河童に魅せられし幼き姉弟

 星野屋の居間では美佳が夕食の支度をしていた。


 宿泊客が翔太だけであったために、大きめの居間は貸し切り状態だった。

 翔太はちゃぶ台の前に正座すると廊下の向こうに見える景色――黄昏の太陽に染まる庭先を眺めていた。


 「それで、リュックは無事だったのかい?」


 味噌汁の入ったお椀をちゃぶ台の上に置きながら美佳が尋ねる。


 「はい、何とか……ちょっと椅子に座って目を離した隙にぱっとやってきて、気がつけばリュックの引っ張り合いに……」


 滝で起こった事件――猿との激しいリュック争奪戦の光景を思い出しながら、翔太は身振り手振りを交えて説明した。


 「あそこの猿は悪知恵が働くからね。滝を見に来た観光客のリュックとかお菓子とか、結構狙われるのよ」

 「僕がリュックを奪い返そうとすると歯を剥き出しにして威嚇してきて……かなり怖かったです」


 身震いするようにその時の恐怖を語ってみせる。


 「全部が全部、悪い猿じゃないんだけどね……」


 美佳はばつが悪そうに溜息をつくと、御櫃から翔太の茶碗にご飯をよそう。


 「お代わりならいっぱいあるから、言ってね」

 「はい、ありがとうございます」


 翔太が礼の笑みを返すと、美佳は台所に戻っていった。

 その背中を見送ると翔太はちゃぶ台にある料理をじっくりと眺める。


 ――食べきれるかな……


 昼間に獲れたてのアマゴ、焼き茄子、煮物に味噌汁にトマトのサラダ、その他もろもろ――ちゃぶ台を埋め尽くす料理に圧倒された。

 翔太はひとまず両手を合わせて一礼すると、焼き茄子を一つ箸で取り茶碗のご飯と一緒に食べ始める。


 「これって……」


 翔太は驚いたように目を見開くと、茶碗のご飯をまじまじと見詰めた。


 「ここで宿屋をやっていて良かったって思える瞬間ね」


 翔太の背後で嬉しそうな女将の声が聞こえる。

 慌てて振り向くと美佳が満足げな表情で翔太を見下ろしていた。


 「星野さん……」

 「気にいってくれたみたいね」


 得意げに笑みを浮かべる美佳に、翔太は何度も相槌を打つ。


 「凄く美味しいです。上手く言えませんけど、とっても丁寧っていうか、野菜やお米の味がちゃんとしてて、食べてて楽しいっていうか幸せっていうか……とにかく、いくらでも食べられます」


 初めて味わう感動をどう表現したらいいのかわからない翔太であったが、何とかそれを伝えたいという気持ちが自然と言葉になって口から出ていた。


 「そう言ってくれると嬉しいわ。米から野菜から、全部うちでとれたものなの。どんどん食べてね」

 「はい」


 元気よく応えると、翔太はアマゴに箸を伸ばした。


 「アマゴは骨まで食べられるからね」


 美佳の言葉通りアマゴはとっても身が締まっていて、それでいて柔らかく――ご飯が何杯でも食べられそうだった。

 翔太が舌鼓を打つさまを満足そうに見ながら、美佳は台所の方へ戻っていく。

 翔太は夢中になって箸を動かすと、アマゴとご飯を交互に口の中に放り込んでいった。


 今まで何人もの宿泊客が、自分と同じように心を踊らせたに違いない。

 星野屋――美佳の料理は翔太が食べたどんな料理よりも新鮮であり素朴だった。素材の味そのものがしっかりとしていて、味をつけるために調味料があるのではなく、素材の味を引き出すために調味料が存在することを初めて知った。

 素材もさることながら料理を作る美佳の気持ち――美味しいものを食べてほしい……という素直な思い、温かさが料理の隅々から伝わると、翔太はそれに応えるように次々と料理に手をつけていった。


 数分後――


 味噌汁をかき込んでお椀を空にすると翔太は全ての料理を平らげた。

 翔太が満腹に大きく吐息をつくと、そのタイミングを見計らったように美佳が現れ、湯のみにお茶を入れた。


 「あ、ありがとうございます。本当に美味しかったです」

 「こちらこそ……もうお代わりはいらない?」

 「もうお腹いっぱいです……」


 翔太は恥ずかしそうに笑うと空っぽになった御櫃を指差す。


 「みたいね……」


 嬉しげに目を細めると、美佳はちゃぶ台の上のお皿を片付け始めた。

 温かいお茶にほっと一息つくと、翔太は思い出したように腕時計に目を落とした。


 「今から河童を探しに行くのかい?」


 空いたお皿をお盆に乗せながら美佳が問う。


 「はい、河童が出るの、夜からみたいなので」

 「見つかるといいわね」

 「はい」


 翔太が笑顔で答えると、美佳がふと思い出したように切り出した。


 「私もね、あなたくらいの年の頃に河童を探しに行ったことがあるの」

 「星野さんが?」


 少し驚いたような表情で見る翔太に美佳が頷く。


 「今から何十年も前になるけど、その頃もちょっとした河童のブームがあって……弟に誘われて二人で滝道に探しに行ったの。河童を捕まえて学校のヒーローになるんだってね」


 美佳が遠い過去に目を向けながら続ける。


 「それで……河童は見つかったんですか?」

 「見つかるも何も、途中で怖くなって逃げ出しちゃったの……」


 問いかける翔太に情けない……と、いうように首を振ってみせる。

 が、すぐに笑顔を浮かべると悪戯っぽい口調で落ちを付け足した。


 「弟の方がね」


 翔太は納得する。

 目の前の逞しそうな女性が、子供の時とは言え河童ごときで逃げ出すとは思えなかったのだ。言ってしまうのは失礼になると思い口には出さなかったが……


 「怖くなったって、どうして?」

 「河童に関しては怖い方の話もたくさんあって、その話を聞かされたばかりで急に怖気づいちゃったのさ。最後には泣きだす始末で……それで仕方が無いから弟の手を引いてうちに帰ったんだ」

 「怖い方の話って……?」

 「河童っていうのはね、時々子供を川の中へ引きずり込んでは肝っ玉を抜きとって、殺してしまうのさ……」


 美佳がうっすらと不気味な表情を作ると、芝居がかったおどろおどろしい声色で答えていた。


 「…………」


 その迫真の演技に翔太が恐怖に顔を引きつらせる。


 「……なんてね。今から考えたらそんなわけないって笑えるんだけどね」

 予想以上に翔太が引いてしまったことでまずいと思ったのか、美佳は安心させるように戯けてみせた。


 「子供の頃はそう言うの、結構信じちゃうのよ。それに滝道って夜は街灯も薄暗くって。ちょっと不気味だし……」


 そう締めくくると、美佳は思い出したように翔太に詰め寄る。


 「それにしても……か弱い女の子を置き去りにして逃げ出そうとするなんて、弟の奴、男として最低だと思わない?」

 「はあ……」


 同意を求める美佳の視線に、翔太は複雑な表情で曖昧に返していた。

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