八熊さんにはぶつかれない

佐賀砂 有信

第1話 あいさつ⇔注意

 転校生が来た。対策会議抜きで。


「八熊かなめ、と言います。へんな名字ですみません」

 

 転校生はエヘヘと笑った。

 もう九月なのにたぶん夏服のブレザー、うちは山奥の学校なのに寒くないのだろうか。ショートカット。メイク薄め。人と育ちと視力の良さそうな顔立ち。


「東京から引っ越してきました。前の学校では、美術部に入ってました」


 見た目こそ素朴だが、油断してはいけない。

 この学校に転校してくる時点で、この瞬間ウソだとしても笑えている時点で、異形のクラスメイトである俺たちとしっかり目が合っている時点で。

 タダ者ではないのだ。こいつも。俺たちと同じく。


「今日から、よろしくお願いいたします!」 


 元気よく頭を下げる転校生に、警戒気味の拍手が送られる。

 ただでさえ全員で7人のクラスだ。新参者への注視もそりゃあ強くなる。

「えー、というわけで新しい仲間が加わったぞ、イエーイ」

 秋口が謎のハイテンション演技で拳を突き上げる。もう二学期も半ばにも関わらず、いまだにコイツを担任と思えないのは、こういうノリと「〇〇(任意の季節)なのに秋口です!」という自己紹介ギャグが鬱陶しいからだ。

「八熊はそしたら、新村と獲國の間の席な」

「はぁい!ここだよぅここだよぅ!」

 新村がブンブン手を振る。名前呼ばれて嬉しかったのか?犬かよ。

 新村干支子。愛称はヘド子。確実にイジメられっこの仇名みたいだが本人が考案したニックネームなのだ。諸事情で四六時中レインコートを着ており何処にいてもまあ目立つ。今日は黄色に赤の花柄。目に痛い。

 見失いようのないヘド子を目印に八熊さんは無事に着席した。

「あの、江國くん?これからよろしくね」

「……獲國です、どうも」

 八熊さんに会釈を返す。笑うと八重歯が見える。

 見たところ、完全に普通の人だ。こういうタイプが一番怖いんだよな。

「あたしは新村干支子!ヘド子でいいよ!」

 うるさい囁き、という矛盾した音声で新村が乱入してきた。律儀に向き直ってお辞儀する八熊さん、こちらからは後頭部しか見えないけど、たぶん困惑している。

「あ、ええと八熊かなめ、です」

「やっくんでいい?ねえヤクマだから、やっくんでいい?」

「あ、え、はいその、ありがとうございます」

 いいのか。初日から。ボーイッシュな呼び方で。

 意見が採用されて嬉しい新村は満面の笑みを浮かべ、腕を振り上げた。

「それじゃあやっくん、今日からよろしくね。イエーイ!」


 ガンッ


 鈍い音がして、クラス中が振り返った。

 別段、何も変わっていない。

 妙な顔をした新村が、自分の掌を見つめているだけだ。

 何が起きたのかが分かっているのは、一部始終を目撃した俺だけだ。

 確かに見えた。新村がハイタッチを試みたことを。

 そしてその手が空中で、ガラスを叩いたかの如く、打撃音と共に静止したのを。

 

「えーと、授業に戻っていいかな」

 クラスを包む妙な緊張感を、秋口のノンビリした声が破る。

 皆が一斉に教科書に視線を戻す中、新村だけは怪訝な表情を浮かべていた。

「なになに今の、なんかガンってぶつかったんだけど」

 小声でうるさい新村に、八熊さんが手を合わせ頭を下げる

「……ごめんね、ええと、新村さん」

「ヘド子ちゃんと呼ぶがいいんだよ」

「……ごめんねヘド子ちゃん」

 丁寧に言い直した八熊さんは、小声でサラリと言った。


「私にはね、誰も触れられないんだ。そういう呪いがかかってるから」


「……それ、大声で言っといたほうがよくね?」

 思わず小声で突っ込んだ俺に、八熊さんは振り返ってエヘヘと笑った。

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