
誰も、何も奪っちゃいないんだ──私は、十五センチを失った右手を見つめながらそう思った。
──事故は、今年の夏休みに起きた。
八月の頭に、吹奏楽部の一年生だけで花火大会をしようという話になった。場所は浜辺。提案したのは、まさかの圭だった。
当然、私も他のメンバーも参加した。
吹奏楽部の一年生は、数が少なかったこともあって、全員が全員と良好な関係を築くことができていた。だから、その日もすっごく楽しくて、今日もいい思い出になるなー、なんて考えていた。
花火大会もいよいよフィナーレ。盛大に打ち上がる花火に混じって、一つだけ花を咲かせない芽があった。
ちょっと見てくるね──私がそれに触れた瞬間、炎の華が輝いた。
圭は、花火大会を開催した自分を許せないでいる。そんな自分に責任を感じている。無辜の罪を、未だに背負っている。
「圭は悪くないよ──」
これだけは分かってほしかったから、念を押して二度教えてあげる。
圭は何も答えはしなかったけれど、多分納得してくれたのだろう。
……赤い海はとても穏やかだ。やっぱり今日は、コンビニに寄り道をしよう。
海の色をした屋根を持つコンビニの前に、私と圭は差し掛かった。
圭の背中に軽くカバンをぶつけて、入店の意志を示す。
すると、圭は大層面倒くさそうな顔をしながらも、進行方向をガラス製の扉の方へと変更した。
前を歩く圭がドアを開けている隙に、私はぬらりくらりと建物内に侵入する。
「いらっしゃいませー!」
吹き抜ける風のように爽やかな声と、汗に覆われた身体を冷やす、クーラーが効いた空間。ここは、昔から変わらないなあ。
「何のお菓子にしよっかなー……」
圭のことなんて綺麗さっぱり忘れ去ってしまったかのように、そそくさとお菓子コーナーに入る。その後ろを、カゴを手にした圭が続く。
「俺を置いていくな」
「ごめんごめん」
口だけの謝罪文を述べた私は、左手に持っていたカバンを右手に提げてから腰を下ろした。
「今日はうすしお!」
夕日色のポテチの袋を、カゴの中へと突っ込む。
「お前、のりしお信者だったろ? 何でうすしおなんだよ」
圭の言う通り、私はのりしおが一番好きだ。だが、彼の言葉には、一ヶ所だけ訂正を加える必要があった。私がのりしおを愛しているのは、過去形ではなく現在進行形なのだ。
「のりしおはもう嫌いになっちゃったから……」
それでも私は嘘を吐く。圭を傷付けないためにも、ずっと妄言を吐き続けるのだ。
次の瞬間、私の固い決意は圭の手によって破壊された。
圭が、カゴにのりしお味のポテチを入れたのだ。
「ちょっ、もうのりしおは──」
「俺が食べるんだよ」
甘党である圭がポテチを食べるなんて……珍しいこともあったもんだ。
「まあ、美味しいしね……」
意味も意図もない、相槌のような感想を言ったつもりだった。まさかそれが、墓穴を掘っていたなんて。私は、圭に指摘されるまでそのことに気が付かなかった。
「嫌いになってないじゃねーか」
時既に遅し。ハッとしたところで、弁解の余地はない。
圭は、鬼の形相で私を見下ろした。
「何でのりしおじゃダメなんだ?」
「片手で手を洗うの、結構難しいから……」
指に付いたのりはまだいい。厄介なのは爪の間──特に、親指の間に挟まったそれはとても頑固だった。
手を洗うのが面倒だから。理由なんて、大抵は些細なものだ。
「だったら、隠さずにそう言ってくれよ……!」
とても苦しそうに、圭は声を絞り出した。
「……ごめん」
今度は、ちゃんと中身のある謝罪をした。
圭は舌打ちを返してきた。
「今日は奢ってやる。何でも入れろ」
──どうして、怒らせてしまった私に優しくしてくれるのだろう。どうして、怒っているのに悲しい顔をするのだろう。
圭が、何を考えているのか分からない。背中ではなく、顔を見て話をしているからかな……
私は、ポテチと飲むヨーグルトを買ってもらった。相性はそれほどよくない組み合わせだけれど、仕方のないことだった。
対する圭は、のりしお味のポテチとコーラ、それに唐揚げシリーズ全種類を購入していた。まるで、昔の私みたいだ。
「唐揚げ、お前も食うか? ってか食え」
有無を言わさず、圭は私の口内に唐揚げを丸ごと突入させた。
「あっふ……!?」
できたての唐揚げが放つ熱い肉汁が、私のデリケートな部分に暴力を振るう。
「はほー!」
あまりの熱に、目に涙が浮かんできた。
私は、カバンで圭を叩きながら、言葉にならない暴言を吐いてやった。
「痛い、痛いって……ははは!」
別の意味で涙を流す圭。くっそー、腹が立つ!
やっとのことで唐揚げ爆弾を処理した私は、言えずにいたことを呪文のように唱え続けた。
「ほんっと信じらんない! マジ何考えてんの!? 圭のせいで、口の中が比叡山焼き討ち状態なんですけど!?」
「対岸の火事」
「うまい! でもそのうまさが逆にイライラするから、もう一発叩かせて!」
最後の一撃は、今までよりもずっと鋭い音を響かせた。
「あっ、ごめん。そんなに強く叩くつもりはなかったんだけど……」
「気にすんな。仕返しとして、お前の目の前でコーラを旨そうに飲むだけだ」
私の好物その二、コーラ。入れ物の構造上、諦めざるを得なかった代物の一つだ。
圭は、両手を器用に使ってペットボトルの蓋を開けた。そして、宣言通りに喉を鳴らしながら、一度で全体の半分を喉の奥へと通した。
「ぷはーっ! やっぱりコーラは最高だぜ!」
水を得た魚。ビールを飲むサラリーマン。
嫌がらせを有言実行するなんて……まったく、酷い男だ。
まあ、そうすることで圭の気が晴れるというのなら私はどうなったっていい。圭が、私のことなんて気にしないで、自分のために笑ってくれるなら──
「お前も飲めよ。旨いぞ」
美味しいのは知っているけれど……
「いらない」
「もしかして、間接キスだからか?」
「っ──! 自惚れるのもいい加減にしろー!」
単に、ずっと我慢してきたコーラを今更飲みたいと思わなかっただけだ。それなのにこいつは……!
「何でもいいから、とにかく飲めって! な?」
何故にここまで勧めてくるのか。もしかして、裏で『私にコーラを飲ませたら晩ご飯を奢るゲーム』でもしているのか?
……流石に、それはないか。
「ん」
手持ち無沙汰となった左手を、圭の方に向ける。
「……ほらよ」
そこに、コーラの入ったペットボトルが差し込まれた。
ペットボトルの口の部分に唇を接触させて、三回喉を動かす。
「ありがと」
得体の知れない味も、ドン引きするくらい入っているらしい砂糖も、弾ける炭酸も、全てが美味だ。身体に悪い飲み物だと言われていても、こればっかりは嫌いになれない。
「おう」
圭は、短く返答をしてから、またコーラを飲んだ。
「大胆なキスだなあ……」
自分にしか聞こえない大きさで、そんなことを呟いてみる。
圭とのキスはコーラの味がした……なんて、妹に言ったらどんな反応をするかな。
「旨いけど、腹が膨れるな……」
圭は、まだ三割くらい残っているコーラを苦々しい目で睨んだ。
「炭酸飲料ってそういうもんじゃん」
「やけに詳しいじゃねーか。まるでジャンクフードのお姫様だな」
圭は、コーラから炭酸が抜けないようにしっかりとキャップを閉めて、私の眼前に手を伸ばした。
「残り、やるよ」
「ええー……」
いくらコーラと言えど、人の飲み掛けを嬉々として受け取れるほど、私は肝が据わっていない。しかしながら、受け取らずにいると、ずっと視界にコーラの陰が映ってしまいそうだったので、私は渋々それを受け取ることに決めた。
「ほんっとにバカだよね」
隻腕の少女にペットボトル……変なところで気を遣うくせに、肝心なところはご覧の有り様だ。
──どうせなら、ずっとこのくらい不躾な態度を取ってくれればいいのに。
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