小川

kaz

小川


 森の奥深く、一戸の古い家がある。

 昔は周りに何軒か人の住む家のある集落であったが、過疎が進み、家とみなされる様なものはこの一軒だけだった。


 この家には女性が一人、居た。

 容姿は若く髪が肩甲骨ほどあり、何処か儚げな表情をいつもしている。


 ある朝の事だ。

 木々から差し込む日差しが、家の窓から入る時間帯。

 女性はいつもこの時間になると、近くを流れる小川の声を聞いて目を開ける。

 少し瞬きをして、家の中を見回し、何事もない事を確認すると、ほっため息を吐く。


 しばらく目を開けたり、閉じたりしていると、カーテンの開けられた窓の外に、気配を感じる。

 視線をそちらに移すと、小学生低学年くらいの少年が、じっとこちらを見ていた。

 窓の位置は、少々高くなっているせいか、背伸びをしている様で、少年の頭はバランスをとる為に揺れている。

少年と目が合うと、はっとした表情をして、玄関口のある方に走って行った。

 やれやれ、という感じで女性は身体を起こした。

 手首にかけたヘアゴムで、髪をポニーテールに括る。


 玄関を出ると、先ほどの少年は、家の前にある大きな木の下に居た。

 木は、青々とした葉っぱを、そよ風が揺らしている。

 少年の方を見ると、横になって見た時より、身体は小さく感じ、もじもじとして、俯く、それは年相応の反応を見せている。

「あなたは一人でここに?」

 女性は聞くと、少年は言葉を発せず頷く。

「そう……ここは何処かわかる?」

 質問続きで申し訳なさを感じたが、ここを訪れる者には同じ様に聞いている事だった。

 少年は、今度は首を振った。

 そして、いつも同じ質問、最後の質問をする。

「あなたは、もうこの世の人間ではないのよ。それは……分かってる?」

 少年は、少し躊躇い、今度は女性を見て、頷いた。

 風が少し強く吹き、木の葉がざわつく。


「そう、気付いている子なのね、色々と聞いてごめんね」

 女性は、緊張していた事に気付き、緊張させてしまった事を謝り、少し口角を上げて微笑んだ。

 そうすると、少年も少し、まだ緊張気味に微笑む。

「少しお話しましょうか?着いてきて」

 少年に言うと、女性は小川の声が聞こえる方向に足を向ける。

 然程遠くない場所に、小川はある。

 今日も穏やかな流れをしている。


 小川のほとりにある、大きな一枚岩の上に、女性は腰をかけ、少年に言う。

「ほら、隣にいらっしゃい」

 女性は自分の隣の岩を、手の平で叩き、少年を呼び寄せる。

 少年が、女性と同じ様に腰をかけると、今度は少年が聞く。

「……お姉ちゃんは、いつもここにいるの?」

「そうよ、ずっとずっと、あなたの様にはぐれてしまう人がいるからね。私はその人をちゃんと送っているの」

「そう、寂しくない?」

「うん、まあ寂しくないと言うと、それは嘘で強がりなんだと思う、けど、ちゃんと送ってあげないとね」

 女性は、それが役割なんだと少年に言い、聞く。

「あなたは、一人なのかな?」

「ううん、お父さんもお母さんも一緒だったんだけど……ね」

 両親と一緒と言うことは事故か何かなんだろうか。女性は考えたが、それは野暮な話であるので、口を紡いで「そう」とだけ呟いた。


 少年とは色々な話をした。

 学校では活発に友達と遊んでいたが勉強はそんなに得意ではない事、落ち着く様にと両親が習字を習わせてくれている事、そして、両親の事……。

 また、これは女性から聞いた事ではないが、亡くなってしまった原因は、やはり事故であったと言う事。どうやら、旅行に行く途中、車が崖から転落して少年と両親は亡くなってしまったという事だった。

 少年自らが、その話をしてくれた。

 辛い話だったろうが、話をしてく内に、すっかりと打ち解け、自ら話をしてくれた。


 いつしか日が暮れ、少年は女性の膝に頭をのせ、目を閉じていた。

 女性は少年を起こし、言った。

「そろそろ、時間だよ」

「うん、そうだね……そろそろ行かないと」

 少年は柔らかに微笑んだ。

そして、ゆっくりと起き上がると、小川に少しずつ入っていく。急な流れの川ではないし、深い箇所もない。

 少年が川の真ん中辺りまで行くのを確認すると、女性は言う。

「じゃあ、今度は迷わない様に、惑わない様にね」

「うん、お姉ちゃんもね」

 女性は目を閉じて、この少年が優しく逝ける様に、手を合わせ祈った。すると少年の形は徐々に崩れ、光の粒子となって、少しずつ消えていった。

「ありがとう、お姉ちゃん」


 女性は少年を見送ると、一つ涙を流す。

 普段の暮らしであった。

 小川は、魂の流れて逝く川。

 たまにこうして、川から外れてしまった魂を、正しく逝ける様に祈りを捧げている。


 すっかり日が暮れてしまった家の自室、括ったポニーテールを解きながら、女性は呟く。

「いつしか……私にも祈りを捧げてくれる人はくるのかしら」

 自室の中、すっかり風化してしまった自らの亡骸の跡を見て、そう思う。


 小川の声が、夜の静寂の中で聴こえる。

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小川 kaz @kaz_makari

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