第2話 今回の設定
秀臣という男には、
同じ中学校、高等学校を経て秀臣が追いかける形で同じ大学へと進学した。一大決心をもって望んだ告白は、彼と深白が所属する演劇サークルでは十三日前まで、格好の酒のネタであった。
過去形なのは、二週間前に深白が死亡したからである。死因は交通事故。ハンドル操作を誤り、路肩に乗り上げたトラックに跳ねられて即死した。遺体は損傷が激しく、右腕に至っては潰れてしまっていたという。
深白死亡によって、秀臣が覚えたものを喪失感と一言で片付けるのは容易い。人間感情は今まで紡がれた様々な書物によって、幾重にも表現できる――と私は思う。
かたや、喪失感を覚えた秀臣は幽霊のような気迫のなさを目ににじませていた。うつろな目で、前を行く女性の背を追う。常時であれば、怪しい勧誘に動じることはなかっただろう。
だが、今の秀臣は虚の輩――手を引かれれば着いていく。
「どこへ……行くのですか?」
「ん~、いいところかにゃ」
キャンパス三号館の地下、実験室が多く並ぶエリアに秀臣は連れ込まれていた。体感では十分以上歩かされている。三号地下はこんなに広かっただろうかと、時計を確認すべくスマートフォンに手を伸ばした。
「あ、着いたよ」
それを見計らったかのように、謎の女は薄汚れた扉の前に立った。疲れで目が霞んでいるのか、教室名がぼやけて見えない。新手の新興宗教に捕まったのではないかと、後ずさるが何を今さらである。逃すまいと女がにやっと笑みを浮かべて、秀臣の腕を掴んだ。
「お話……したくないの?」
「あの」
「深白ちゃんと、お話……したくないのぉ?」
オカルトだろうと新宗教だろうと、脳改造だろうとその誘いを秀臣が、受け入れないはずはない。もとより、そうなる運命なのだ……とそれらしいことを言っておこう。
さぁ、開けるよと女が扉に手をかける。開いた扉の奥には、図書館の一室と思しき場所が存在していた。埃っぽい空気が鼻を突き、秀臣はむせ返りそうになる。
「ささ、入って、入って」
女が後ろに回って、秀臣を扉の内側へと押し込む。ここで私は、タブレットから顔を上げて秀臣の顔を真正面から捉えた。彼にはどう見えたことだろうか。何千冊という本が収められた書棚の中央で、ぽつねんと置かれた重厚感のある木製デスク。そこに膝をつきながらロングストレートの黒髪を広げ、真っ白な巫女服を纏った少女がいた。それも純粋な巫女服ではなく、アニメや漫画でよく見るオカシナ装飾が付いた巫女服だ。しかも、悠々とタブレットを弄っている。私なら、やはり騙されたと感じることだろう。
先手を打って、女――
「
虎子曰く鈴を転がすような声で、私は彼に呼びかけた。秀臣が振り返り、満面疑惑の表情でこちらを睨みつける。見た目は年端の行かぬ少女に、どうしたらそんな敵意を向けられるのか。甚だ理解に苦しむ――ほどでもない。当然の帰結だ。
「はじめまして。私は、
中二病全開の名前になるよう仕込んだ両親には、今となっては感謝の念しかない。超常的存在を気取るのに、花子だの梅子だのありふれた名前では格好がつかない。かといって、キャサリンだとかマリーベルとか付けられても、キラキラしくて陳腐だ。
突然の私の自己紹介に、秀臣は事態が飲み込めていないようだった。だが、彼が背にする扉は閉ざされ、扉前には虎子が嫌味なほどいい笑顔で立っていた。私は努めて冷静に、秀臣に語りかける。
「いえ、私のことはどうでもよいのです。名前も覚えていたければ、覚えていくれてかまいませんが、どうでもよいのです。今重要なのは、そう、あなたがここに来た理由です」
「……俺がここにきた、理由」
「えぇ、深佐和深白さんの声が聞きたいのでしょう?」
深白の名前を聞いた瞬間、秀臣の表情は苦痛に歪んだ。喉元がクッと動くのも見える。私は静かに傍らに置いてある本を手に取った。黒革のハードカバー、それを開きながら秀臣に問いかける。出来得る限り最大限の意地の悪い笑みを浮かべながら。
「聞きたくないのですか?」
聞きたい、と彼は小さく呟いた。私が耳元に手を添えると、もう一段大きな声で告げる。
「聞きたい……が、怪しげな宗教勧誘ならお断りだ」
「カルトはいまだに流行りですからねぇ」
警戒するのも当たり前、と言いつつ私はクツクツと笑った。大学構内では、未だにカルト勧誘への警句ポスターがいたるところに貼られている。神による救いだとか、教祖様による奇跡だとか……霊験あらたかな壺だとか。そんなもので救われるのなら、人生安いものだ。
いや――案外安いのかもしれない。
「私、カルトの教祖や勧誘員に見えますか?」
「初対面の相手に、こういうのは忍びないが……見えます」
「まぁ、そうですよね。でも、安心してください。あなたに対して金銭の便宜を要求したりはいたしません。それに、お会いするのもこれで最後です」
「え?」
秀臣の表情が警戒から、動揺に変わる。後ろに立っている虎子に彼は視線を向けるが、相変わらずへらへらと笑っているだけだった。
その間に私は筆を手に取り、開いていた本に思いっきり文字を書き入れる。
「終わりましたよ」
「え?」
視線がこちらへと戻される。動揺の色が、今度は疑念へと変わっていく。変化はまるで感じられないだろう。私は呼吸音が聞こえるように、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。虎子が同じように呼吸を始め、秀臣が次第に二人の呼吸に巻き込まれていく。
疑念を払拭できないまま、沈黙――。
呼吸が同調したのを見計らって、私は口を開いた。
「あなたは、これから携帯電話を通して深佐和深白と会話が可能になります」
秀臣が自身のスマートフォンを見る。下手にスイッチを押される前に、私は一際声を張り上げて、注意をこちらに向けた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「えぇ、条件」
左手の指を三本立て、私は右手で薬指を折りたたむ。
「一つ、会話が可能なのは一日に五分間だけ。それ以上は、話題の途中であっても会話は終了されます」
「……五分」
「二つ、人前では決して会話をしないこと。いうまでもなく、死者との会話は”まともな”人間のすることではないということをお忘れなく」
無論、会話できることを語るなということも伝えておく。こうした気遣いができる女のコツ……とまではいいません。気を緩めず、言葉尻を捉えられないようにすべく、補足事項ももれなく伝えなければならない。
「さて、最後です。三つ、決して……疑わないこと」
「疑う?」
「会話ができる”こと”を疑ってはならない。会話する”自分”を疑ってはならない……会話できるようにした”私たち”も疑わないほうがよいでしょう」
奇異な出来事の最中に何かが崩れだすとすれば、始まりは疑義から起こる。信じ込むことは、オカルトにおいては重要なのである……ちなみにカルトとオカルトは別だと私は考える。
さて、ここまで伝え終われば私の仕事はひとまず終わった。数秒の間、秀臣の様子を黙して伺う。彼は動かず、私の言葉を噛み締めているようであった。
「質問はありますか。なければ、ご退出を――」
「お前……いや、あなたは何ものなんだ?」
ふむ、と私は顎を触れる。いくつか浮かんでいた伝える候補を消し込み、一つに絞り込む。そう告げて、とびっきりの笑顔を見せた。
「ただの――巫女ですよ」
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