ひこうき

南無山 慶

第1話

「あれっ」


頭の上で声がしたので反射的に視線を上げた。

丁度、来年の春流行する、薄い紫色を基調としたファッションを紹介するページを見ていた時だった。


私の座席の斜め前に、いかにもサラリーマンというダーク系スーツを柔らかく着こなした男の人が、カバンを片手に、チケットを握ってこちらを見ていた。

驚きと、期待を混ぜ合わせたような眼をしていた。


「偶然ですねえ」


大きくはないけど、よく聞こえる声。弱くはなくて優しい声。


「あら、、、」

「よろしいですか」

「え?」

「どうやら、お隣のようです」


その人は、チケットをこちらにひらりと向けて、微笑んだ。

優しい人、だと思った。


「ああ、どうぞ」

「失礼します」


彼はふわり、と座席に腰を下ろした

私はどさり、でもなく、ましてやどかっ!ではなかったことに安心した。 そんなことに対して、とても嬉しく思った。

それから、へんな匂いがしなかった。

彼は座席に座るやいなや、背もたれを倒すこともしなかった。

ガサガサと書類や本を取り出して音を立ててそれをめくることもしなかった。


いやだな、私、男性恐怖症みたい、、、


ふと、我に返って思った。


膝の上の雑誌を閉じ、顔を右に30度くらい傾けて、そこからは目だけを右に向けて私は言った。


「さきほどは、どうもありがとうございました」

「ああ、とんでもない。お礼を言われるなんてもったいないですよ」

「いえ、助かりました。安物なんですけど、お気に入りで、亡くしてたらきっとかなり落ち込んでたところでした」

「ああ。そーいうの、ありますよね。私もあります。そーいうの。どこにでも売ってるボールペン、ああこれ」


彼はスーツの内ポケットからノック式のボールペンを取り出して、2、3度カチカチやってみせて


「これがないと仕事にならないんですよねー」


くすり。私は笑う。


「あ。ああ、失礼。こんな100円のボールペンと、あのステキなハンカチを一緒にしたらいけませんよね」

「似たようなものです。なにも特別なことなんてなくて。でも、お気に入りなんです。ステキだなんて、お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます」

「確かに。」


彼はなにかを思い出すように言った。


「ブランドもの、というわけでもないし、特別な柄とも思えないですが、長く使われている感じがありましたよね。きちんとアイロンがかけられてて、ま四角にたたまれて。大事にされてるなって思いました。それに」


私はよく見てるな、と感心した。

お気に入りのハンカチが褒めてもらえているようで、悪い気分はしなかった。


「それに?」

「今日のお召し物にとてもよくお似合いだと、思いました。」

「あら。」

また、くすり。と笑った。

お上手な方かしら?と思った。


「ああ、すみません。最後のは余計でした。申し訳ない。」

彼は人差し指でぽりぽりと頭をかいた


「いえ。ありがとうございます。」


しん、とした時間がただよった。

ロビーでハンカチを拾ってもらったお礼もしたし、悪い人じゃないことがわかったし、それ以上話すこともないと思った。

たまたま隣り合った人と、道中話しながら過ごすほど私は社交的ではないし、特に話したいとも思わないし、あとはまた雑誌を読んで時計の針が進むのを待ってればいいだけだった。

あと5秒沈黙が流れれば、もう2人が言葉をかわすこともないだろう。

そういう分かれ目の時間ていうのはある。

話すか、話さないかという決断の時。それは99%の確率で話さないが選択されて、無言の空気に包まれる。だからこそ、世の中の人たちは他人同士であり、最低限の必要なことだけで付き合いが保たれていくのだ。


私の無意識がカウントダウンを始め、彼から意識がどんどん遠のいて、雑誌を開いて、さっき見ていた薄い紫のふうわりとしたスカートはどこかしら、なんて思って、そしておそらく彼も、眠るか、ケータイをいじるか、本や書類を開くかなにかして、それぞれの時間を過ごすのだ。

そんな時間が流れていく。


それぞれの時間が始まるそのギリギリの瞬間だった。

私の時間の中に彼が割り込んできた


「東京へは、お仕事ですか?」

「え?ええ、いえ、あの、」


私は少し驚いた。あまりにもタイミングが悪かった。下手だったと言ってもいい。眠りに落ちる瞬間に起こされたように、私の意識は方向を見失った。ほんの一瞬。

そしてそれは、彼が、無理矢理に話題を見つけてなんとかかんとか話しかけてきたことを意味することを私は知っていた。

この人は思ったほどスマートではない、と私はひとつ、メモを増やした。不器用な話しかけ方だった。


「結婚式なんです。友人の」

「ああー。なるほど。それで。」

「それで?」

「あー、、、それでその、お仕事っぽくないお洋服だな、と思ってました。仕事にしてはいくらか素敵すぎますよね」


くすり。褒められた気がしない。

誰がどう見ても、私は仕事に向かう人間ではないでしょう?


「ありがとうございます。でいいですか?」

「ああすみません。また変なこと言いましたね。おかしいな、、、」

「いいえ。」

「いくらか緊張してるみたいです」

「飛行機、苦手ですか?」

「いえ、そうじゃないんですが、なんというか、、、」


私は彼が何か言うのを待っていたけど、特に続かないようだった。

沈黙へのカウントダウンが始まりそうな時


「結婚式、いいですよね。」

と彼が言った。

「まだお若いし、花嫁さん、とても綺麗でしょうね」

「そうですね。昔から綺麗な子でしたから。ドレス姿、楽しみですね」

「結婚式のお呼ばれとか、多いですか?」

「そうですねー。年齢的にも。ここのところ急に増えてきて。今年はこれで3件目で」

「3件!それはすごい。おめでたいこととはいえ、なかなか大変ですね」

「それでもまだ半分くらいで」

「ああ。私の周りもそんなもんです」

「そうなんですか」

「やっぱり、憧れるものですか、女性としては」

「え?」

「真っ白なウェディングドレス姿で赤いじゅうたんを歩くという姿に」

「ああーいいですよねー。やっぱり女の子なら憧れます」

「とてもお似合いでしょうねー。あ。もうそのお相手も決まってらっしゃるとか。羨ましいな、、、 あ、これセクハラか、、 すみません」


くすくす。私は笑う。


「どうも今日はおかしいみたいで」

「気にしません。それに私、経験済みですから」

「え?」

「結婚。3年前に」

「ええ?」


くすくす。


「娘がふたりいます」

「ほんとうに?」


大きな声だった


「しつれい」


キョロキョロしながら首をすくめた

「すみません。無神経なことを、ズケズケと」

「気にしません」

「言い訳ではなく、ご結婚されていて、お子さんもいらっしゃるようには見えなかったもので」


くすり。うそがつけない人なのだろう


「それは最大級の褒め言葉としていただいてよろしいですか?」

「え、ええもちろん。そう処理していただけると光栄です」


処理。スーツを着ていない時でもそーいう言い方をするのかな、と思った。

彼に少し興味が出てきたのかもしれない


「まっしろ、だったんですか?」

「え?」

「ドレス。結婚式のときは」

「ああー。いえ。まっしろどころか、ドレスすら。バタバタと、式も挙げてないんです。お金もなかったし」

「そうなんですか、、、 」

「写真だけでも、と思っててもなかなか。相手がそーいうの乗り気じゃなくて」


相手、と言った。


「そーなんですね。でも、拝見したいですね。おそらく、気を失うくらい美しい花嫁姿でしょうね」


あら、と思った。

そんなに真正面から褒めてくれるなんて。既婚で子もちとなると、なかなかそーいうことはない。


「なにもでませんよ」


ごく一般的にあしらった


「いえ。むしろこっちが出したいくらいです。それくらい、ええと、お綺麗でしょう。お綺麗です」


「ありがとうございます。」


お上手ですね、と言わなかった。

嘘ではないと感じたし、ただのお世辞ではないと思いたかった。素直に褒められた気がした。

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